夜
その夜。
ノナは、金色の菜の花を見て少し目を丸くしただけで、何も言わなかった。
「夕食にしよう」とだけ言った。
こんな気分で食べるご飯なんて、と思ったが、おいしかった。
窓の外は、もう真っ暗だ。星が、いくつか瞬いている。
暖炉の前で、ノナと菜の花が向かい合って座っている。
火が、パチパチと音を立てて燃えている。橙色の光が、二人の顔を照らしている。
「聖女だと言われて、驚いた?」
「すごく。でも、母さんは……驚いてないみたいだね」
「……そうだね、そうなる気がしていたよ」
ノナは、暖炉の火を見つめた。その横顔には、複雑な感情が浮かんでいた。
二人とも、何も言わなかった。
「母さん」
菜の花が、口を開いた。
「今日、シオナ様に、美咲さんのこと聞いたよ」
「そう」
「日本から来て、聖女で、魔王を封印した人。名前の意味は、『美しく咲く』だって」
「うん」
菜の花は、ノナを見つめた。
「……菜の花は、美しく咲く花の子って、どういうこと?」
ノナは、ため息をつく。
「よく気づいたね」
「うん」
「それは、私が考えたんだ」
「え?」
「日本語はよく分からなかったけど、美咲の名前の意味くらいは知ってたからね」
「それって、どういう……」
「うん。順番に話すよ」
ノナは、大きく息を吐き出した。それから、菜の花の目をまっすぐ見た。
「私が、美咲と旅をしたときの話を」
その目には、決意があった。
「これから話すのは、二十年ほど前の話だ」
ノナは、膝の上で手を組んだ。
「魔王が世界を壊して、森が枯れて、人が倒れて。あの頃は、息をするだけで苦しかった」
菜の花は、黙って聞いている。
「誰もが絶望していた。そんなときに——一人の勇者が現れた」
「勇者……」
「名前はアルヴィン。その時は二十三歳だったかな。強くて、誠実な男だった」
ノナの目が、遠くを見ている。
「彼は、魔王を倒すために仲間を集めた」
「仲間……」
「仲間は四人」
ノナは指を折った。
「勇者アルヴィン。剣は一流、でも抜けてる」
「聖女の美咲。異世界から来たばかりなのに、浄化の力はすごかった」
「盾士スオヤラ。でかい、笑う、飲む。守りは鉄壁」
最後に、ノナは四本目の指を折る。
「……そして、私。運ぶだけのポーターだ」
「うん」
「おや、気づいてたかい」
「それしか、答えがないから」
「成人の儀で、『運搬』の力に目覚めたってのは話したね。私に戦う力はない。収納の魔法が使えるけど、それだけだよ」
ノナは、少しだけ寂しそうに笑った。
「どうして、母さんが、仲間に入ったの?」
「仕事で、美咲の荷物を運んだことがあるんだよ。そのときに、いろいろ聞かれてさ、後日、美咲がやってきて、『ノナの力が必要だから、一緒に旅についてきて』って」
「ふーん……」
ポーター自体は珍しくない。なぜ、母さんだったのか。
暖炉の薪が崩れて、火の粉が舞った。橙色の光が、揺れている。
「今日みたいな春の日だったね。四人で、旅に出た」
ノナの声が、少しだけ遠くなる。
「魔王を倒すために。人々を救うために」
これは、勇者と聖女の物語だ。でも、今夜聞く話は、今までとは違う。おとぎ話じゃない。
ノナが実際に体験した、本当の話だ。
「どんな旅だったの?」
菜の花が、小さな声で尋ねた。
ノナは、少しだけ微笑んだ。
そこには、懐かしさと、悲しさと、そして温かさが混ざっていた。
「長くて、辛くて——楽しい旅だったよ」
暖炉の火が、また一つ、パチリと音を立てた。
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本作は完結まで執筆済みで、全56話・約14.9万文字です。
3/27(金)まで随時に更新予定です。※更新スケジュールを変更しました。




