春、成人の儀の朝
冬が終わり、春が来た。
早朝の光が、窓から差し込んでいる。菜の花は、その光で目を覚ました。
いつもより少しだけ早い目覚め。でも、不思議と頭はすっきりしていた。
今日は、成人の儀だ。
「菜の花ー、起きてるー?」
一階からノナの声が聞こえる。
「起きてるよ!」
菜の花は、ベッドから起き上がった。髪がひどいことになっている。
窓の外を見る。空は澄んでいて、春の風が木々を揺らしている。
回文のことを問いただしたあの夜から、三ヶ月が過ぎた。
——菜の花が十五歳になって、成人の儀が終わったら。ノナはそう言った。
長かった。
菜の花は、深呼吸をした。今日だ。母さんが答えを話してくれる。
鏡の前に立つ。十五歳の自分が、そこにいる。
長い金色の髪。少しだけ、大人びた顔。
「……よし」
小さくつぶやいて、部屋を出た。階段を降りると、食卓にノナが座っていた。
いつもと同じ、朝の風景だ。焼きたてのパンに温かいスープ。それにヨーグルト。
ただ一つ違うのは、包みが一つ、真ん中に置かれていることだった。
「おはよう、菜の花」
「おはよう」
「成人の儀、おめでとう」
「ありがとう」
ノナが、小さな包みを差し出す。
「開けてみて」
菜の花は、包みを手に取った。布で丁寧に包まれている。
ゆっくりほどく。
「わあ……」
中には、銀色の髪飾りが入っていた。小さな蝶の形をした飾りがついている。
指先で触れると、ひんやりと冷たい。朝の光を受けて、ちらちらと光が動く。
「きれい……」
「気に入ってくれた?」
「うん、すごく」
菜の花は、髪飾りを手に取って、いろんな角度から眺めた。
「これ、どこで買ったの?」
「買ってない」
「え?」
「昔、作ったんだよ」
「え、母さんが?」
「旅をしていた頃にね」
ノナは、少し照れくさそうに笑う。
「ありがとう、母さん。大切にする」
それから、二人で朝食を食べ始めた。いつもと変わらない、朝の時間。
でも、どこか空気が違った。パンをちぎる音が、いつもより大きく聞こえる。
「今日」
ノナが、ふと言った。
「うん」
「菜の花には、どんな力が目覚めるんだろうね」
「どうかな。私、特別な力なんてない気がするんだけど」
菜の花は、スープを一口飲んだ。
「ミラは祈りの力に目覚めて巫女になりたいんだって。リーネは火の魔法」
「菜の花は?」
「私は……日本語をもっと深く知りたい」
「うん」
「でも、まあ、何でもいいよ。パン屋さんとか。薬師もすごく面白そう」
「……そう」
ノナは、少しだけ微笑んだ。
「菜の花」
「ん?」
「今日、何が起きても、菜の花が感じたとおりにしなさい」
「え?」
菜の花は、スプーンを止めた。
「どういうこと?」
ノナは、すぐには答えなかった。スープの湯気が、二人の間でゆらゆらと揺れている。
「今夜、話すよ」
ノナは、菜の花の目をまっすぐ見た。
「約束したからね。十五歳になったら」
心臓の鼓動を感じる。
「待ってくれてありがとう、菜の花」
ノナの声は優しくて、でも少し震えていた。
「……うん」
それ以上、何も言えなかった。
朝食を食べ終えて、菜の花は身支度を整えた。今日もらった銀の髪飾りをつけた。
鏡の中の自分が、少し大人っぽく見える。
「似合ってるよ」
後ろから、ノナの声。
「ありがとう」
菜の花は微笑んだ。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
ノナが、玄関まで見送りに来た。エプロンをつけたまま、サンダルをつっかけて。
扉に手をかけたとき、菜の花は振り返った。
「母さん」
「ん?」
言いかけて、菜の花は飲み込んだ。
ノナは、いつもの穏やかな笑顔だった。
菜の花は、手を振った。それから、聖堂へと続く道を歩き始める。
成人の儀。私は、どんな力に目覚めるんだろう。
今夜ノナが話してくれるのは、どのようなことなんだろう。
風が、髪飾りを揺らした。土と草の匂い。どこかで、花が咲いている。
成人の儀が、始まろうとしていた。
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本作は完結まで執筆済みで、全56話・約14.9万文字です。
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