旅のしおり①
菜の花は、リオンと共にシオナの部屋を訪れた。
大聖堂の奥にある、静かな部屋。窓から差し込む光が、古い本棚を照らしている。
そういえば、昨日、日本語の本を借り忘れた。
いろいろなことがありすぎて、ものすごく昔のことのように感じた。
巫女が静かにお茶を入れている。
「シオナ様、私、旅に出ることに決めました」
菜の花は、まず、シオナにそう報告した。
「そう。ありがとう」
「それが、私の『なすべきこと』なら。病気の人が減って、魔物で亡くなる人が減るなら。」
シオナは、菜の花を見つめてうなずいた。
「それに、美咲さんの歩いた道を歩いてみたいと思ったんです。母にも許可を取りました」
「そこに座って」
シオナは、二人を椅子に座らせた。
「まず、これを」
シオナが差し出したのは、分厚い冊子だった。
「旅のしおりです」
菜の花は、受け取った冊子を見つめた。
表紙には「旅のしおり——封魔の森へ——」と書かれている。
厚い。指三本分くらいある。
「これ、全部読むんですか……」
リオンはしおりを見つめている。
「当然です。命に関わりますから」
菜の花は、ぱらぱらとページをめくった。
「うわあ、地図もある!」
詳細な地図、魔物の一覧、薬草の図鑑、野営の方法。
情報がぎっしり詰まっている。
「これ誰が作ったんですか?」
「歴代の勇者と聖女たちの旅の記録を、聖堂がまとめたものです」
「……何代もいるんですね」
「はい。聖堂は、魔王が生まれてから百三十年、勇者と聖女を派遣しています。
ですが、誰も勝てなかった。帰ってこなかった者もいます。
帰ってきた者たちの旅の記録が、この『旅のしおり』です」
「そうなんですね」
「美咲たちの旅の記録も含まれていますよ。ノナが報告してくれたものです」
「美咲さんたちの……」
菜の花は、しおりをパラパラとめくる。
「では、説明を始めましょう」
シオナは、しおりの中央にある大きな地図を広げた。
大陸全体が描かれている。
「この大陸には、四つの聖域があります」
シオナが、地図を指さした。
「私たちがいるここが、東のフィルネ」
シオナの指が、地図を移動する。
「北にルディア。西にストリネ。南にサニア。そして真ん中に、封魔の森」
菜の花は、身を乗り出して地図をのぞき込んだ。
「四つの塔で、一つの封印を支えてるんですか」
「はい。一つの塔が陥落しても、他の三つが補う仕組みになっています」
「すごいな」
リオンが、感心したように言った。
「なんで四つなんですか?」
菜の花は尋ねる。
「三本足の椅子は、足が一本折れたら、倒れますからね。かといって、五つでは多すぎるのです。どこか二つを見捨てて残り三つで保つ、という判断が生まれてしまう」
「ああ……」
「四つなら、一つ欠けても三つで支えられる。しかし、二つ欠けたら成り立たない。だから全力で四つすべてを守るしかない。その覚悟を強いるのが、四という数なのです」
「あの、いいでしょうか」
「なんですか? リオン」
「勇者の剣に、四角形の形があるのも、何か関係があるんですか?」
「秘密です」
「ええ……」
シオナは、ときどきお茶目だ。
それにしても、四角形か。昨日、リオンが勇者の力に目覚めた時、光は剣の形に変わった。その剣には、確かに四角形の紋章が刻まれていた。
「うふふ。でも、その答えは、自分で見つけるほうがよいと思います」
「分かりました」
リオンがうなずく。
「旅の行程は、大きく分けて二つあります。まず、四つの祈りの塔を巡る旅」
「はい」
「そして、最終目的地の封魔の森に行く旅」
「直接、封魔の森に行かないんですか?」
「はい。先に、各聖域の祈りの塔で、浄化の力と結界の力を捧げます。それから、封魔の森に向かうのです」
菜の花は、地図を見つめた。
東から北、北から西、西から南、そして中央へ。
長い旅になりそうだ。
「では、各地域について説明しますね」
シオナは、地図の東側から説明を始めた。
「まず、聖域フィルネ。大陸の東に位置する私たちの故郷です。温暖な気候で、農業が盛んです。麦畑が広がり、パンがおいしいです」
「確かに、ここのパンはおいしい」
二人とも、うんうんとうなずいた。
「まず、フィルネの祈りの塔で、祈りを捧げます」
シオナは、フィルネの塔のある場所を指さす。
菜の花は、窓の外を眺める。白い祈りの塔が遠くに見える。
「そして、フィルネを出発します」
シオナは、塔の上にある森を指さした。
「ここは『囁きの森』と呼ばれています」
「囁き?」
「古い森で、夜になると、まるで誰かが耳元で話しかけてくるような音がします。風の音だと言われていますが、慣れないと怖いかもしれません」
「嫌だな……」
「害はありません。ただ、森の中は似たような景色が続き、道に迷いやすいです」
「どうすればいいんですか?」
「目印を見つけながら進んでください。旅のしおりの十五ページに、まとめられています」
菜の花は、ぱらぱらとページをめくった。
特徴的な岩や大木のスケッチが描かれている。
「心強いです」
「先人たちが、記録したものです。こういう情報は、とても大切なのです」
「囁きの森を抜けると、『旅人の平原』に出ます」
シオナは、森の北にある平原を指さした。
「ここは比較的安全です。宿場町もいくつかあるので、補給をしながら旅ができます」
「よかった。いきなり野宿続きは不安だったんです」
「ただし、平原には『草原狼』の群れが出ます。夜間の移動は避けてください」
「狼……どう対処すればいいんですか?」
「旅のしおりの二十三ページを見てください」
ページを開くと、狼の絵と共に「逃げる」と大きく書いてあった。
「……逃げるんですね」
「はい。生き延びるのが最優先です」
続いてシオナは、地図の北側を指した。
「平原を北上すると、大陸の北、聖域ルディアに着きます。山岳地帯にある聖域で、一年の半分は雪に覆われています」
「寒そう……」
「防寒具は必須です。しおりの四十二ページに、推奨される装備が書いてあります」
菜の花がページを開くと、長いリストがあった。
「毛皮のコートに厚手のブーツ、手袋に耳当て……こんなに必要なんですか?」
「凍死したくなければ」
「俺は、持っていません」
「私も」
フィルネでは不要なものばかりだった。
「貸します」
「ありがとうございます」
「ルディアは寒い分、保存食が発達しています。特に『雪山チーズ』は絶品です」
「チーズ」
菜の花の目が輝いた。
「熟成に三年かける濃厚なチーズで、とても香りがよいです。炙ると、とろけます」
「うわあ……」
「また『氷酒』という蒸留酒も絶品です。雪山チーズをつまみにするのがよいでしょう」
「俺たちは飲めません」
リオンが、冷静に言った。
「そうでしたね。それでは、お土産に買ってきてください。あとでお金を渡します」
「あ……はい」
シオナはお酒が好きなんだな。菜の花には、少し意外だった。
「ちなみに、雪山チーズは保存がききます。お土産にちょうどいいでしょう」
「買ってきます!」
「ありがとう」
ノナにも買って帰ろう。菜の花は旅が少し楽しみになった。
「ルディアの祈りの塔は、雪山の中腹にあります。遭難の危険があるので、厳寒期を避けて訪れてください」
食べ物の話に比べて、祈りの塔の説明は端的だった。
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本作は完結まで執筆済みで、全56話・約14.9万文字です。
3/27(金)まで随時に更新予定です。※更新スケジュールを変更しました。




