表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
母の名、子の名、そして菜の花  作者: 劇団だるい
第一章 菜の花
11/55

 菜の花は、リーネとミラと市場で遊んでから家に帰った。


 ノナは台所で夕食の仕度をしていた。

 木べらが鍋肌に当たる音が聞こえる。野菜を煮込む甘い匂いがする。


「ただいま」

「おかえり」

「薬草、買ってきたよ」

 菜の花は、鞄から布袋を取り出してノナに渡す。


「ありがとう。助かるよ」

 ノナは袋の中をのぞき込み、満足そうにうなずいた。


「『夜になっても葉が閉じない夜眠り草の葉っぱ』の効能は、『ギンギン』だって……」

「ああ、そっちの効能もあるけどね。今回は別の効能を使うんだ」


「どんな効能?」

「うーん、『打破』かな。打ち勝つ力」

「何それ」

「気力の底上げをする効果だ。病気やケガには、最後は気力が重要なんだ」

「へえ」

「まあ、『ギンギン』も『打破』も根っこは同じなんだけどね」

「ふーん。で、何を作ろうとしているの?」

「秘密だよ」

 相変わらず、徹底している。


「母さん、私、ちょっと部屋で勉強してくるね」

「分かった。夕食ができたら呼ぶよ」

「うん」

 菜の花は、階段を駆け上がり、自分の部屋に飛び込んだ。


 ノートを開き、羽根ペンを手に取った。


「菜の花、夕食できたよ」

 ノナの声で、時間が一気に戻ってきた。


「うん、今行く!」

 慌てて階下に降り、菜の花は席に着いた。


「いただきます」

 菜の花は、スープを一口飲む。温かくて、優しい味。でも、菜の花の頭の中は、まだ回文でいっぱいだった。


「スープは、うまくいかないんだよなあ」

 回文にならない単語は、直感的に分かるようになってきた。

「あれ、おいしくなかった?」

「あ、なんでもない。おいしいよ」

 菜の花は、慌てて首を振る。

 ノナはそんな菜の花を見て、小さく笑う。


 自分の部屋に戻り、菜の花は窓辺に座った。

 羽根ペンを手に取る。今日は何を題材にしようか。視線が、窓に向かう。


「塔」

 白い姿が月の光で浮かび上がっている。


「塔……とう、うと……ああ、ある」

 菜の花は、『うと』から始まる言葉を探す。


「『疎い』があるね。生まれた時から見てるのに。ああ、『尊い』もある」


 菜の花は、文字を書く。

「見つけた」


「尊い塔と疎い塔と」——とうといとうとうといとうと。


 祈りの塔のことは、聖域の一般居住者にはあまり知らされていない。魔王の瘴気から守ってくれる尊い塔。でも、その正体はよく分からない。だから、疎い塔。


 その後も、菜の花は何度も試行錯誤を繰り返した。

 時計の針が進む。夜が更けていく。


 ふと、自分の名前をひっくり返してみる。

「なのはな……。な、は、の、な……あ、『ノナ』が入ってる」


 前に回文の話をしたとき、ノナは「へえ、どんなものなの?」と言っていた。

 でも、ノナは回文を知っている気がする。


「母さん……母さん、母……はは」

 あ、ここに何かある。


 試しに、子どもの頃に何度も聞いた言葉を、日本語で書いてみる。


「菜の花の母の名はノナ」——なのはなのははのなはのな。


 文字を見つめる。それから、後ろから読んでみる。手が、震えた。

 回文になっていた。最初が最後につながる、円の形をしている。


 菜の花は立ち上がり、何度も確認する。部屋の中を歩く。歩かずにはいられない。

 ……間違いない。


 母さんは、なぜ、こんな完璧な回文を、子守唄のように言い続けていたのか。


「偶然……?」


 そんなことあるだろうか。菜の花は、ノートを握りしめた。

 ノナは、まだ起きているはずだ。部屋を出て、階段を降りる。


 居間に行くと、ノナが暖炉の前で薬草を調合していた。


「母さん」


「どうしたの。もう遅いよ」

「聞きたいことがあって」


 菜の花の真剣な声に、ノナが手を止めて振り返る。

「日本語の『回文』って、本当に知らない?」

「……あまりね」

「知ってたんだね」

「ちょっとね」


 菜の花はノートを差し出す。

 そこには、「なのはなのははのなはのな」と日本語で書かれている。


「これは?」

 ノナは、日本語は読めない。


「母さんが言ってた『菜の花の母の名はノナ』ってね、日本語だと回文になるんだ」

「……へえ」

 ノナは、じっとノートに目を落とす。


「これは、最初から読んでも、最後から読んでも同じなんだね?」

 ノナが顔を上げて、菜の花を見た。


「うん」

「そう。そうなんだね」

「ねえ、母さん。どうして、これが回文になるの?」


 ノナは黙って菜の花を見つめた。それから、窓の外を見た。祈りの塔を見ている。

 やがて、小さく息をついた。


「ごめん。今は、まだ話せない」

「どうして?」

「話す内容が、決まっていないから」

「どうして、今決まらないの?」

「時が来ないと、決まらないものだから」


「……その時は、いつ?」

「春。菜の花が十五歳になって、成人の儀が終わったら」


 ノナは優しく、けれど揺るぎない声で言った。

「それまで、待っておくれ」


 ノナは、菜の花の目を見つめた。

 笑っているような、泣いているような、不思議な目だった。


 菜の花は唇を噛んだ。まだ聞きたいことが、たくさんある。でも。


「……分かった」

 菜の花はうなずいた。唇を、きゅっと結んでいた。

「ありがとう」

 ノナが娘の頭をなでる。


「もう寝なさい。明日も学舎でしょう?」

「うん」

 菜の花は部屋に戻った。

 けれど、その夜はほとんど眠れなかった。


 回文のこと。母さんの秘密のこと。そして、自分の名前のこと。

 頭の中でぐるぐると回り続けた。

読んでいただき、ありがとうございます。

もし気に入っていただけましたら、ブックマークや評価をいただけると、とても励みになります。


本作は完結まで執筆済みで、全56話・約14.9万文字です。

3/29(日)まで毎日20時に更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ