それから
それから、三年が過ぎた。
菜の花たちが封印を強化してから、瘴気は落ち着いていた。
聖域フィルネの酒場に、四人が集まっていた。菜の花、リオン、リーネ、ミラ。
二十歳を祝う飲み会だった。
「乾杯!」
四つのグラスが、ぶつかり合う。
この国では、二十歳からお酒が飲める。それより前は、お酒を飲んではいけない。
うん。いけない。
リーネが、氷酒の炭酸割りを口に運ぶ。
「うん、前より熟成されてる」
ミラが、雪山チーズを切り分けている。
炙ると、とろける。濃厚な香りが広がる。食べると、ミルクのような甘みと、かすかな塩味が追いかけてくる。
「あの時の雪山チーズより、おいしいような気がする」
「熟成させたからね。三年分」
リオンが、チーズを一切れ口に入れた。
「うまい」
リーネが、グラスを傾けながら言った。
「さっき、『前より熟成されてる』って言ったけどさ」
「うん」
「旅の途中では飲んでないよね。まだ二十歳になってなかったんだから」
「……そうだね。飲んでないね」
「『前より』っていうのは、一般論だ。旅から帰って三年も経てば、熟成は進む」
「うん。そうだ。私たちは、飲んでない」
「盾祭りでも飲んでない」
「飲んでない」
四人で、顔を見合わせて笑った。
ミラが、菜の花のグラスを見た。
「あれ、ノア、飲まないの?」
菜の花のグラスには、お茶が入っている。
氷酒ではない。
「うん」
「どうしたの? 体調悪い?」
菜の花は、少し照れながら、お腹に手を当てた。
「実は……赤ちゃんがいるの」
一瞬の沈黙。
それから、歓声。
「えええええ!」
「すごい!」
「おめでとう!」
リーネとミラが、菜の花に飛びつく。
「何ヶ月?」
「三ヶ月。安定してから……今日言おうと思って」
ミラが、リオンを見た。
「リオン、おめでとう!」
「あ、ああ……」
リオンは、照れくさそうに頭を掻いている。
耳が赤い。
「父親になるんだね」
「……まあ、そうだな」
「緊張する?」
「……まあ、少し」
リーネが、リオンの背中を叩いた。
「しっかりしなよ、父親!」
「分かってる」
四人で、また笑った。
ミラが、菜の花に聞いた。
「名前は決めたの?」
「まだ」
「やっぱり、花の名前がいいんじゃないか?」
「どうしようかなあ」
菜の花は、上を向く。
「たぶん、そのうち見つかるよ」
「なんだそれ」
店主が、大皿に麺料理をたっぷり盛って運んできた。
「はい、お待ち!」
「うわー、いい香り!」
ミラが、レシピと乾燥海藻を渡して、店主に潮風麺を作ってもらったのだ。
「レシピ通りに作ってみたけど、どうかな」
「おいしいよ」
食べてみると、ちょっと味は違うが、これはこれでおいしい料理だった。
「フィルネとストリネの東西折衷料理だ」
「これは売れる」
リーネは、商魂たくましい。
それから、四人で遅くまで話した。
旅のくだらない思い出話で、たくさん笑った。
「よし、話題を変えよう。成人の儀の時の思い出話だ」
もう何杯目だろう。
リーネが、氷酒の炭酸水割りを口に運ぶ。
「ふふふ、懐かしいね」
菜の花が笑った。
「だね」
ミラも笑った。
「よし、じゃあ、今思っていることを、せーので言うぞ」
「うん」
「いいよ」
「せーの……」
「聖堂の埃がきれいだった!」
三人は声をそろえた。
「あははははは」
「なんだそれ」
リオンも笑っている。
これからのことも話した。
リーネは商会を継ぐ準備をしている。旅で収納魔法の可能性を知った。各地の特産品を扱う商会にしたいと言っている。
ミラは、医院の見習いを始めた。旅の途中で、回復ができない菜の花の代わりに何度も仲間を治した。あの経験が、医院で働きたいという気持ちにつながったらしい。
リオンは学舎で講師をしている。結界術は戦いで使うだけでない。もっと生活の役に立つはずだ。そして、そもそも面白い。その面白さを教えたいのだという。
菜の花は、ノナの薬師の仕事を手伝いながら、日本語の研究者を目指している。
みんな、それぞれの道を歩いている。
菜の花は、リオンを見た。照れくさそうにチーズを食べている。
旅の途中、いつからか、隣にいることが自然になった。言葉で確かめたのは、旅の終わり頃だった。リオンは「ずっと前から」と言った。菜の花は「私も」と答えた。
でも、こうして集まれば、旅の頃と変わらない。
「また集まろうね」
「うん」
「赤ちゃんが生まれたら、見せてね」
「もちろん」
夜が更けて、四人は別れた。
菜の花は、家に帰った。
リオンと一緒に暮らす、小さな家。
ノナの家の隣に建てた。
「おかえり」
リオンが、先に帰っていた。
「ただいま」
菜の花は、自分の部屋に行った。
机の引き出しから、ノートを取り出す。
旅の間、ずっと持ち歩いていたノート。
ページをめくった。
これまでに見つけた回文が、そこにある。
「菜の花の母の名はノナ」——なのはなのははのなはのな。
「ノナは母なの」——のなはははなの。
菜の花は、お腹に手を当てた。小さな命が、そこにいる。
まだ胎動は感じない。でも、確かにいる。
きっと、女の子が生まれる。そう思った。
「……子の名はノナ」
それ以外にないと感じた。明日、母さんに言おう。笑って了解をくれるだろう。
そして、いつかこの子にも教えよう。
美咲さんのこと。回文のこと。ぐるぐる回って、ずっと消えない言葉のことを。
菜の花は、静かに笑った。
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本作は完結まで執筆済みで、全56話・約14.9万文字です。
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