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カイルの「お前は有名だ」という言葉を聞いて。
なぜそんな理由があるのか考えてみたが。
身を慎んで、用心して生きてきただけの俺には。
自分が有名だなんて、まったく心当たりがなかった。
「俺が、なんで有名なんだ?」
「お前、ミノを殺しただろ? お前とあの獣人が言い合ってたの、みんな見てたって話だぜ?」
「……それは、まあ」
どうして知ってるんだ?
口をつぐんでいれば隠し通せる、という話でもなかったらしい。
何しろ、その辺りの覇者同然だった獣人が死に、ワンルームはあの有様だ。
噂にならない方が、よほど不自然だろう。
「やっぱり噂は本当だったんだな!じゃあお前が手を貸してくれれば、捕まった連中を助けるのなんて朝飯前じゃねえか。あのクソ野郎ども、全員終わりだな」
カイルは飛び上がらんばかりに喜んだ。
だが、そいつは間違っている。
あのワンルームでミノを殺した方法は、二度と使えるものじゃない。
俺も同じことができないかと考えて、イサベルに事情を話し、再び使えないのかと聞いてみた。
すると彼女は、こう答えた。
「どうやら、運よく境地の上昇が起きたみたいだね。満ちた器に水を注げば、溢れるだろう?」
「……ですよね」
「境地の上昇も、それと同じなんだ。手から出た霜や、凍りついた部屋は見ていないけど、君の系統の発現は、切迫した状況と重なって現れたはずだよ。覚醒した者の大多数は、系統の発現すらできない。今は使えなくても、あまり気にしなくていい」
俺の考えでは、覚醒すらしていなかった俺が系統まで発現したのは、ドラゴンハートの影響があったんじゃないかと思う。
「相手の戦力は?」
「さあ……? この辺じゃそれなりの規模だけど、中央から弾かれた連中だし、お前なら大丈夫じゃね?」
こいつも、よく分かってないみたいだな……。
俺も少し前まで、その近辺の住人だった。
ノスト・ファミリーの噂は聞いていたから、どんな連中かは分かる。
あの時と同じ力は使えないが。
ミノと互角にやり合った力と、回復力がある。
大きな心配はしていない。
「ところで、俺がここに住んでるって、どうやって知った?」
「仲介業者が言ってた。ユージンはここに住んでるって」
「……」
まったく、治安が良くても意味がない。
不動産の仲介業者が、平気で客の情報を流すんだからな。
売りさばいたから、それで終わりってことか。
◇
都市の中心に属せず。
外縁に居場所を持つ人間の多くが、ろくな目に遭わないように。
群れてできた組織もまた、その例外ではない。
俺はカイルと一緒に、金を取りに行くという名目で。
ノスト・ファミリーのいる場所へ向かった。
「本当に、金を渡すつもりか?」
「いいや。金を持ってきたって見せて、連中がいるところまで入るだけだ」
外で無駄に消耗する必要はない。
敵の懐に入り、戦力を見てから判断しても遅くはない。
「着いたぞ。あそこだ」
角を曲がると、カイルが指さした先には。
古い中華料理店の看板がぶら下がった、三階建ての建物があった。
「仲間はどこだ?」
「俺が出てきた時は、地下にいた」
「そうか。じゃあ、事前に話した通りにやるぞ」
「分かった。任せてくれ」
ギィィ。
中華料理店に入ると、客らしき人影は一人もなく。
テーブルに座ってテレビを見たり、カード遊びをしている男たちばかりだった。
立ち込める煙草の煙に、思わず眉をひそめる。
「おい、あれ見ろよ。金を取りに行った奴じゃねえか?」
「だな。逃げると思ってたけどな」
「俺の勝ちだ。今日の酒代はお前な」
「ちっ、クソ。ついてねえ……おい! こっち来い」
頭をガシガシ掻きながら手招きする猫の獣人。
俺は緊張で体の固まったカイルの背中を、軽く押した。
「いつも通りやれ。俺がいる。心配するな」
「ごくっ……」
俺はカイルと並んで、連中に近づいた。
だらしない格好で座るノストの連中。
その中で俺たちを呼んだ獣人の視線が、ちらりと俺に向き、すぐにカイルへ移る。
「で、どうだった?」
「金なら、持ってきた」
トン。
袋を開いて見せた。
「おっ、本物か? お前、戻ってこない方に賭けてたんだがな。見直したぜ。おい、それ受け取れ」
「はい」
袋を持って行こうとした男を、俺が止めた。
「何だ?」
「金を渡す前に、仲間が無事か確認したい」
「お前、誰だ?」
「こいつらの友達だ」
俺に集まる視線。
一言発しただけで、薄汚れた男たちの熱い視線を一身に浴びる。
「こいつ、イカれてんのか」
袋を奪おうとした男が手を出しかけた、その時。
「やめろ」
猫の獣人が手を上げて制止した。
「す、すみません、兄貴」
「俺たちゃチンピラじゃねえ。取引したなら、信用は守るもんだろ?」
「その通りです!」
「おい、お前。今すぐ下に行って、連中を連れてこい」
「はい!」
タタタッ。
「これでいいか?」
漂ってくる気配を見る限り、俺と同格か、それ以下。
やり合って負ける気はしない。
俺があいつなら、敵になるかもしれない相手を前にして、あんな無防備な真似はしないが……
よほどの自信があるのか。
それとも、相手の力量すら感じ取れないほど、どうしようもないのか。
答えを求める気もないのか、そいつはすぐに体を向け直し、テーブルのグラスをあおった。
カチャリ。
しばらくして、地下へ行った男が二人を連れて戻ってきた。
「カイル! ユージン!」
捕まっている間に可愛がられたのか、
顔を肉まんみたいに腫らして、こちらへ駆け寄ってくる。
「顔、見違えたな」
「まあ、色々あってな。お前、どうしてここに?」
もともと冴えない顔が、さらに歪んで、言葉まで舌足らずになっている。
くすっ。
「カイルに頼まれてな」
「ありがとう……この恩は必ず――」
「友達同士で、恩も何もないだろ」
再会の空気を遮ったのは、猫の獣人だった。
「手足が無事なら、それでいいだろ?」
「……ああ。受け取れ」
持っていた袋を、彼に渡した。
最初は血に手を染める覚悟で来たはずだったが、無傷の連中を見て、その気持ちは雪が溶けるように消えていた。
金は好きだが、すべて終わったあとで血を見る必要があるのかは分からない。
馬鹿どもが縄張りを侵したにもかかわらず、身体が無事なのを見る限り、手加減してやったのだろう。
「俺たちはこれで行く」
「次はない」
「行こう」
「う、うん」
無事に仕事を終え、皆で外へ出ようとしたその時、氷のように冷たい声が響いた。
「待て。下が騒がしいから降りてきたが……どこかで見た顔がいるな?」
声のした方を見ると、白っぽい毛並みの狼の獣人が、階段の手すりに肘をつき、顎を乗せたまま下を見下ろしていた。
顔には細長い傷があり、一度見たら忘れられない面構えだった。
「誰か知ってるか?」
「さあ……」
「初めて見るな」
「俺も知らない」
「おい、お前だ。お前」
人差し指で、俺を指す。
「俺?」
「そう、お前だ」
俺がどこでこの獣人を見たのか考えていると、彼は手すりを蹴って下へと飛び降りた。
シュッ――タッ。
体格に似合わず、驚くほど軽やかな着地。
彼が大股で近づきながら手振りをすると、それまで静観していたノスト・ファミリーの連中が、俺たちを囲むように動き出した。
ガチャリ。
外へ通じる扉が、施錠される。
何が起きているのか分からないが、状況が良くない方向に転がっていることは、雰囲気だけでも察せられた。
「ど、どうする……?」
空気を伝ってくる三人の恐怖に、俺は何も言わず、迫ってくる狼の獣人を見据えた。
彼は数歩もない距離で立ち止まり、俺を穴が空くほど睨みつける。
「俺はノスト・ファミリーの行動隊長、マルコだ。お前、ユージンだな?」
「どうして分かった?」
「ミノは俺の友人だった。どんな面をした奴か、写真でも見ようとゴブリンのところへ行ったんだ。人間に殺されたと聞いて、復讐しに来たが……なんてことだ。写真とそっくりな奴が、わざわざ来てくれるとはな。手間が省けた。ミノがあんなにあっさり死ぬはずがない。どんな汚い手を使ったのかは知らんが、今回は通じんぞ。やれ!」
「はい!」
マルコが下がった隙間を、別の者が埋めた。
「本当は見逃してやるつもりだったんだがな。兄貴分の友人に手を出すとは、いい度胸だ」
ザッ、ザッ。
猫の獣人が距離を詰めてくる。
このままでは、俺はともかく、何の力もない一般人の仲間たちは無事では済まないだろう。
こうなった以上、狙うのは頭だけだ。
俺は近づいてくる猫の獣人に向かって、一歩踏み出した。
その姿が面白かったのか、彼は唇をすぼめ、目尻に興味の色を浮かべた。
「兄貴!生意気な奴、ぶっ潰してください!」
距離が詰まり、あと数歩というところで、俺は地を蹴り、猫の獣人の腕を掴んだ。
「人間が獣人に力で敵うとでも――」
だが、その言葉は最後まで続かなかった。
円を描くように引き寄せ、そのまま高く持ち上げ、床へ叩きつける。
ドゴォン!
舞い上がる土煙。
重量級の獣人の身体と、俺の力がぶつかり合い、床がえぐれるほどの衝撃が、彼を襲った。
「ぐっ……」
死ななくても、気絶くらいはすると思ったが、どうやらすぐに意識を取り戻しそうだ。
「俺も、お前に悪感情はない」
俺はためらいなく、奴の口元へ拳を叩き込んだ。
バキッ!
陥没した顔。
拳を引き抜くと、歯がトウモロコシを脱穀するように零れ落ちる。
バラバラ。
「ぐあああっ!!」
だから言っただろ、さっさと気絶していればよかったものを。
うるさく叫ぶから、もう一発。
ドンッ。
力なく垂れ下がる男を見て、仲間たちが凍りつく。
彼が敗れたことが衝撃だったのか、室内がざわついた。
「ひっ……に、兄貴!」
「き、狂ってやがる……」
「気絶しただけだ。死んではいない。次はお前だ」
俺は狼の獣人、マルコを指名した。
「そうだ、お前だ。 男が寄ってたかってどうする。一対一でやろうぜ」
「フフ……マクンをああまでやられたとあっては、黙ってもいられん。いいだろう。望み通りだ。全員、下がれ」
「はい!」
「もう終わりだぞ。マルコ兄貴が出た以上、生きては帰れねえ。ひ、ひぃ……」
床に倒れたマクンを運びながら縁起でもないことを言うので、蹴る素振りを見せただけで、腰を抜かして尻餅をついた。
マルコが舞台を整える、ほんのわずかな隙に、三人が近づいてきて心配そうに声をかける。
「大丈夫か?」
「気をつけろ。あれを見る限り、普通の相手じゃないぞ」
「心配するな」
「おい、ユージンはミノも倒したんだ。あんな奴一人、問題ないだろ」
「話には聞いたが……念のためだ」
「始めよう」
マルコの一言で、短い激励は終わった。
家具が片づけられ、広くなった空間で、俺は彼と向き合う。
「言い残すことはあるか?」
「お前、ミノとはどういう関係だったんだ?」
「遺言の代わりに質問か。それも悪くない。昔、同じ傭兵団で背中を預け合った仲だ」
「恋人を失って復讐、というわけか。ようやく納得した」
ギチリ。
マルコの手から爪が飛び出し、凄まじい殺気を放ちながら、鈍く光った。




