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母の名、子の名、そして菜の花  作者: 劇団だるい
第二章 成人の儀
24/54

ノナ

「一番情けなかったのは、私かもしれない」

 ノナは、視線を落とした。暖炉の火が、その横顔を照らしている。


「母さんが?」

「うん。ある町での出来事だ。春に出発した旅も、冬が過ぎて、また春になっていた」



 ——私は、一人で市場に買い出しに行った。

 町でみんなが休んでいる時間は、私にとって仕事の時間なんだ。


 逆に、みんなが魔物と戦っているときは、私は隠れてるしかないからさ。

 せめて買い出しだけはしっかりやるんだっていう気負いがあったんだ。

 ポーターだからね。


 とても大きな市場だった。

 人でごった返していた。いろんな店があって、匂いもごちゃごちゃしてた。

 私は、必要なものを次々と買った。

 パン、干し肉、乾燥させた野菜、薬草……それを、収納の魔法でしまっていくんだ。


 すべて買い終えて、さあ戻ろうと思った時だった。


「あれ……宿屋、どっちだっけ?」

 私は、迷子になってた。


 市場は、迷路のように入り組んでいた。細い路地がたくさんあって、どこも似たような景色だった。どこを曲がったか、全く覚えていなかった。

 焦った。まだ明るかったのに、目の前が真っ暗になった気がした。

 でも、誰にも聞けなかった。



 菜の花が不思議そうな顔をする。

「誰かに道を聞けばいいんじゃない?」

 ノナは笑った。

「できなかった」

「なんで?」

「恥ずかしくて」

「別に、知らない町で迷子になっても、恥ずかしくはないよ」

「ポーターは、普通、迷子にはならないんだ」

「えええ?」

 菜の花は驚く。

「母さんはちょくちょく迷子になってるでしょ。薬草採りに行くときとか」

「あはは、それは私がポンコツだからだよ」

「いや、そんなことはないけど」

「あるんだ」

 ノナは、また語り出した。



 ——『運搬』の力は、二つに分けられる。


 荷物をしまう『収納』の力と、届け先まで届ける『到達』の力だ。

 一つ目が、『収納』。物を魔法の空間にしまい込んで、たくさん運ぶ能力だね。


 私は、『収納』のほうが得意なんだ。でも『到達』がものすごく弱い。

 どこに行ったら、どうなるのか、今でも全然分からない。


 私は、当てもなく歩き回った。どこかで見たことのある景色を探して。でも、どんどん知らない場所に行ってしまう。

 怖かったよ。


 日が暮れ始めた。不安が、どんどん大きくなった。ポーターなのに迷子。

 みんな、困ってる。荷物は全部、私の収納空間だ。でも、どうやって戻ればいいか分からない。路地裏で、私は座り込んだ。もう、歩く気力も尽きていた。



 菜の花は、静かに聞いていた。

 暖炉の火が、パチリと音を立てた。


「で、どうしたの?」

「泣いた」

 その言葉は、静かだった。


「情けなくて、悔しくて、怖くて。涙が止まらなかった」

 ノナは、暖炉の火に目を移す。炎がゆらゆらと揺れている。



 ——泣くようなことじゃない。昔から私はそうだった。

 でも、一度涙が出てしまったら、もう止まらなかった。


 子どもみたいに泣いた。涙も鼻水もぐちゃぐちゃだった。

 誰も声をかけてくれなかった。そりゃそうだよ。怪しいもの。


 空が、どんどん暗くなっていった。

 それでも、私は、膝を抱えて座って、ずっと泣いてた。


「ノナ!」

 声が聞こえた。


 振り返ると、美咲がいた。走ってたのか、息を切らしてた。

「ノナ、どこ行ってたの!」

「……」

「みんな心配してたんだよ? 帰ろう?」

「帰らない」

「え?」


 私は、ずっと思ってたことを、美咲に伝えることにした。


「美咲、私は、仲間を抜ける」

「え?」


「私は、ただでさえ、戦いもできないお荷物だ」


「そんなことないよ。ノナがいなかったら、私たちは旅ができないんだよ?」

「できるよ! 収納もできて、到達の力もあるポーターに替えればいいだろ⁉」

「やだよ! 絶対そんなのだめだよ!」

「なんでだよ、迷子になるポーターなんて、聞いたことないだろ!」


「ノナ!」

 美咲が、私を抱きしめた。


 ずいぶん長いことそうしてた。頭をなでられた。恥ずかしいだろ。街中で。


「つらい思いをさせてごめんね。でも、ノナじゃなきゃだめなの」


 美咲は、私に手を差し出した。

「帰ろう?」

 何でだろうね、私は、その手をつかまないという選択も、できたはずなんだ。

 でも、私はその手をつかんだ。つかみたかった。



 菜の花は、その場面を想像する。

「美咲さんは、優しい人だね」

「うん」

「私たちはさ、手をつないで帰ったんだ。子どもみたいにさ。恥ずかしかったよ」

「あははは」

「美咲が離してくれないんだ。『仲間を抜けないって約束するまで絶対離さない』って。けっこう頑固なんだよ」

 なんだか、美咲さんらしい。会ったことがないのに、そう思った。

 ノナがまた、語り始める。



 ——もう暗くなってた。

 宿まで、ずっと手をつないで帰った。「抜けないよ、大丈夫だよ」って言ってもよかったんだ。でも、まあ、今は言わなくていいかなって思った。


 美咲がつぶやいた。

「見つかってよかった」

 そして笑った。

「一人ぼっちは、怖いよね」


 ああ、そうか。

 美咲も、この世界に来た最初は、一人ぼっちだったんだ。

 知らない世界で、言葉も分からないし、道も分からないし、ずっと怖かったんだ。

 そんな気がした。気がしただけだけどね。


 私は、また泣いた。ぽたぽた、ぽたぽた涙がこぼれた。止まらなかった。

 美咲は、ずっと『大丈夫、大丈夫』って背中をさすってくれた。


「よし。ノナ、麺を食べに行こう」

「ん?」

「こういう時は、麺だよ」

「あ、ああ」


 私たちは、麺を食べに行った。

 確かに、おいしかったよ。気持ちがほどけていった。


「ふんふふーん」

「それ、何?」

「ん? これは麺の夜唄だよ」

「なにそれ」

「麺がおいしいときに歌うんだよ」

「美咲はさ……変だよね」

「そうかな?」


 あの時の麺の味は、忘れられない。潮風の香りがして……もう一度食べたいね。


 私たちは夜遅くに帰った。まだ手をつないだままだった。

 宿屋に着くと、アルヴィンとスオヤラが待っていた。



 菜の花は、麺の夜唄をよく知っていた。

「母さんもたまに歌っているやつだ」

「私にも、すっかりうつっちゃったよ」

「そういえば、私もだ」

「なんか、中毒性があるんだよ。麺の夜唄は」

「分かる」

 二人は笑った。


「宿に帰って、どうなったの?」

「何事もなかったよ」

「全然?」

「うん。アルヴィンは笑って『おかえり、ノナ』って」

「それだけ?」

「うん、それだけ」


「ちなみにスオヤラは、酔っぱらって大笑いしてたね」

「ひどい!」

「『ノナ、ポーターなのに迷子って、逆にすごいぞ?』って」

「もうちょっと言い方ってもんが」

「あははは。でも、そっちのほうがよかったよ」

「うーん? まあ、そうかも」

「最後、こう言ってたね。『道に迷うポーターとか、盾を川で泳がせる盾士と同じじゃねえか! 仲間だな! はっはっは!』って」


「……いい仲間だね」

 菜の花がつぶやいた。


 ノナは、暖炉の火を見つめている。

「うん、本当に、いい仲間だった」


 暖炉の火が、小さくはじけた。

 二人は、しばらく黙って火を見つめていた。

読んでいただき、ありがとうございます。

もし気に入っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると、とても励みになります。


本作は完結まで執筆済みで、全56話・約14.9万文字です。

3/27(金)まで随時に更新予定です。※更新スケジュールを変更しました。

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