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母の名、子の名、そして菜の花  作者: 劇団だるい
第一章 菜の花
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出会い

 菜の花たちが通う学舎は、聖域の中央広場のすぐそばにある。

 白い石を積み上げた大きな建物だ。

「おはよー!」

 菜の花たちが教室に入ると、すでに何人かの生徒がいた。机を拭いている子。昨日の宿題を見せ合っている子。まだ眠そうに欠伸をしている子。


 菜の花は窓際の席に座って、鞄から教科書を取り出した。

 菜の花の教室は、三階だ。窓からの風が心地よい。

 遠くに、騎士の訓練場が見える。吹き飛ばされてた子は、大丈夫だろうか。


 ゴーン、ゴーン。始業を知らせる鐘が鳴る。

 講師が入ってくる。教室の空気が引き締まる。


「きりーつ、れー!」


 いつもの一日が始まる。

 学舎では、言語、算術に加えて、祈りや魔法を学ぶ。基礎運動に加えて、戦闘を選択することもできる。

 菜の花は、運動は苦手だ。走れば転ぶし、ボールはだいたい顔にあたる。高いところは苦手だし、泳げば沈む。でも、勉強は少し得意だった。


 祈りの講義の時間、講師が写本を見ながら、黒板に祈りの言葉を書いた。

「あ」

 菜の花が声を上げる。視線が菜の花に集まる。

「先生、そこ違います」

「いや……あってるよ」

「写本が間違ってませんか? 『瘴気を和らげたまえ』じゃない気が」

「ん……。ちょっと待ちなさい」

 講師は、手元の分厚い辞典を開く。

「すまない。『瘴気を安らぎに変えたまえ』だ。間違えやすいんだ、ここは」

「へへへ」

「よく見つけたね」

「何かありそうだな、って思っただけです」

 菜の花は、こういうのを見つけるのが妙に得意だった。


 午前中の最後は、言語の授業だった。

 みんな、そろそろお腹が空いてきている。

「きりーつ、れー!」

 講師が教壇に立つ。白髪まじりの、穏やかな顔つきの男性だ。


「今日は、異世界の言葉の話をしましょう」

 教室がざわめく。異世界の話は、生徒たちに人気がある。


「この世界には、数十年に一度、異世界から人がきます。彼らは高度な知識や優れた能力をもっていることが多い。彼らがもたらしたものは、生活の中にも溶け込んでいます」


 生徒たちは真剣な顔をして聞いている。


「例えば、この学舎の鐘も、異世界人が作ったものです。普段は、ゴーン、ゴーンなのに、お昼だけ『ヌーン、ヌーン』という音に変わるでしょう」

「あれか……」

 生徒たちが顔を見合わせる。


「なぜ昼だけ違う音にしたのか。その理由は分かっていません。ただ、その異世界人は、あらゆる情熱と技術を注ぎ込んで作ったと、記録には残っています」

 なんでだろう。菜の花はぼんやり考える。


「鐘には、異世界の重大な秘密が隠されている。そう考えられ、今でも研究が進んでいます」

「へえ」

 生徒たちの顔が真剣になる。


「異世界の言葉を知ることは、こうした研究に役立ちます。異世界には、いろいろな国と地域があり、中でも日本というところは、資料が多く、比較的よく分かっています」


 講師が参考資料を配り始める。

 一枚の紙が、前の席から順に渡されてくる。


 菜の花の手元に、紙が届いた。

 それを見た瞬間——目が離せなくなった。


 あいうえお

 かきくけこ……


 そこには、やや丸みを帯びた文字が五十ほど、行儀よく並んでいた。

「きれい」

 菜の花はつぶやいた。指先で、そっと文字をなぞる。

 椅子の上で前のめりになっていた。髪の先が、紙の上に垂れている。


「へえ、異世界の文字か」

 隣のリーネが、ちらりと見て言う。後ろのミラも「かわいい形だね」とのぞき込んだ。

 それで終わりだった。教室の他の生徒たちも同じだ。



 菜の花だけが、ずっと、ひらがなを見つめていた。目が、離せなかった。



「はい、今日はここまで。今日のところは試験に出しますよ」

「うぇへ⁉」

 菜の花が、思わず変な声を出す。……全く聞いていなかった。


(ノア、ぼーっとしてたな)

 そんな視線が、教室のあちこちから飛んでくる。


「どうしました? ノア」

「あ、はい、なんでもありません。まったく、全然」


(ごまかした)

(ごまかせたのか?)


「ノア」

「はい!」

「周りの人に教えてもらいなさい」

「ばれてる!」


 笑いが起こる。それでも、菜の花は、ひらがなを見てしまう。


 ヌーン、ヌーン、ヌーン……。

 昼休みの鐘が鳴る。確かに理屈が置きざりにされた音だ。

「これです。不思議でしょう」

 先生が笑った。


 生徒たちが、思い思いに昼食を取りはじめる。

「ノア」

「え?」

 菜の花は顔を上げた。ひらがなを見ていた。


「お昼、いこう」

 リーネとミラが、立ち上がる。

 ノアは、弁当を持ってついていく。この気持ちは、なんだろう。


 昼休み。

 菜の花、リーネ、ミラの三人は、中庭の噴水の近くの石のベンチに腰を下ろした。

 菜の花は、ノナが持たせてくれた弁当を開ける。忘れなくてよかった。


「ねえ、さっきの言語の授業の紙、どうだった?」

 菜の花は、何気ないふうを装って言った。

「ん? ひらがなだっけ」

 リーネがスープをすすりながら答える。

「うん。なんか、すごくない?」

「すごい?」

「なんていうか……上手く言えないけど」

「いや、そんなに……」

 リーネは首をひねる。

「私は、かわいい形だなと思ったよ」

 ミラが言う。

「うん、かわいいよね! すごいよね! 面白いよね!」

 菜の花が食いつく。その勢いにミラがややたじろぐ。

「どうだろう、そこまででは……」


 菜の花は、少しだけしゅんとした。

 ——やっぱり、自分だけなんだ。こんなに気になるのは。



 放課後。足が図書館に向かっていた。

 日本語のことを知りたい。でも、自分でも、なぜこんなに気になるのか分からない。


 図書館は学舎の隣にある。三階建ての、どっしりとした古い建物だ。

 菜の花は、重い木の扉を両手で押して開けた。

 ギィ、という軋む音。


 ページをめくる音と、羽根ペンが紙をこする音が混じり合う。

 菜の花は本棚のあいだを歩いた。日本語の本は、あるのだろうか。


「本を探しているのかい?」

 声をかけられて振り向くと、白髪で丸い眼鏡をかけた男性が立っていた。司書だろう。

「はい……日本語のことを知りたいんです」

「珍しいものを探しているね。こっちだ」

 彼は、迷いなく本棚の奥へと歩いていった。


「私はエルドン。君の名前は?」

「ノアです。正式には『菜の花』と言います」


 司書が振り返った。


「ほう、珍しい音だね」

「花の名前だそうです」

「ふーん、いい名前だ。さ、ここだよ」

 エルドンは、傍らに立てかけられた梯子を引き寄せた。

 ギシギシと音を立てながら、登っていく。


 エルドンは、棚の上段から一冊の本を取り出し、軽く埃を払う。

 ゆっくりと梯子を降りてくると、菜の花に渡した。


「これは、日本語を学ぶための本だ」


 菜の花は本を受け取った。ページを開く。授業で見たのと同じ文字が並んでいる。

 読めない。でも、目が離せない。


「借りてもいいですか?」

「うん、じゃあ、貸出手続きをしよう。期限は二週間だよ」

「はい」


 菜の花は、エルドンに礼を言って、家に帰った。


「ただいま!」

「おかえり」

 ノナが台所から顔を出す。エプロン姿で、手には木べら。額にうっすら汗が光っている。ノナは、ときどき、はっとするほど整った横顔を見せる。


「母さん、私、ちょっと部屋で本読むね」

「分かった。夕食ができたら呼ぶよ」

「うん」

 菜の花は、階段を駆け上がり、自分の部屋に飛び込んだ。鞄を置くのももどかしく、エルドンに借りた本を取り出す。


 最初のページは「使い方」だった。

 ひらがな一覧のあとに、「あ」から始まる基本単語が並んでいる。食べ物、身の回りのもの、動物、草花。たまに、この世界にはないものも混ぜてあるそうだ。

「声に出して、日本語の音を楽しんでほしい」——そう締めくくられていた。


「ふむ」

 菜の花は、次のページをめくる。

 一ページ目には、やわらかい形の文字が並んでいる。その下には、菜の花の世界の言葉で発音の仕方が書いてある。


 二ページ目には、『あ』と大きく書いてあった。

 続いて、『あし』『あさ』『あき』『あじさい』と書かれた日本語の下に、こちらの世界の言葉で、発音と意味が書かれている。

 小さな絵も描いてあるので、楽しい。

 菜の花は、夢中になって読み進める。『いと』、『うた』などが続く。


「『えき』。巨大な鉄の乗り物の発着場。一度に千人近くの人が乗れるものもある。へえ」


『おと』『かぎ』『きく』『くいしんぼう』。

 言葉が続き、菜の花は一つ一つ声に出していく。


「……『とやま』光るイカが生まれる地。神の使いと推測されている……。

 『とう』長く、高い建物。日本では、死者の供養をするために建てられた。へえ」


 日本にも塔があった。でも、聖域の祈りの塔とは、少し目的が違う。

 ページをめくる。『な』のページ。


「『なかま』『なまえ』『なぞ』……『なっとう』日本から来た異世界人はどうしても食べたくなる豆。ふーん、おいしいのかな」


 その次の言葉を見た時、菜の花は言葉を失った。


「……『なのはな』花の名前。春になると小さく黄色い花をたくさん咲かせる」


 何度も見返す。手が震える。心臓の音が聞こえる。

 本を持って立ち上がる。ドアを開ける。階段を駆け下りる。


「母さん! これ見て! すごいよ!」

「なんだい。ちょうど夕ご飯ができたところだよ」

「あのね、『菜の花』って、日本語だった! ほら!」


 ノナは、菜の花を見つめた。そしてうなずいた。


「へえ、よく気づいたね」

「あれ、知ってたの?」


「知ってるってほどのもんじゃないんだけどね。菜の花の名前は、母さんがお世話になった人からもらったって話したろ?」

「うん」

 小さいころから、そう聞かされている。


「え。っていうことは、その人は、日本語が好きだったの?」

「言葉が好きだって言ってたね。中でも日本語が好きだって」

「へえ! そうだったんだ!」

「さあ、夕ご飯にしよう」


 菜の花は、夕食を食べながら今日あったことをノナに話した。

 ノナは、目を丸くしたり、笑いながら聞いていた。



 その晩、菜の花は夢を見た。


 風が吹いた。

 夜なのに、あたりが明るくなった気がする。

 不思議に思って外を見ると、小さく黄色い花が一面に咲いていた。


 黄色い花畑。

 どこでも見たことがない花。けれど、なぜか懐かしかった。

 その花の中で、誰かが笑っている——そんな気がした。

読んでいただき、ありがとうございます。

もし気に入っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると、とても励みになります。


本作は完結まで執筆済みで、全56話・約14.9万文字です。

3/29(日)まで毎日20時に更新予定です。

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