決意
夜が更けていく。
二人は、静かにお茶を飲んでいた。
菜の花は、考える。
今夜、たくさんのことが分かった。でも、まだ分からないことがある。
「ねえ、女神様のノナ母さん」
「やめとくれ」
「ノナって、美咲さんの世界では、九っていう意味もあるんだったよね」
「そうらしいね」
菜の花は、「菜の花の母の名はノナ」の回文を思い出す。
この回文に、鍵がある。そう感じる。
ノナは九。この回文の九文字目は、『名』だ。
名前について、まだ分からないことと言えば……。
「あのさ、美咲さんは、魔王の名前について何か言ってなかった?」
思いついたことを口に出してみる。
「うーん、そういえば」
ノナは、宙を見ながら思い出す。
「美咲が言ってたね。異世界の言葉で『ハノ』って『輝かしい』っていう意味なんだって。二回繰り返して『ハノハノ』という風に使うんだとか」
「ふふ、なんか、かわいいね」
「実物は、全くそんなことはなかったよ」
ノナは続けた。
「だから、『魔王ハノ』っていう名前は、ちぐはぐな感じがあるって。『聖女・暗黒』って言ってるみたいなもんだって」
暖炉の火が、静かに揺れる。
「……だめだ、分かんないや」
「そんなにうまくいくもんでもないさ」
「ねえ、母さん」
「ん?」
「私、封魔の森に行くよ」
菜の花は、ノナを見つめた。
「美咲さんが歩いた道を、私も歩きたい。怖いけど、でも、行きたい。知りたいことがいっぱいある」
「……うん」
「それに、私の力が人の役に立つなら——それで、病気の人が減ったり、魔物で亡くなる人が減るなら、役立てたい。それが、私の『なすべきこと』なら」
ノナは、しばらく黙っていた。それから、ゆっくりとうなずいた。
「……分かった、行っておいで」
「母さん……」
「なんとなく、そうなると思ってた。そうなってほしくはないと願いながらね」
ノナは、静かに言った。
「ちょっと待ってなさい」
ノナは、調合室に入っていった。
許可なく入ってはいけない、ノナの仕事場だ。
しばらくすると、ノナは片手で握れるほどの大きさの瓶を五本もってきた。
中には、紫色をしたドロドロの液体が入っている。
「菜の花、これを持っていきなさい」
「ナニコレ」
ノナは、にやりと笑った。
「材料は、満月草。もつれな草。朝露草の種。夜眠り草」
菜の花が、市場で買ってきた薬草だ。
「そして、『木になったまま忘れ去られてカビが生えたぶどう』も」
「ナニソレ」
「秋にしかとれない、貴重な素材なんだ。かなり苦労した」
あの時、一週間ほど家を空けていたのは、これか。
「これには、『忘却』の力がある」
「へー」
何を忘れさせたいのだろう。
「他にも、てきと……薬草を選りすぐって、合計十七種類の薬草から作った回復薬だ。
たっぷり熟成させた特級品だよ」
「へー」
適当と聞こえたのは気のせいだろうか。
「ちなみに、十七種類というところが重要なんだ」
ノナは、さらに得意げな顔をする。
「どういうこと?」
「十七は、素数だろう? 一と自分自身でしか割り切れない」
素数。セミの話で出てきたやつだ。
「そうだね」
「逆にすると、七十一。これも素数なんだ」
「そうだね」
「すごいだろう?」
「……すごい、のかな?」
「まだあるよ。三の二乗は?」
「何、突然」
「まあ、やってみな」
菜の花は、言われたとおりに計算する。
「三×三でしょ。九」
「そうそう。じゃあ、それをひっくり返して、二の三乗は?」
「二×二×二だから、八」
「九と八を足すと、十七になる」
「おお、ほんとだ」
「三の二乗と、それをひっくり返した二の三乗の合計は、十七なんだよ」
「おおお」
「十七っていう数字は、回文に似てると思わないかい?」
「なんか、そんな気がしてきた!」
「だろう? だから十七種類をてきと……特別に調合したんだ」
「適当って言った?」
「いや、言ってない。特別調合だ」
適当に十七種類を混ぜるくらいなら、必要な素材を厳選してほしかった。
あと、できれば、カビが生えたぶどうはやめてほしかった。
「ウレシイナー」
「これを飲めば、たちどころに回復するだろう。いろいろなところが」
「……スゴーイ」
「旅に持っていきなさい」
ノナは、紫色のドロドロの液体が入った薬瓶を、菜の花に渡す。
「……アリガトウ」
菜の花は、複雑な気持ちでそれを受け取った。
ノナは、得意げな顔をして笑っている。
「ええと……、使うことのないように気を付けるね」
「ああ、それが一番いい」
「ウン」
「この回復薬は、長く熟成させればさせるほど、効能が高まるんだ。
使わずに持って帰ってきてもいい。高く売れる」
「だから、必ず、帰ってきなさい」
ノナは、笑顔から突然、泣きそうな顔になる。
「母さん……」
菜の花が、母を見つめる。
「それを言うために、この毒水を作ったの?」
「毒水じゃない。回復薬だ」
「ああ、ごめん、つい」
「あと、なぜ作ったかといわれれば、作りたいから作った。それだけだ」
作りたいから作った。案外、そういうものなのかもしれない。
「美咲もアルヴィンもスオヤラも、みんな、怖くても前に進んだ」
ノナは、笑った。
「でも、それは、今考えると『進みたいから進んだ』ってことだったんだ」
「うん」
「仲間を大切にするんだよ。失敗しても、助け合うんだよ」
「うん」
「そして——」
ノナの声がつまった。
「必ず、帰ってきなさい」
菜の花は、うなずいた。
「うん、約束する」
窓の外では、春の風が吹いていた。若草色の新芽が光っている。
遠くに、祈りの塔が見える。
封魔の森とは、どんなところなんだろう。
美咲さんが戦った場所。母さんが、仲間を失った場所。
怖くないと言ったら、嘘になる。
菜の花の母の名はノナ——なのはなのははのなはのな
ノナは母なの——のなはははなの
二つの回文が、ぐるぐる回って、心の中で響いている。
菜の花は、窓の外を見つめた。金色の髪が、朝日を受けて輝いた。
「母さん」
「ん?」
「でも、訓練してから出発するから、旅に出るのは三ヶ月後なんだ」
「ん」
長い夜が終わり、新しい朝が始まった。
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本作は完結まで執筆済みで、全56話・約14.9万文字です。
3/27(金)まで随時に更新予定です。※更新スケジュールを変更しました。




