聖堂
フィルネの聖堂は、厳かな空気に包まれていた。
聖堂の扉の前には、成人の儀を受ける若者たちが集まっていた。若者たちは硬い顔で立っている。見届けに来た家族も、心なしか緊張しているようだ。
ノナは来ていない。「家で待ってる」と言った。
「菜の花!」
リーネとミラが手を振っていた。駆け寄ると、ミラが菜の花の顔をのぞき込む。
「緊張してる?」
ミラが、にこにこしながら聞いてくる。
「うん」
菜の花は、正直に答えた。
「私も」
リーネが、胸に手を当てる。
「心臓がバクバクする」
「リーネでも緊張するんだ」
「当たり前だよ。一生に一度の儀式だよ?」
リーネの手が、スカートの裾をぎゅっと握っていた。
三人は、聖堂の入口で、列に並んで立った。
周りには、同い年の参加者がたくさんいる。知っている顔もあれば、知らない顔もある。みんな、同じように落ち着かない様子だった。
「どんな力に目覚めるのかな?」
ミラが、小声で聞いてくる。
「私はやっぱり、巫女様になりたいなあ」
「狭き門だよ?」
「分かってるけど、夢は大きく」
ミラは、聖堂を見上げる。
「リーネは?」
「私も変わらない。火の魔法がいい」
リーネは、きっぱりと言った。
「山賊をドカーンってやっつけたい。商人の娘だから」
「菜の花は?」
二人の視線が、菜の花に集まる。
「私は……うーん」
菜の花は、少し考えた。
よく分からない。本当のことを言えば、日本語を研究したい。それだけだ。
ただ、今朝ノナが言った言葉が、ずっと頭に残っている。
「何が起きても、菜の花が感じたとおりにしなさい」
それが、何を意味するのか。
今夜、分かるはずだ。
「まあ、すごい力に目覚めなくても、普通に暮らせるしね」
菜の花は、曖昧に答えた。
「パン屋さんでも、薬師でも」
「菜の花らしいね」
リーネが、笑った。
やがて、聖堂の扉がゆっくりと開いた。中から、凛とした空気が流れ出してくる。
「入りなさい」
扉の向こうに立つ神官が、若者たちを手招きした。
若者たちは、一列になって中に入る。
「わあ」
太い柱と長椅子が整然と並び、天井は高い。
ステンドグラスの光が、床に紅や瑠璃の帯を落としている。その中で埃が輝いている。
「……きれい」
菜の花は思わずつぶやく。
「きれいだね」
ミラが上を見ている。
「……埃だけどね」
リーネが小声で言う。ミラは否定せず、まだ天井を見ている。
「でもさ」
リーネが続けた。
「いつか成人の儀を思い出すときにさ、『埃がきれいだった』って言いそう」
「なにそれ」
——でも、そうかもしれない。菜の花は、光の中の埃をもう一度見上げた。
最奥の祭壇には、聖職者が立っていた。シオナ。この聖域を取り仕切っている。
白い法衣をまとった女性。四十後半から五十くらいだろうか。白い髪を後ろでまとめ、背筋がまっすぐ伸びている。
「ようこそ、若者たち」
シオナの声が、聖堂に響く。低く、落ち着いた声だ。それでいて、隅々まで届く。
「今日、あなた方は成人となり、自分の力が何か知ることになります」
若者たちは、緊張した面持ちで聞いている。
シオナは、若者たちを見渡した。
「今日は、各地の聖堂でも成人の儀が行われています。成人の儀でこんなことを言うのは、私くらいなのですが」
そう前置きをして、シオナは続けた。
「私は、力は、『目覚める』ものではなく、『与えられた』ものだと感じています」
菜の花は、シオナをじっと見つめる。
「ただ、その力は、『できること』でしかありません。あなた方が『やりたいこと』や『なすべきこと』とは別です」
シオナは若者たちを見渡した。
「力が役に立つなら使えばいい。役立たないなら、新しい力を身につければいい。今日決まるのは、その程度のことです」
意外なほど柔らかく、シオナは笑った。
「気楽になさい」
儀式が、始まった。
「一人ずつ、祭壇に進みなさい」
最初の若者が歩き出す。足音が、石の床に響く。
若者が祭壇の前に立つと、シオナが手をかざす。祝福の言葉を唱える。
淡い金色の光が、若者を包む。
数秒間、若者の体が輝いて、すっと引いた。
「何の力でしたか」
シオナが尋ねた。
「はい、『洞察』の力でした」
「良い力です。役立てなさい」
「はい、そうしたいのですが……」
若者は、残念そうな顔をする。
「その力を使うと、その人の誕生日が分かる、というものでした」
「ふふふ、素晴らしい力ですね。きっと、あなたを助けますよ」
「そうでしょうか」
「はい。相手のことを知ろうとする。それが、この力の本質のように感じます」
「……分かりました」
「祝福を。あなたの人生に幸多からんことを」
それから何人もが祭壇へ進み、光に包まれて戻ってきた。
シオナは、一人ひとりに祝福の言葉をかけ、背中を押した。
「次、リーネ」
やがて、リーネの名前が呼ばれた。
「行ってくる」
リーネは、菜の花とミラに小さく手を振って、祭壇に向かった。
背筋を伸ばして、堂々と歩く。さすがリーネだ、と菜の花は思った。緊張しているはずなのに、それを見せない。
リーネが祭壇の前に立つ。
シオナが手をかざすと、光がリーネを包む。
その瞬間——リーネの手に、小さな火が灯った。
「おお」
会場が、どよめいた。リーネの手のひらの上で、橙色の炎がゆらめいている。
小さいけれど、それは火だった。
「火の力ですね」
シオナが、微笑んだ。
リーネは、驚いた顔で自分の手を見つめている。それから、ぎゅっと拳を握った。
「大きな力です。気をつけて使いなさい。……祝福を」
リーネは、呆然としながら礼をして、下がった。
菜の花たちのところに戻ってくると、リーネの手が震えていた。
「火、出た……」
「すごい、リーネ!」
ミラが、小声で興奮している。
「やったじゃん!」
「うん……」
リーネは、まだ信じられないという顔をしている。
「次、ミラ」
「行ってくる!」
ミラは、意気揚々と祭壇に向かった。
シオナが、手をかざす。
光がミラを包むと、いくつもの水滴が浮かんだ。
水滴は一か所に集まり、凍った。そこには、小さな盾が浮かんでいた。
「水の力です。守りに特化したものでしょう」
シオナが言った。
「……あれえ?」
「別の力が良かったですか?」
「はい、祈りの力をいただきたかった……です」
「巫女になろうとしていたのですね。ありがとう」
「はい……」
「ミラの力は、素晴らしいものですよ」
「それは、あの、そうなのかもしれませんが……その」
「うふふ、巫女の衣装を着たかったの?」
「うっ……はい」
「たまにいるのです。そういう子が」
「すみません」
「貸してあげます。本物ですよ」
「そんな簡単に貸していいんですか?」
「かまいません。ただの服だもの」
シオナは、いたずらっぽく笑った。
シオナから、祝福の言葉をもらい、ミラは戻ってきた。
「巫女、なれなかった」
ミラは、唇をきゅっと結んだ。
「ミラ……」
菜の花は、どのように声をかけて良いか、分からなかった。
リーネも、声をかけられないでいる。
「まいっか」
「ええ?」
「よく考えたら、私、巫女の衣装着てみたかっただけだ」
「えええ?」
「衣装は、貸してくれるって言ってたしね。なら、いいや」
「まあ、ミラがいいなら……」
「それに、水……の守り? 何かには役立つでしょ」
ミラがからからと笑うと、リーネも笑った。
「リーネは火でしょ。たぶん、攻撃が得意だよ。私は水の守りだから、最強だよ」
「うん、最強だ」
「すごい」
菜の花は、小さく拍手をした。リーネとミラ、二人ともすごい力に目覚めた。
私は、何だろう。『探求』とか『発見』の力だったら、日本語研究者になれるだろうか。
拍手をしながら、菜の花の手のひらだけが、冷たかった。
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本作は完結まで執筆済みで、全56話・約14.9万文字です。
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