表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
母の名、子の名、そして菜の花  作者: 劇団だるい
第一章 菜の花
4/54

初夏、学舎

 それから、菜の花は、日本語に夢中になった。

 毎日、図書館に行っては本を借り、夜遅くまで読んだ。


 最初は、音をなぞるだけだった日本語の文字が、今では意味を持って目に飛び込んでくる。

 紙の上の記号だったものが、いつの間にか言葉になっていた。


 初夏になった。


 ヌーン、ヌーン、ヌーン……。

 お昼休み。教室から、生徒たちがぞろぞろと出てくる。


「お腹空いた!」

 ミラが、両手を上げて伸びをする。

「午前中の魔法理論の授業、眠かった……」

 菜の花が欠伸を噛み殺しながら言う。


「ノア、寝てたでしょ」

 リーネは、にやにやしながら尋ねる。

「いや、目を閉じて、集中して聞いてた」

「それは寝てるって言う」

「……何かあったの?」

 ミラがやや心配そうに言った。


「うん、日本語の本を読んでたら、遅くなっちゃって……」

「日本語?」

「うん、面白いんだよ」

「また、変なもんに興味もったな」

 リーネが笑う。

「なんで日本語なの?」

「なんでだろう。『菜の花』が日本語だから?」

「『菜の花』って、ノアの正式な名前でしょ? それが日本語なの?」

「うん」

「ふーん」


「でも……それにしたって、そこまで気になる?」

 ミラが首をかしげる。


「『ミラ』も別の大陸の言葉らしいけど、私は勉強しようと思ったことはないよ」

「え、そうだったの」

「うちの家系は、たどると別の大陸から来てるみたい」

「へえ。じゃあ、私は……なんでだろう?」

「知らないよ」

 三人は笑いながら、学舎の中庭へ向かった。


 中庭では、多くの生徒が昼食をとっている。

 三人は、いつもの場所——噴水の近くの石のベンチに腰を下ろす。


 菜の花は、ノナが持たせてくれた弁当を開けた。

 木の蓋が、ことりと小さな音を立てる。パンとチーズ、茹で卵、それに小さなリンゴ。

「ふんふふーん」

 思わず、口ずさむ。

「ご機嫌だな」

 リーネが菜の花を見て笑う。

「うん」

 菜の花は、嬉しそうに微笑んだ。


 リーネは、食堂で買ってきた野菜スープのカップを両手で持ち、ゆっくりと飲む。

「はあ……」

 野菜とハーブの良い香りが漂っていた。

「リーネは、いつも学舎のスープだね」

「父さんも母さんも商売で忙しいからな。そして私は、料理が苦手だ」

「やればできるよ」

 ミラは笑う。ミラは、料理が得意だ。


 中庭には、他の生徒たちの笑い声が響いている。


 ミラは、小さなパンの塊を頬張りながら、噴水の水面を眺めている。小柄で、丸い頬で、小動物みたいだと菜の花は思うことがある。本人に言ったら怒られるだろうけど。


 ミラが、ふと思い出したように言った。

「ねえ、ノア。成人の儀、もうすぐだね」

「んあ? ああ、あいねんのあるあもんね」

 リンゴをガジガジかじりながら、菜の花はうなずいた。

「食べ終わってからでいいよ」

「ごくん」

 菜の花は急いでリンゴを飲み込む。


「はあ。あと一年で十五歳の大人かあ……」

 少しだけ、感傷的な気持ちになる。


 沈黙。リーネとミラが吹き出す。


「あははははは」

「うえ?」

「待って待って」

「突然、切ない感じになるのやめて」

「リンゴかじって、モゴモゴしてたのに」

 二人はひとしきり笑う。


「でも、そうだよなあ」

 リーネが、しみじみと言う。

「ついこの間まで、あそこで鬼ごっこしてたのにね」

 ミラは、中庭の端の芝生を指す。

「懐かしいねえ」

「ノア、いつも捕まってたよね」

 ミラは、目を細めて笑う。丸い頬に、少しだけえくぼが出る。


「だって足遅いんだもん」

 菜の花が、頬をふくらませた。菜の花は、運動はあまり得意ではない。


「でも、隠れんぼは、得意だったよ」

「そうなんだよなあ。特に見つけるの」

 ここにいると思えば、たいていそこに隠れている。


 それから、ミラが真面目な顔で尋ねる。

「成人の儀で、どんな力に目覚めたい?」


 成人の儀。十五歳を迎えた者が聖堂で受ける儀式だ。

「格闘とか剣術とか、聖域を守る力もあるし、料理とか調合とか」

「力によって、できる仕事が変わるからなあ」

 十四歳になってから、菜の花の周りでは、成人の儀の話が増えた。


「ミラは?」

 菜の花が尋ねる。

「祈りの力。巫女になりたい」

「巫女かあ……」

「そしてあの衣装を着たい。淡い青の衣に、白いベール」

「うん。あれは確かにあこがれる」

 リーネがうなずく。

「でも、祈りの力は、ほんの一握りの人にしか現れないからねえ」

 ミラはため息をついた。


「リーネは?」

「そうだなあ……」

 リーネが、腕組みをしながら考える。横顔がりりしい。リーネは、同性の菜の花から見ても、かっこいいと思う。

「魔法が使えたらいいな。火とか」

「火? 交渉の力とかじゃなくて?」

「うん。うちの商品さ、他の街から運んでくるときに、山賊に取られることがあるんだよ……いざってときには、戦えるようになりたい。だから火」

「かっこいい!」

 ミラが目を輝かせる。


「ノアは?」

 ミラが菜の花に視線を向ける。

「ええ。どうだろう……」

 菜の花は、ぼんやりと空を見上げる。

「案外、すごい力に目覚めるかもな。ノアって、ちょっと不思議なところがあるから」

「不思議?」

「うん。なんていうか……何かやりそうな感じ?」

「分かる分かる!」

 ミラがうなずく。

「え、ほめてる? それは私のことをほめてるの?」

「いや」

「否定した⁉」

「正確に言うと、何かやらかしそうな感じ……かな」

 リーネが訂正した。

「なんだよう!」

 三人の笑い声が、中庭に響いた。


「私は……母さんと同じ薬師かな?」

 菜の花は、空を見上げる。

「パン屋さんになるのもいいな」

「ノア、パン好きだもんね」

「うん」


 ——でも、本当は……。『祈り』でも『魔法』でもない別の言葉を、菜の花は喉の奥で飲み込んだ。


 ゴーン、ゴーン。昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った。


 お昼の始まりだけ「ヌーン」と鳴る鐘——この鐘には、異世界の重大な秘密が隠されている。菜の花は、講師の言葉を思い出す。


「ほんとかな」

 作りたいから、作った。案外それだけなのかもしれない。


「ん? なんか言った?」

「ううん」


 中庭の生徒たちは、ゆっくりと立ち上がって伸びをしている。

 三人も、弁当箱やカップを片付け、教室へと向かった。


読んでいただき、ありがとうございます。

もし気に入っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると、とても励みになります。


本作は完結まで執筆済みで、全56話・約14.9万文字です。

3/29(日)まで毎日20時に更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ