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ハンスに命を脅かされる状況の中で、頭の中に、力を与えるという声が響いた。
どういう理屈かは分からないが、このまま死ぬくらいなら、もがくだけもがいてみるしかなかった。
「代償は?」
「復讐だ」
転生を知っている俺としては、魂ではないという言葉に内心ほっとした。
手足の一本ずつを差し出せと言われても覚悟はあったが、復讐くらいなら安いものだ。
こいつの言うドラゴンハートとは、さっき拾ったあの宝石のことだろう。
俺はポケットに入れていたそれを掴むため、短剣を肩の上へ押し上げ、自分の体を引き寄せて肩へと突き立てた。
ズブッ。
「な、何を……!?」
覚悟はしていたが、肩を焼かれるような痛みに意識が飛びそうになる。
それでも俺は、その一瞬の隙を逃さずポケットに手を伸ばし、ドラゴンハートに触れた。
パッ。
瞬きをする間もなく、一瞬で変わる景色。
それは星光の化身だった。
巨大な銀色の存在は燦然と輝き、その吐息は天の川を宿しているかのように揺らめいていた。
俺は非現実的な美しさに圧倒され、ただその光景を見つめていた。
先に沈黙を破ったのは、それだった。
「時間がない。ここはお前の心象世界だ。現実の時間は流れていないが、長くは保てない。問おう――我、カル・アイリアンの力を望むか?」
その前に、代償をはっきりさせる必要があった。
「俺が払う代償は?本当に復讐だけでいいのか?」
ドドドドド。
復讐という言葉に反応するように、心象が激しく揺れ、空間が地震に見舞われたかのように震えた。
「魔王を殺せ!」
「……」
あまりにも壮大すぎて、復讐を果たす前に老い死にするかもしれないが、それでも俺の答えは決まっていた。
「引き受けよう」
「契約は成立した」
銀色のドラゴンが天へと舞い上がり、ぴたりと止まったかと思うと、向きを変えてこちらへ向かってきた。
その途中で人の姿へと変わり、俺と重なり合った。
パッ。
「ぐっ……」
心象世界では痛みがなかったせいで、自分が刃を受けていたことを忘れていた。
ドクン、ドクン。
次の瞬間、心臓から激しい痛みが込み上げた。
「ぐあああっ!!」
焼かれるような激痛が、一瞬で清涼感へと変わり、肩に突き刺さっていた短剣が、盛り上がる肉に押し出され始めた。
「な、なんだ……?」
突然の変化に驚く暇もなく、正気に戻ったハンスが慌てて短剣を引き抜き、振り下ろしてきたが、俺は回復した腕でそれを受け止めた。
ガッ。
心象世界から戻ってからというもの、体の奥から爆発しそうな力が湧き上がってくる。
今なら、何でもできる気がした。
俺はハンスの手首を捻り上げた。
ゴキッ。
「ぐっ……あああっ!」
ハンスの絶望に満ちた叫び。
状況が間違っていたことに気づいたようだが、もう遅い。
人を殺そうとしたのなら、自分が殺される覚悟もしておくべきだ。
俺は、ハンスが口にした言葉をそのまま返した。
「じゃあな」
ズブッ。
ドクッ。
「ぐっ……た、助けて……俺が……悪かった……」
熱い血が、彼の体を伝って滴り落ちる。
俺はハンスを脇へ押しやり、その場に立ち上がった。
それからほどなくして、彼の目から生命の光が消えた。
俺は彼の喉元に刺さった短剣を回収した。
俺が生きていると知れば、インプはそのまま逃げるだろう。
内側からは開けられず、外からしか開かない扉。
拳をぎゅっと握りしめた。
今感じているこの力が本物なら、外へ出られるはずだ。
俺は金属製の扉の前に立った。
インプが外から施錠しているはずだが、閂は扉そのものほど頑丈じゃない。
俺は扉に向かって肩をぶつけた。
ドン。
衝撃で扉が揺れた。
「な、なんだ!?」
外にいるインプの動揺した声が聞こえる。
もう一度。
ドン。
さっきよりも大きく、軋む音がした。
「中にいるのは誰だ!?」
「死神だ」
「……死神?何だそれ?その声は……お前、ユージンか!よく生きてたな?大人しくしていれば、もう少し長生きできただろうに……」
インプの言葉に、俺は何も返さず、大きく後ろへ下がり、扉へと突進した。
迫る扉に肩がぶつかった瞬間――
ドォォン!!
今までとは比べものにならない轟音が響いた。
ギィィィ――。
凄まじい音とともに扉が開いた、その瞬間、目の前に燃え盛る炎が噴き出した。
「死ねぇ!!」
罵声とともに放たれた魔法に、俺は両腕を交差させて頭だけを守りながら、インプへと突進した。
ドン。
ボウッ。
腕で頭を守ったおかげで顔は無事だったが、魔法の余波までは防げなかった。
刃物で刺されるよりも酷い痛みが走る。
腕が焼ける激痛を飲み込みながら、俺はインプに接近し、逃げられないよう肩を強く掴んだ。
「は、離せ! はな――ぐああっ!」
インプにも燃え移る炎。
「自分の使った魔法でも、耐性はないみたいだな?」
いいことを知った。
俺は短剣でインプの脇腹を突き刺した。
「ぐっ……がはっ……」
ぐったりと崩れ落ちるインプ。
終わったことを確認すると、張り詰めていた緊張が一気に解け、俺はその場に座り込んだ。
インプが死ぬと同時に、腕にまとわりついていた炎は消え、火傷していた腕もみるみるうちに塞がっていった。
俺は体を回復させるついでに、大の字になって寝転んだ。
空に浮かぶ、無数の星。
前世なら都市の灯りにかき消され、見ることすらできなかっただろう。
この異世界のいいところを一つ挙げるとすれば、どこにいても夜空を見上げれば星が見えることだ。
人は生まれながらに、自分だけの星を持っているという。
あの無数の星の中に、俺の星はあるのだろうか。
しばし目を閉じ、涼しい夜風を感じていると、拍手の音が聞こえてきた。
パチ、パチ、パチ。
「久しぶりに面白いものを見せてもらった」
突然の声に、俺は素早く身を起こした。
深夜の外れに似つかわしくない高級そうな服装以上に、危険だと告げる本能の警鐘が鳴り響いていた。
「下級魔族が一匹死んだくらいで、そんなに緊張しなくていい。弱ければ死ぬ、それだけだ。それに、君に会いに来たわけでもない」
言葉を濁しながら、彼は人差し指で一方向を指した。
「見物料として、こちらも面白いものを見せてやろう。ちょうど……あれが出てくる」
その言葉が終わるや否や、重たい足音が響いてきた。
ドン、ドン。
その音は次第に近づき――
ドガァァン─!
分厚い金属製の扉が粉々に砕け散り、ドラゴンが姿を現した。
「グルオオォ──!!」
ボーンドラゴン。
雪のように白かった骨は全身が黒く変色し、腐り落ちた肉片と鱗は、見るだけで嫌悪感を催させた。
主を持たぬアンデッドらしく、こちらを発見したボーンドラゴンは、生者への敵意を剥き出しにして突進してくる。
その様子を見ていた男が、泰然と口を開いた。
「テレポートで逃げたかと思えば、遠くへも行けず、ここで死んだか」
ドンッ。
ボーンドラゴンの重厚な巨体がぶつかってきたが、男はその場から一歩も動かなかった。
自我を持たぬボーンドラゴンが、自分より遥かに小さな人間を恐れたかのように一度後退し、地面を蹴って再び襲いかかってきたが、結果は同じだった。
バキッ。
男が手に力を込めると、砕けた骨から生じた亀裂が、ボーンドラゴンの全身へと一気に走る。
ミシミシと音を立て、やがて全身にひびが入り、ついには原形も留めないほど粉砕された。
その光景を見て、俺はごくりと喉を鳴らした。
ボーンドラゴンが崩れ落ち、残した塵を浴びた男が、こちらへ歩み寄ってくる。
危害を加えるつもりはないと言われても、さっきの光景を見た後で何も思わない方がどうかしている。
近づいてくる男に緊張していると、彼はある一点を指さし、思いもよらない言葉を口にした。
「乗れ」
そこには車があった。
乗せてくれるというのに、断る理由があるだろうか。
「荷物をまとめてもいいですか?」
男は頷いた。
俺は軋む体を引きずりながら、値の付きそうな物だけをまとめて車に乗り込んだ。
ここへ来る時もオープンカーだったが、帰りもまたオープンカーになるとは思わなかった。
もっとも、用途も値段も天と地ほどの差があったが。
便乗させてもらったその車は、内燃機関ではなく魔石を動力源としており、電気自動車よりも静かで、なおかつ速かった。
バッテリー製造による環境破壊もなく、突然の発火事故も起こらない。
科学と魔法がうまく融合した、理想的な形と言えるだろう。
前世でも乗ったことのないオープンカー。
涼しい夕風を受けながら都市へ戻る途中、運転席の男が口を開いた。
「名前は」
「ユージンです」
「私はユリア様の騎士、ノワール。なぜお前を乗せたかわかるか?」
「さあ…一緒に行く理由が見当たらないので、見当もつきません」
ただの気まぐれだろう。
どう見ても高位魔族にしか見えない彼が、俺に好意を示す理由などない。
ノワールがボーンドラゴンを処理したことに比べれば、俺のやったことなど、子供の遊戯にも等しい。
「特別な理由があるわけではない。優れた戦士になるかもしれぬ人間に出会って、そのまま通り過ぎることなどできるか」
「…高く評価していただき、ありがとうございます」
俺はただ清掃のためにここへ来ただけで、頭のおかしいインプのせいで仕方なく戦ったにすぎないが、わざわざ誤解を解く必要もないので黙っておいた。
「百年前、ここの人間たちは強かった。だが最終的には我々に敗れた。火器に頼りすぎていたのだ。いかに科学が発展しようと、戦争というものは結局、少数の絶対的強者によって決まる」
彼はちらりと俺を見て、言葉を続ける。
「人間族と言われて、気を悪くしたわけではないだろう?」
「いいえ。俺の故郷は、ここタノス・ヘブンですから」
「はは、そうか。タノス・ヘブン所属のユージン。才能を磨いて、いつか同じ戦場で会えるといいな」
◇
「うわあっ!」
悲鳴とともに悪夢から目覚めた俺は、しばらくの間、見慣れた天井をぼんやりと見つめていた。
俺がハンスや、あの筋の悪いインプまで殺した?
そんなこと、あり得るのか。
インプを殺したこと自体は良かった。
やり方が狂っていただけで……。
ここ最近、働きづめだったせいか、体に無理が来ているのかもしれない。
今日は休むつもりで、上体を起こした。
ベッドを降り、携帯を取ろうとしたその時、狭いワンルームの一角に、あるはずのない物が堂々と置かれているのが目に入った。
夢の中で見た袋。
そして血に濡れた短剣。
嫌な予感を抱きながら袋を開ける。
手のひらほどの銀色の鱗。
それがぎっしり詰まった袋が二つ。
昨日の出来事が夢ではなく、現実だった証拠が、目の前に突きつけられていた。
「…ごくり」
とりあえず散らばっていた服を拾い、隠しておいた。
売ろうとして、足がつく可能性もある。
しばらくは処理方法を考える必要がありそうだ。
――待て。袋があるということは、あの契約が本物だということになるが……。
しばらく考えた末、俺が出した結論は、何もしない、だった。
期限なんて言われていない。
インプ相手ですらギリギリだった俺が、魔王を?
無理に決まっている。
嫌なら、取りに来ればいい。
しばらくベッドでごろごろした後、空腹を満たすためにワンルームを出た。
太陽が頭上から照りつける真昼。
食事に出た俺は、周囲の人々から異質な気配を感じ取った。
まるで目がもう一つ増えたかのような、見慣れない感覚にめまいを覚え、俺は路地裏へと身を翻した。




