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母の名、子の名、そして菜の花  作者: 劇団だるい
第二章 成人の儀
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二度目の戦い

「異変が、起きた」

 ノナの声が、低くなる。



 ——菜の花が生まれて、三ヶ月ほど経った頃。

 もうすぐ夏になろうとしていた。


 その日の朝、私は異様な気配で目を覚ました。

 空気が、重い。まるで、何かが上から押さえつけてくるような。

 息が、苦しい。


 外に出ると、空が暗かった。太陽は出ているはずなのに、薄暗い。

 封魔の森のほうから、黒い煙が立ち上っていた。

 瘴気だった。


「封印が」

 アルヴィンが、駆け寄ってきた。その顔は、蒼白だった。

「揺らいでいる」


 スオヤラも出てきた。

「……俺たちが封じたはずだろう」

「ああ。でも」

 アルヴィンが、黒い煙——瘴気を指さす。

 封印から漏れ出した瘴気が、空へのぼっている。

「なんで……」

「分からない」

 アルヴィンの声には、困惑があった。


 私は、美咲を探した。美咲は、家の中で菜の花を抱いていた。

 その顔を見て、私は息を呑んだ。

 驚いていなかった。


「美咲」

「……うん。来たね」

 その言葉が、私の胸に突き刺さった。



「来たね」

 菜の花が、震える声で言った。

「美咲さんは、知っていたの?」


 ノナは、言葉を探しているようだった。

「分からない。でも、驚いていなかった。怖がってもいなかった」

 ノナは、続きを話す。



 ——三人が、私のところに来た。

 三人とも、武装していた。

 アルヴィンは剣を、スオヤラは盾を、美咲は杖を。


「ノナ」

 アルヴィンが言った。

「俺たちは、森に行く」

「……」

「封印を、もう一度やり直す」


 私は、その先に言われることが分かっていた。

 分かっていた。私には、ついていく力がない。戦えない。守れない。

 私にできることは、ない。


「ノナ」

 美咲が、私のところに来た。腕の中には、菜の花がいる。

 小さな、小さな赤ん坊。まだ、三ヶ月しか生きていない命。


「お願い。この子を」

 美咲は、菜の花を私に差し出した。

「美咲……」

「ノナにしか、頼めない」

 美咲が、私を見つめている。口がまっすぐに結ばれていた。


「ノナに、お願いがあるの」

「……何」


「この言葉を、菜の花に届けてほしい。『菜の花の母の名はノナ』って」


 その時、美咲は、私たちの言葉で言ったんだ。

「菜の花の母の名はノナ」って。私は、首を振った。


「なんで、そんなこと」

「私の想いを届けるため」


 ——そんなの、自分で言いなよ。

 私は、菜の花の母じゃないよ。母は、美咲だろ。

 でも、言葉にならなかった。


「お願いね」

 美咲は、行こうとした。

「待って」

 私は、美咲の手をつかんだ。

「なんで、そんな、まるで、帰ってこないみたいな」

「ノナ」

 美咲は、静かに言った。

「お願い」


 私は、美咲の目を見た。

 美咲には見えている。私には、見えない何かが。そう思った。根拠はない。

 私は、その手を離せないまま、言った。


「美咲、教えて」

 声が、震えた。

「何が起きるの」

「……」

 美咲は、答えなかった。ただ、静かに微笑んだ。


「ノナは、優しいね」

「答えてよ……」

「だから、この子を預けることができる」


 美咲は、私の手をそっと外した。そして、菜の花を私の腕に預けた。

 小さくて、温かい。柔らかくて、愛おしい。


「分かった。必ず、この子に届ける」

 私は、菜の花を抱きしめた。


「でも、条件がある」

 私は、美咲を正面から見つめた。

「私は、この子に、『菜の花の母の名はノナ』って言う前に、必ず、『菜の花は美しく咲く花の子』と言う」

 美咲も、私を見つめていた。

「これは、引き受けるための条件じゃない。私が、そうしたいから、そうする」


 美咲は、微笑んだ。泣きながら、微笑んだ。

「ありがとう、ノナ」

 それから、美咲は菜の花の額に、そっと唇をつけた。


「私の、大切な、菜の花」


 美咲は、振り返った。

 アルヴィンとスオヤラが、待っている。


「行こう」

 アルヴィンが言った。

 三人は、歩き出した。黒い煙が立ち上る、あの森に向かって。



「私は、村に残って三人を見送った」

 ノナの声が、かすれていた。

「菜の花を抱いて、ずっと見ていた。三人の背中が、小さくなっていくのを」



 ——帰ってきて。

 帰ってきて。

 心の中で、何度も何度も、祈った。


 それから何時間経っただろう。

 私は、ずっとハノの棲み処の方向を見つめていた。

 菜の花に乳を与え、おむつを替え、寝かしつけて、また、森を見た。


 一日が過ぎた。

 二日が過ぎた。

 三日目の朝。


 空から、白い光が森を突き刺した。

 眩しいくらいの、白い光。アルヴィンの結界の光だ。

 それから、金色の光——美咲の浄化の力が降ってくるのが見えた。

 私は、思わず立ち上がった。

 封印が、成功したんだ。


 でも。

 光が収まった後、誰も戻ってこなかった。


 私は、菜の花を村の人に預けて、森に向かった。

 走った。

 転んで、膝を擦りむいて、それでも走った。


 森の奥の洞窟は、暗い口を開いていた。

 中は、静かだった。

 瘴気は、もう感じない。

 封印は、成功したんだ。


 私は、洞窟を走った。

 奥まで、もっと奥に。

 息が切れる。足が痛い。でも、止まれない。


 最奥に着いた時——



 そこで、ノナは、言葉を切った。

 菜の花は、息を止めて、ノナを見つめていた。



 ——私は、膝から崩れ落ちた。


 アルヴィンは、もう動かなかった。

 剣を握ったまま、仰向けに倒れていた。

 その顔は、穏やかだった。


 スオヤラは、盾を構えたまま倒れていた。

 アルヴィンと美咲を守るように、二人の前に立って。

 最後まで、仲間を守ろうとしていたんだ。

 盾と体には、無数の傷があった。


 そして、美咲は。

 美咲は、まだ、息があった。

読んでいただき、ありがとうございます。

もし気に入っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると、とても励みになります。


本作は完結まで執筆済みで、全56話・約14.9万文字です。

3/27(金)まで随時に更新予定です。※更新スケジュールを変更しました。

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