美咲との夜話
「アルヴィンとスオヤラが寝た後、美咲と私の二人で焚き火の番をしていたんだ」
「二人だけで?」
「うん。アルヴィンは、いびきをかいて寝てた。スオヤラは、それ以上の音を出してた」
「うるさそう……」
「うるさかったよ」
——いろんな話をしたよ。
美咲がセミの話を解説してくれた。少し、算術に興味がでた。
その後、旅の出来事を思い出して盛り上がった。
「おぱんちゅのゆーしゃさま」って言ってた子は元気かな、とかね。
それから、ふいに、話題が途切れたんだ。
星が静かに瞬いていて、虫の声が遠くで聞こえていた。
星を見上げながら、美咲がふと言った。
「ねえ、ノナ」
「ん」
「私の故郷には、面白い言葉遊びがあるんだ」
「言葉遊び?」
「うん。『回文』っていうんだけど」
「カイブン?」
「最初から読んでも、最後から読んでも、同じになる言葉のこと」
私は、首をかしげた。
「どういうこと?」
美咲は、地面に木の枝で文字を書いた。
文字が、ぐるっと、環のように並んでいた。
私には読めない、不思議な形の文字だった。
「これは、『私、負けましたわ』って読むの」
聞いたことのない音だった。一音一音、丁寧に区切られている。
「わ、わた、ま?」
「わ、た、し、ま、け、ま、し、た、わ」
美咲は、木の枝で文字をさしながら、ひとつひとつの音を教えてくれた。
「最初から読んでも、最後から読んでも『わたしまけましたわ』。すごいでしょ」
「……おお、本当だ」
私は、感心した。
「面白いね」
「でしょ?」
美咲は、嬉しそうに笑った。
「これ、どういう意味なの?」
「『私は、あなたに負けましたよ』っていう意味だよ」
「あははは。そりゃ、今にぴったりだ」
「そうかな」
「魔王もさ、これくらい完ぺきに『負けました』って言ってくれたらいいのに」
「どうかな……私たちは、あの子を倒せなかったからねえ」
あははは、と美咲は笑った。
「私が弱いからだね」
「美咲が弱かったら、私はどうなるのさ」
「回文ってね」
美咲は、空を見上げた。
「終わりが始まりにつながって、始まりが終わりにつながって、ぐるぐる回って、どこまでも続いていくんだよ」
「ああ、そうだね」
美咲は、地面を見た。
「私の故郷ではね、丸いもの、円の形は、『完全であること』や『連続していること』を意味することが多いんだよね」
「ああ、それは、こっちもだいたい同じだ」
満月草を思い出す。へこんだ状態から、体調を戻す効能。
「だから、回文は、大切な想いを込めるのにぴったりなんだよ。言葉が、ぐるぐる回って、ずっと消えないから」
正直、その時はピンと来ていなかった。
でも、美咲が大切そうに話していたから、何か意味があるんだろうと感じた。
菜の花は、しばらく声が出せなかった。
「……美咲さんが、回文のことを」
菜の花の声が、かすれた。
「そう。あの夜、私は初めて『回文』というものを知った」
ノナは、静かに言った。
「でも、その時は、それがどんな意味を持つのか、分かっていなかった」
暖炉の火が、揺れている。
「美咲さんは、何で回文の話をしたんだろう」
「分からない」
ノナは思い出すように上を見ながら言った。
暖炉の火が、二人の顔を照らしている。
「続きを、聞かせて」
「うん。回文の話の後……」
ノナが、静かに続けた。
——美咲が、ふと言った。
「ねえ、ノナはこの旅が終わったら、何がしたい?」
「分からない。旅が終わることなんて、考えたことなかった」
「だよねえ。今日のことを考えるので精一杯だった」
美咲が笑った。
「私は、小さな家でのんびり暮らしたいな。庭に『菜の花』を植えて」
「え? 今なんて言ったの?」
私は、突然出てきた異世界の言葉を聞き取れなかった。
「な、の、は、な。私の故郷の花だよ。黄色くて小さい花がたくさん咲くんだ」
美咲は、嬉しそうに、目を輝かせながら話した。
「一面に咲くと、黄色い絨毯みたいになるんだよ」
「へえ」
私は、その光景を想像した。
黄色い花が一面に広がっていて、風に揺れて光っている。そんな光景が浮かんだ。
美咲は、遠い目をしていた。故郷を思い出しているんだなって、思った。
でも、美咲は寂しそうな顔じゃなかった。
「この世界でも菜の花を育てたいんだ。私の新しい故郷だから」
「……うん、いいね」
「でも、ないんだよねえ。旅の途中、けっこう探したんだけど」
「ああ、だから、草とか花をよく見てたんだね」
「うん」
「どっかに咲いてないかなあ……」
「そういえば、あの村で美咲が咲かせた花は?」
「ああ、あれは——」
美咲が恥ずかしそうにうつむく。
「違う花だよ。黄色いけど、一輪の花でしょ」
「そういえば」
「菜の花は、小さな花がたくさん咲くんだよね」
「そうか。見つかるといいね」
私は、焚き火に枝を放り込む。
「あのね、ノナ。私、実現したいことがあるんだ」
「実現したいこと?」
美咲は、頬を少しだけ赤くした。
「もし、私に子どもができたら、『菜の花』って名前をつけたい」
菜の花は、息を呑んだ。子どもの名前に『菜の花』。
ノナは、菜の花を見つめながら、ゆっくりと続きを話した。
——私は、聞き返した。
「異世界の花の名前を、子どもに?」
美咲は、大きくうなずいた。
「うん。菜の花みたいに明るくて、元気で、みんなを幸せにする子に育ってほしい」
いいな、って思った。本当にそう思った。
だから、ちょっと意地悪したくなったんだ。
「でも、こっちの言葉では、ちょっと言いにくいよね」
「えええ? いいねって言ってよう」
「呼びやすい名前ってのも、大切だ」
「確かに……こっちの人には『ノァヌァノ』みたいな発音になっちゃうよね」
「だろ?」
美咲はうろたえてた。そのことは考えてなかったみたいだった。
「で、でもさ、菜の花って……そうだ、日本語だと特別な意味があるんだよ!」
「へえ、どんな意味?」
「『菜』は、野菜の菜。『花』は、お花の花。食と美、両方を兼ね備えてる」
「食と美を兼ね備えた……?」
なんだか雲行きが怪しくなってきた。
「そうそう、食と美! それでね……」
美咲が、ふと黙り込む。
「……それで、私は何を言いたかったんだろう?」
私は笑った。
「ごめんごめん、意地悪だった。いい名前だと思うよ」
「ほんと?」
「言いにくい名前なんて気にしなくていい。そういう人は、山ほどいる。言いにくければ『ノア』とか愛称で呼ばれるようになるよ」
「ノア、か。きれいな音だね。意味もいい」
「へえ、どんな意味?」
「私の故郷の世界の、ある地域の言葉で、『心のおもむくままに』」
菜の花は、暖炉の火を見つめていた。『ノア』の愛称がこんな風に話されてたなんて。
「いい名前だ。そう思ったよ」
ノナが、しんみりと言う。
「本当に?」
「本当に」
暖炉の火が、揺らめく。
「そしたら、美咲が……」
ノナの声が途切れた。菜の花は、黙って待つ。
——私の手を取った。
「子どもが生まれたら、一緒に遊んでね?」
「うん。いいよ」
美咲は、本当に嬉しそうな顔をした。
「菜の花を見つけて、菜の花畑を作ろう。
そして、『菜の花』とノナと私で、遊ぼう」
あの時の美咲の顔が、忘れられない。
未来を見ている顔だった。
ノナの声が、途切れた。
まだ寒い春の夜に、暖炉の火だけが、パチパチと音を立てていた。
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本作は完結まで執筆済みで、全56話・約14.9万文字です。
3/27(金)まで随時に更新予定です。※更新スケジュールを変更しました。




