19
扉を開けて入ると、ラピエルが嬉しそうな表情で俺を迎えてくれた。
「遅い時間にもかかわらず、招待に応じてくださりありがとうございます。」
「いえ。私もラピエル様とお話ししてみたいと思っていましたので、こうして先に呼んでいただけて嬉しいです。」
「はは、ありがたいお言葉です。こちらへどうぞ、お掛けください。」
彼に勧められて席に向かおうとした時。
横目で見ると、いつの間にかリリカの姿は消えていた。
本当に、ここまで俺を連れてくるのが目的だったらしい。
俺はラピエルと話しやすい位置に腰を下ろした。
どさり。
程よく柔らかく、しっかりしたクッション。
座った瞬間に体を包み込むような心地よさに、さすがは良い家は違うな、と思ったその時、彼の樹霊がテーブルのカップに茶を注ぎ、俺の前に差し出した。
「エルヴンハイムでしか採れない、マナを純化するのを助けるお茶です。」
先に口をつけるラピエル。
その様子を見て、俺も倣ってカップを手に取った。
ずずっ。
一口含むと。
ミントのような清涼感が、口の中いっぱいに広がった。
「いいですね。」
「お気に召したようで何よりです。」
飴でしか味わったことのない風味だったので妙な気分ではあったが。
毎日飲むものでもないし、これも経験だと思えば悪くない。
数口飲んでいると、口内に残っていた爽やかさが全身へと広がっていった。
彼の言う通り、俺が浄化を使った時と似た感覚。
話では聞いていたが、実際に体験すると不思議で、思わず眉が上がった。
その様子を見たラピエルの口元に、微笑みが浮かんだ。
「外の任務から戻るたびに飲むのですが、そうすると一段と美味しく感じるんです。微量ですが、体に蓄積した魔気を吹き飛ばしてくれますから。魔族であれば……毒にもなり得ますがね。」
怖いエルフだな。
良いと思ったのは取り消し、取り消し。
すでに特級マナ石で試験を通過してここに来ているというのに、わざわざ呼び出して再確認したってわけか。
意図は不純だが……高そうな茶を振る舞ってくれたことには一度だけ目をつぶることにした。
その後もいろいろと話をしたが、概ね俺の身の上を尋ねられた。
「……さあ。運よく覚醒して、浄化系の特性を得ただけですよ。」
「その特性を持ち、この時代にエルヴンハイムを訪れたのは、世界樹様のお導きではありませんかな。」
前世でもよく見たタイプだ。
世界樹を神として崇めているとは聞いていたが。
実際に目の前でそれを見ると。
エルフの前では発言に気をつけたほうがいいな、と思った。
「はは、そうかもしれませんね。」
俺の肯定的な返答に、彼はにこりと笑って言った。
「こうしてユージン様を間近で拝見していると、これからエルヴンハイムに良い変化が訪れる気がしてなりません。」
パチン。
指を鳴らすと、樹霊が木箱をテーブルの上に置いた。
「……これは?」
「これからよろしく、という意味での贈り物です。」
カタリ。
開かれた木箱の中には、生まれて初めて見る果実が入っていた。
一つ一つが卵ほどの大きさだ。
「神木になる実です。男性にはとても良いものでしてね。」
目を輝かせるな!
一目で貴重品だと分かるものをくれると言われ、ラピエルに会って初めて好感を抱いた。
世界樹には実体がないと聞いていたが、そんなことはどうでもいい。
ここは地球じゃないし、昔の常識のまま考えて行動していたら。
俺は孤児院を出て一か月も経たずに、路地裏で冷たい死体になっていただろう。
一つ売るだけでも、ここまで来た費用を十分に賄えるはずだ。
――と思ったのも束の間。
果実を一つ摘まみ上げ、小さなナイフを取り出したではないか。
「?」
何をするのかと黙って見ていると。
ナイフで果実を半分に割り、その片方を俺に差し出した。
「これくらいが適量でしょう。ユージン様の境地では、果実を丸ごと一つ食べるのは体に良くありません。私と分けて食べましょう。」
箱の中身を全部くれるのかと思ったよ。
期待して損したが、それでもこれをくれるだけで十分だ。
「ありがとうございます。」
受け取った果実からは、黄金色の果汁が滴っていた。
皮ごと食べるラピエルを見て、俺も倣って口に放り込んだ。
口に入れた瞬間、雪のように溶けて消える果実。
甘すぎて、舌が痺れるほどだった。
「!!」
そして、先ほど飲んだ茶とは違い、食べた直後に現れる反応。
体が火照るように熱くなり、マナが活性化した。
まるで滋養強壮の薬を飲んだ気分だ。
リアルタイムで健康になっていく感覚を味わっていると。
突然、一週間徹夜したかのように、まぶたが重くなった。
「こ、これは?」
「効果がよく出ているようですね。世界樹の実を初めて食べると、体が順応するために眠りに落ちるのです。人間種族に使うのは初めてだったので、もし眠らなかったらどうしようかと心配していましたが……どうやら問題なさそうですね。ぐっすりお休みください。良い場所へお送りしますから、安心して目を閉じてください。」
このクソ野郎が!
話し方が気に入らないと思っていたが。
やっぱりやらかしやがったな。
何をするつもりか知らないが、朝になれば露見するだろうに、よくもまあこんな真似をするものだ。
ひとまず浄化で、眠気を誘う気配を押し流そう。
だが浄化を使っても、眠気は変わらない。
かろうじて意識を保つのが精一杯だった。
「な、なぜだ?」
「ユージン様の能力が通じないのは当然です。世界樹様がお授けになった実でもありますし、この実そのものに害は一切ありませんから。魂にまで良い影響を与えるでしょう。仮に可能だとしても、無意識が拒んでしまうのですよ。」
「……口数多すぎだろ、クソ……」
結局、押し寄せる睡魔に抗えず、俺は目を閉じた。
「これで、あとは運ぶだけだな。」
眠ったユージンを運ぼうとしたその時、ラピエルの前にアイリアンが姿を現した。
「……私を止めるおつもりですか?」
ラピエルは、うっすらと感じ取っていた。
ユジンの精霊が、ただ者ではないということを。
最初にリリカから報告を受けた時は、人間が精霊を使役しているという点に驚いたが、ユジンの特性が浄化だと知ると、その驚きも束の間。
彼をどう扱うべきかを考えることに気を取られ、すぐに忘れてしまっていた。
しかし、リリカと共に彼らが馬車に乗ってやって来た今日。
ドラゴンの姿をした精霊が尋常ではないことを、遠目ながらも見て初めて理解した。
だから会話の中でそれとなく尋ねてみたのだが。
うまくはぐらかされ、確かな答えは得られなかったものの。
目の前の精霊がノエルと親交があり、その縁でここまで連れて来られたのだろう、という推測はできた。
ある意味、今の状況を打開する策を示してくれた恩人とも言える。
「いや、君を止めようとしたところで、気力を無駄にするだけだ。相手にならないことは分かっている。」
その通りだろう。
なぜ精霊にまで落ちぶれたのかは分からないが。
今の状態では、召喚者の力量によって出せる出力の範囲が変わるはずだからだ。
「一つだけ聞こう。なぜ、こんなことをする?」
「弱いからです。せめて第五位階ほどでもあれば、良好な関係を保ちながら未来に期待することもできたでしょうが、それには時間がかかりすぎます。その時間を使うより、世界樹様の糧として直接能力を伸ばしていただいた方が良いのではないか、と考えただけです。」
「そうか。私でも、そうしただろう。」
「ご理解いただけて感謝します。」
「理解はするが、やられる側になるのは別の話だ!」
そう言うと同時に、アイリアンは気づかれぬよう慎重に溜めていたマナを、一瞬で爆発させ、窓の外へと放った。
パン―!
ガシャァン。
窓を突き破って飛び出すマナの塊。
そして、ほどなくして花火のように空中で弾けた。
「チッ。」
スパッ―
その様子を見たラピエルは、アイリアンがさらに何かする前に、腰に差した剣を抜き、一瞬で真っ二つに斬り裂いた。
耐えきれず、消え去るアイリアン。
しばらくして、騒ぎを聞きつけた警備が、ラピエルのいる部屋の前へやって来た。
「何事ですか。」
「大したことではない。騒がず、それぞれ持ち場に戻れ。」
「はっ。」
最後にああいう真似をするとは思わず油断していたが、どうせこの周辺は彼の領域も同然。
この程度の騒ぎで、真夜中に超越者である自分のもとを訪ねてくるエルフなど、エルヴンハイムにはいない。
◇
ラピエルにやられて意識を取り戻した時、俺は心象の中で目を覚ました。
どれほど時間が経ったのか分からないが。
現実の肉体で目覚めようと、あれこれ試してみても。
どうにも、ここから出る方法が見当たらなかった。
どうやら、芽吹きを包んでいる気配が消えなければならないのではないか、と推測するだけだ。
自分にはどうにもできないと悟った俺は、手足を伸ばして大の字に寝転がり、複雑な考えを振り払った。
我ながら無策に寝ているな、と思っていたその時。
ふと、アイリアンの声が聞こえてきた。
「外の状況も分からないのに、ずいぶん気楽そうだな。」
「来たか。」
悩んで解決する問題なら、とっくに頭が禿げるほど悩んでいる。
「どうしてこんなに遅かったんだ?」
「生意気なエルフに会ってきた。」
「どうなった?」
「できる限りの手は打った。あとは、何も起きないことを祈れ。」
「お前でも、どうにもならなかったってわけか。」
心象の中で、やることのない俺たちは、芽吹きを眺めながら他愛もない話をした。
主に俺が質問し。
彼女の話を聞く、という形だった。
「ところで、世界樹の実にそんな効果があるって知ってたか?」
「いや。存在は聞いたことがあっても、私ですら実物は見たことがない。物質界に世界樹が存在していた頃ですら、千年に数個しか実らないと言われていたものだ。ノエルなら見たことがあるかもしれないが。それに、私が聞いていたものとは、形が少し違っていたな。」
「だったら、食うなって言ってくれよ。」
「先にあいつが食べたから、問題ないと思った。」
「……チッ。」
まあ、俺も人のことは言えない。
差し出されたものを、躊躇なく食ったのは俺自身だ。
それでも言いたいことはある。
茶も一緒に飲んだし。
実だって、彼が先に口にしたじゃないか。
まさか、人を呼び出してあんなことをするとは思わなかった。
転生して、ようやくやりたいことを見つけたというのに。
こんな形で、二度目の人生が終わるのか。
置かれている状況とは裏腹に、のんきなことを考えていた、その時。
異変が起きたのか、心象が地震でも起きたかのように揺れ、俺は思わず飛び起きた。
◇
エルヴンハイムの空。
峡谷に溢れていた無数のアンデッドを影の空間に収めたバルタザールは、レイナと共に、地上から遥か高い空中に浮かんでいた。
「私も長くはいられない。さっさと片付けて戻ろう。始めろ。」
「はい。」
彼女の言葉に、バルタザールは手にしていた骸骨の杖を掲げ、自身の得意とする影魔法を行使した。
すると、足元に生まれた漆黒の闇の空間。
時間の経過と共に、凄まじい勢いで空を覆っていき。
太陽を遮るほどになって、ようやく拡張を止めた。
エルヴンハイムへの攻撃を開始する直前。
バルタザールは首を巡らせ、レイナを見た。
コクリ。
無言で頷いた彼女を確認し、最後の詠唱を完成させると。
ウオオオ―
バルタザールの影から。
アンデッドが、際限なく溢れ出し始めた。
雨のように都市へと降り注ぐアンデッドを、満足げに眺めながら。
万が一事が狂っても、自分に火の粉がかからないよう、確認のためにもう一度口にした。
「ご存じの通り、質の悪い連中ですから、大きな被害を与えるのは難しいでしょう。」
「分かっている。心配せず、与えられた役目だけを果たせ。」
言い方は気に入らなかったが、聞きたい言葉は聞けた。
彼女が何を企んでいようと、自分は仕事をこなすだけでいい。
早く終わらせて戻るため、さらにペースを上げると、影の中からは尽きることなくアンデッドが吐き出された。
低級であるがゆえに、砂のように影の空間へ収納できたもの。
もしレイナが、もう少しでも強いアンデッドを要求していたなら、こうはいかなかっただろう。




