23
エルヴンハイムで見たものほどではないにせよ、ある程度の大きさはあるものだと思っていた。
だが、湖の中心にあるあの木が世界樹だというのか。
よく見ようと眉をひそめた。
外から見てきたものとまったく同じ姿、そして魔気に侵食された状態を見る限り、間違いなさそうだった。
俺が世界樹の姿をじっと見つめていると、
出発の合図が下された。
「行きましょう。」
今回も先頭に立ったのはリリカだった。
彼女は何のためらいもなく湖へと足を踏み入れる。
ちゃぷん。
どういう仕組みなのか、足は水に沈むこともなく、湖の上に浮かんでいた。
俺たちが立ち入った神域は、物質界と精神界の交差点に位置する世界樹の心象世界であり、許可を得て入った者は湖の上を平地のように歩けるのだと、足取りで示してみせる。
俺もリリカに倣って、湖へと一歩踏み出した。
ちゃぷん。
湖面の波紋が、水紋のように広がっていく。
水の上を裸足で歩くなんて、ここが現実ではないとはいえ、十分に印象的な光景だった。
中央にある世界樹へ近づくにつれ、蛍のように淡い光を放つ、色とりどりの物体が俺たちの周囲に集まってきた。
触ってみようかと手を伸ばしたが――
ひゅっ、ひゅっ。
あまりにも素早く、虚空を切るばかりだった。
リリカもノエルもいるというのに、触れることもできないそれらが、やけに俺の周りを飛び回っている。
追い払うように手を振ってみたが、そのたびに散っては戻ってくる。
まるで暖簾に腕押しだと思い、無駄だと悟ってやめ、彼らが周囲を飛び回ろうと気にせず、水の上を歩き続けた。
そんな俺の様子が面白かったのか、リリカは口元に淡い笑みを浮かべて言った。
「私やノエル様は定期的に来ていますから新鮮味はありませんけど、ユジン様はここが初めてですもの。皆、珍しかったみたいですね。」
「皆……?」
友達というならエルフのはずだが。
どう見てもそうは見えないのだが?
「はい。エルヴンハイムのエルフは、死ぬと望むだけここに留まり、現世への未練がなくなると、魂は行くべき場所へ旅立つのです。彼らにとって、ここはしばし身を休める安息の地のようなものですね。生きている時は知りませんでしたけど、こうして出会えたのなら……友達、ではないでしょうか。」
ぼんやりした姿から精霊かとも思ったが、エルフの魂だという。
「……そうですね。」
その話を聞いて、地下で見た光景が思い出された。
植物に覆われていて、最初は何なのか分からなかったが。
ここに来て彼女の説明を聞くまでは、世界樹はエルフをただの養分としているだけだと思っていた。
だからあまり良い印象はなかったのだが、こうして互いに満足している関係なら、それも悪くないのかもしれない。
世界樹を神木として崇めるエルフにとって、ここは天国同然だろう。
たとえ一時的なものであったとしても。
話しながら歩いているうちに、俺たちはすぐに島の近くまで来ていた。
「見た通り、状況は良くなさそうだな。」
確かに、ここまで近づくと、
遠目では分からなかったものが見えてくる。
世界樹のある島からは、石油のような液体が流れ出しており、すでに島の周囲の湖の一部は黒く染まり、魔気が溜まることで生じる、あの独特の焼け焦げた灰の匂いが漂っていた。
エルフの魂たちも、これ以上はついて来られないのか、いつの間にか姿を消していた。
「以前のようには回復できないかもしれん。覚悟はしておけ。」
分かってはいたが、口に出せなかった問題を、アイリアンはためらいなく突きつけてきた。
ちらりと見ると、ノエルは顔色一つ変えておらず、
リリカは不安を隠しきれないのか、下唇をぎゅっと噛みしめていた。
そうだ、大事な場面で動揺して何もできなくなるくらいなら、事前に予防注射を打っておく方がいい。
いつの間にか、俺たちは世界樹のある島へと足を踏み入れていた。
島といってもサッカー場がいくつか分ほどの広さしかなく、立っているだけで周囲の状況がすべて視界に入る。
植物が、刻一刻と枯れていく。
まるで今の状況を見せつけるかのように、俺たちの前にあった木が急速に干からび、青々としていた葉が生気を失っていった。
「うーん……」
リリカには悪いが、
俺も黙っているだけで、正直なところアイリアンと同じ考えだった。
もともとノエルの助けで、かろうじて均衡を保っていたというのに、
先日のアンデッドの集中攻撃を受けて、耐えられる体力が残っているとは思えない。
堤防も、補修工事はできても、一度大きな穴が開けば水圧のせいで塞げなくなるではないか。
今の世界樹は、まさにその状態だった。
俺一人がいて、どれほどの助けになるかは分からないが、
ここまで来た以上、できる限りのことはするつもりだ。
それでも駄目なら、それまでの話だ。
さくっ。
俺たちは先ほどよりも足早に動いた。
島が小さいため、世界樹の前まではすぐに着いたが、近くで見ると、決して小さくはなかった。
その時、地面がぐらりと揺れた。
まるでモグラでもいるかのように、地面がぼこぼこと盛り上がる。
隣の二人は、それが何なのか察しがついたようで、強張った表情を浮かべている。
聞こうかと思ったが、やめた。
どうせすぐに、俺にも分かることだからだ。
ぷはっ――!
次の瞬間、地中から細長い何かが飛び出し、土煙を巻き上げながら猛スピードで迫ってきた。
「あっ!」
思わず漏れた残念そうな声の中、リリカが宙から細身の剣を取り出し、俺たちの前に立ちはだかった。
ドン!
ぶわあっ――
突進してくるそれを、たった一本の剣で受け止める。
ぶつかり合った衝撃で風が巻き起こり、土埃が一気に吹き飛ばされた。
「!!」
姿を現したそれは、木よりも太い胴体を持ち、
先端がどこにあるのか分からないほど長い蛇だった。
一目でただ者ではない。
頭をもたげると、こちらが大きく見上げなければならないほどだ。
ツスス。
蛇は舌をちろちろと出しながらこちらを窺っている。
まるで獲物を狩る前に相手を見定めているかのようだった。
リリカが前方を警戒しながら言った。
「ここは私が抑えます。お二人は世界樹様をお願いします。」
「一緒に片づけてから行った方が早くないですか?」
相手がどんな存在であれ、こちらは三人。
それにノエルもいるのだ。俺としては当然の疑問だった。
だが、返ってきた言葉は予想外で、俺は戸惑った。
「リリカの言う通りにしてください。今の状況を見る限り、それが最善です。ああ見えても相手はヨルムンガンド。世界樹が使役する存在で、この空間では死にません。あれを相手にして力を消耗するより、私たちは力を温存すべきです。」
「!!」
その言葉を聞いてから、途方もなく巨大な蛇を見やった。
ただならぬ雰囲気はあったが、ヨルムンガンド?
北欧神話のあの蛇か?
たとえ別物でも、その名だけで強そうだ。
しかも世界樹の使い魔。
容易な相手ではないだろう。
俺はノエルのもとへ寄った。
「世界樹、見た目以上に深刻な状態みたいですね。急ぎましょう。」
こちらはリリカに任せ、
俺たちは世界樹のもとへ向かって動き出した。
異変を察したのか、車ほどもある頭が動き、こちらを追ってくる。
こちらに来るつもりらしいが――
「お前の相手は私だ!」
再びリリカがヨルムンガンドの前に立ちはだかった。
カン。
剣と蛇がぶつかったとは思えない音が響く。
彼女が強いことは分かっていたが、自分よりはるかに大きな体躯の魔物を押し返しているのを見て、改めて見直した。
やはり、聞くよりも実際に見る方が実感が湧く。
奴もこちらの意図に気づいたのか、先ほどよりも動きが激しくなった。
それでもリリカがしっかりと食い止めてくれていたおかげで、無理なく迂回することができた。
俺とノエルは世界樹の前に到着した。
「それで、どうするんですか?」
「祈りです。」
「祈り、ですか?」
「以前の方法が通じることを祈るしかありませんね。」
突拍子もない話だと思ったが、祈ると言われてみると、彼女といえど決定的な手段があるわけではないのだろう。
生きてきて祈ったことなど一度もなかったが……
茶々を入れている場合ではないので、黙ってうなずいた。
まずは様子を見ると言い、
唇をきゅっと結んだノエルが世界樹に手を置いた。
トン。
そして目を閉じ、集中する。
彼女の身体から緑色の光があふれ出した。
正確には、胸元から生まれた光が身体を伝い、肩から腕へ、そして世界樹に触れている手へと流れていく。
ふわぁ。
見ているだけで心が温かくなる光だった。
一日中眺めていても心地よさそうなほどに。
間違いなくノエルの系統能力に関係しているのだろう。
気のせいではなく、魔気に侵されていた表面も元の姿へと戻っていく。
「……くっ。」
見た目とは裏腹にきついのか、額には玉のような汗が浮かんでいる。
その様子を横で見守る俺にできるのは、心の中で頑張れと応援することだけだった。
お茶を一杯飲むほどの時間が過ぎる頃には、
半分以上汚染されていた世界樹が、今では所々に染みを残すだけの状態にまで回復していた。
誰の仕業か知らないが、攻撃ばかり派手で、
俺まで出張る必要はなかったらしい。
世界樹さえ元に戻れば、リリカと戦っているヨルムンガンドも正気に戻るだろうと、
すべて終わったかのように油断した、その時――
どさっ。
ノエルが突然、その場に崩れ落ちた。
「大丈夫ですか?」
「一気に心力を消耗しただけです。少しすれば回復します。それより……問題です。」
彼女の視線の先を見ると、
先ほどの努力が無駄だったと言わんばかりに、回復したはずの魔気の侵食が、制御不能なほどの速さで再び広がっていた。
彼女が必死に費やした力が無に帰していく光景に、俺は焦りながら口を開いた。
「俺がやってみましょうか?」
「事が起きる前なら、ユジンの系統能力でも助けになったかもしれませんが……今となっては難しいでしょう。エルヴンハイムの方々には申し訳ありませんが、これ以上遅れる前に撤退すべきです。」
ここで引き返すしかないのか。
リリカには酷な話だが、ここで死にたいわけでもない。
それもやむを得ない判断だ。
ノエルはエルヴンハイムが好きで、客分として力を貸していただけだ。
彼女にとっては、ここまでやっただけでも十分だろう。
だとすれば、俺はここに来た目的を果たさねばならない。
俺がエルヴンハイムに来た理由は、ノエルからドラゴンハートを受け取ることだ。
これまで見てきたノエルなら、脱出してから頼んでも渡してくれそうではある。
だが、ここまで来て何もせずに帰るのは嫌だ、という思いが湧いてきた。
そんな俺の気持ちを察したのか。
ここに来てからずっと静観していたアイリアンが、初めて口を開いた。
「ノエル、今すぐドラゴンハートを渡せ。ユジンが境地を越える際に溢れ出す力を使えば、何とかなるかもしれん。」
あまりのことに、アイリアンの言葉を聞いたノエルの眉が、山のように跳ね上がった。
「本当か?! 適応の過程もなく、境地を越えるというのか?」
「そうだ。私が選んだ子だ。でなければ、ここまで来ていない。」
「……信じよう。」
アイリアンの重みある言葉に、彼女の表情から疑念は消え、行動に迷いはなかった。
ごくり。
ノエルの口から、以前見たものよりもさらに大きなドラゴンハートが吐き出された。




