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契約に毒条項でもあるのかと思った。

心臓をくれだなんてロマンチックな言い方だけど、俺はまだ心の準備ができていない。


別に結婚が嫌なわけじゃない。

人間でなくてもいいけど、せめて人型の種族がいいという、ささやかな願いはある。


アイリアンと出会った初日の印象が、あまりにも強烈だったせいだ。

目を閉じると、あの時の出来事が、ついさっきのことのように鮮明によみがえる。


ドラゴンは……さすがに無理かもしれない。

これくらい、贅沢を言っているわけでもないだろう?


俺がどうしていいか分からずにいると、

笑いを堪えているノエルの肩が震えているのが見えた。


「私でよければ、結婚してあげましょうか?」


からかわれているのは分かっていたので、適当に受け流した。


「あはは、久しぶりに知り合いに会って、つい悪戯心が出ちゃいました。アイリアンの言う通り、同族でなければ通じない伝統ですから、あまり気にしなくていいですよ。でも、知っているかどうか分かりませんが、故郷の次元では昔から、ドラゴンハートを授かった人間は勇者と呼ばれていたんです。」

「……勇者ですか?」


ノエルの言葉に、胸に手を当てた。

勇者――聞くだけで胸が高鳴る言葉だ。


俺みたいな奴でも、なれるものなのか。

俺にはアイリアンのドラゴンハートがある。

それなら、俺も勇者と言っていいんじゃないか?


ただ、記憶を辿っても試練を受けた覚えはないし、そう断言するのも微妙だ。

それに、勇者パーティーといえば魔法使い、ヒーラー、盗賊、荷物持ちが揃ってこそ完成だが、何でも一人でやりたい俺には無理がある気もする。


「ええ。昔はドラゴンハートを分け与えられた者を、そう呼んだこともありました。今ではそんなこともなくなって、忘れていましたが……おかげで懐かしいことを思い出せました。」

「もう過ぎた話だ。過去を振り返ってどうする。それより、その気があるなら、さっさと試練を与えろ。」

「せっかちですね。誰よりも過去に生きている方に、そんなことを言われる筋合いはありません。」


試練? 勇者なら、あって然るべきだ。

ただ、ここは魔界だし、正式に勇者になるのはどうなのか。

とはいえ、ここまで来て何もせずに帰るわけにもいかない。


「えっと、俺は種族的には人間ですけど、厳密に言えばマ族でもありますよね? 勇者になっても大丈夫なんですか?」

「心配するな。称号が勇者なだけで、頭の上にエンジェルリングが浮かんだりはしない。」

「それなら……大丈夫かも……?」


しかし、俺たちが少し先走りすぎたのか。

ノエルの次の言葉で、和やかだった空気は一瞬で凍りついた。


「アイリアンの言う通り、私のドラゴンハートを分け与えること自体は構いませんが、今すぐというのは難しいですね。」

「なぜだ?」

「どうしてですか?」


同時に上がった声に、

ノエルは俺たちを見て、口元に微笑みを浮かべた。


「私があげたくないから、というわけではありませんよ。どうせ時間が経てばまた生えてきますし、惜しむ理由なんてありませんから。」


衝撃的な発言の連続だ。

聞き間違いじゃないよな? 今、同じ話をしているよな? 心臓がトカゲの尻尾みたいに再生するわけじゃあるまいし。


驚きを隠せず、俺は聞き返した。


「また……生えてくるんですか?」

「ええ。ドラゴンは時間と共に強くなる種族です。ユージンさんが宿している程度の大きさなら、千年もあれば十分ですね。」

「……いろいろと規格外ですね。」

「大きいから時間がかかるだけで、小さければ回復も早いんですよ。だから昔は、勇者を作るためにドラゴンハートを分け与えていたんです。そうでなければ、まず無理ですね。」


そこまで大したことでもないように言うのに、なぜ駄目だと言ったのだろう。


「できない理由でもあるのか?」


ちょうど会話を聞いていたアイリアンが、詰問するように尋ねた。

元々ああいう性格だから、直球で聞いても違和感はない。


ノエルは残っていたカステラを一口つまみ、

ハンカチで口元を拭いながら、余裕のある声で口を開いた。


「ここまで来る途中で見たエルヴンハイムは、どうでしたか?」


いきなり何の話だ。クイズでもあるまいし。

答えるのは難しくなかったので、興味なさそうなアイリアンの代わりに俺が答えた。


「みんな、住みやすそうでした。」

「……そうでしょう? 私がドラゴンハートを渡せない理由は、そこにあるんです。」

「ふむ……そうか。」


何がそうなのか。

アイリアンはノエルの言葉の意味が分かっているのか、頷いていた。


さっきから、何か言うたびに二人だけで通じる話をして終わる。

ドラゴンという種族のサンプルが少ない俺としては、妙な偏見が生まれそうでよくない。


我慢できず、俺は分からないから分かりやすく説明してくれと頼んだ。


「知らないことは、誇れることじゃない。」

「知らないこと自体は仕方ありませんが、ちっぽけな自尊心のせいで、分からないことを聞かない方が悪いんですよ。私が説明します。」


なぜか彼女の背後に後光が差しているように見える。

どうして、あの時出会ったのがノエルじゃなかったんだろう。


……いや、それだとノエルは死んでいたはずだ。

いい人ほど長生きする方が、理にかなっている。


俺はノエルの話を聞き逃さないよう、彼女の口元を見つめた。


「エルヴンハイムは、他の地域よりも魔気が少なくありませんでしたか?」

「確かに、そうでした。」


それで最初にここへ着いた時、驚いたんだ。

魔界特有の、澱んだ苦い空気を感じなかったから。


「それには理由があって、世界樹が魔気を浄化しているからなんです。だからエルヴンハイムのエルフは、今まで堕落せず、故郷の次元での姿を保っていられる。それに、ここに他の魔界種族がいない理由でもあります。」


魔界に適応した種族は、生きていようが死んでいようが、

体内に蓄積した魔気を、二酸化炭素のように放出する。

現状を維持するだけでも手一杯で、マ族の居住密度が高くなれば、その均衡が崩れかねないため、一定数以下の外来者しか受け入れていないのだという。


ノエルの説明に、思わず頷いた。

どうりで、見かけるマ族がやけに少ないと思ったわけだ。


「ここで問題が生じます。ドラゴンはそれぞれ固有の系統に特化しているのですが、私の場合は植物の成長や回復に関わっており、限界に達した世界樹の負担を軽減しているのです。今もなお危うい状態で、ここでドラゴンハートを差し出せば均衡が崩れてしまうため、できないと言ったのです。」


理解した。

それでも、このまま引き下がるわけにはいかなかった。


本音を言えば、エルフが魔界に適応して暮らせばいいのではないかと言いたい。

だが、それぞれに事情がある。しばらくはエルヴンハイムに滞在し、互いにとって最善となる方法を探すのがいいだろう。


三人であれこれ話しているうちに、いつの間にか夜も更けていた。


「遅いですから、今日はここに泊まっていってください。」

「よろしいのですか?」

「部屋なら余っていますから。」

「ありがとうございます。」


ここに泊まるつもりはなかったが。

宿も決めていなかったし、寝る場所を探すよりは一晩お世話になる方がよさそうだと思い、了承した。


俺は木の精霊に案内され、空き部屋へ向かった。


「こちらをお使いください。」

「ありがとう。」


ぺこり。


木の精霊が扉を閉めて出ていくのを見届けると、俺はそのままベッドへ飛び込んだ。


シュッ。


枕に顔を埋めると、落ち葉の匂いがする。

寝床を確保できたのは良いことだが、静かになると下で交わした話が頭の中を巡った。


俺は行儀よく横になり、心象へと入った。

そしてアイリアンと会い、今後どうするべきかを相談した。


翌朝。

ノエルとの食事を終え、昨日アイリアンと話し合った内容を切り出した。


「……私も浄化系の特性を持っていますので、お役に立てるのではないかと思いまして。」

「確かに、昨日見せてもらったものを考えれば……私は賛成です。方法は多いに越したことはありませんから。ただ、私一人が良いと思っても解決する問題ではないので、これは神木守護者の同意が必要です。」

「神木守護者?」

「世界樹を守る一族のことだ。エルフの中で最も早く生まれ、生涯を世界樹の傍らで過ごす者たちだよ。」

「それなら、許可を取るのは当然ですね。」

「ちょうど、もうすぐ神域に入る日なので、その前に同行してもいいか聞いてみます。」

「ありがとうございます。」


十日が過ぎた。

今日は神木守護者が訪ねてくる日だ。

精霊を通じてやり取りをしたが。

俺に会ってから、どうするかを決めるらしい。


彼らにとっては重要な案件なのだから、当然のことだった。


「最初から断るつもりなら、最初から含みを持たせたりはしないでしょうし、いつも通りにしていれば大丈夫ですよ。」


その日の午後。

世話になっているノエルの家に、屈強な男たち数人と、頭に小さな鹿の角を生やした客が訪れた。


おかげで、もともと狭い家がさらに手狭になった。


「ノエル様がおっしゃっていた方は、この方ですか?」

「そうだ。旧友と一緒に来た。」

「はじめまして。ユージンです。」


俺は手を差し出して挨拶した。


「リリカです。」


ピリッ。


握った手から、見慣れない気配が伝わってくる。

いつか一度、こんなことがあった気もするが、ノエルの知人が俺に害をなすとは思えず、そのままにしておいた。


しばらくして。

リリカは握っていた手を離した。


「知らなければ、耳の短いエルフだと信じてしまうほどの清純さですね。ノエル様が推薦する方なので、どんな人物か気になっていましたが、正直驚きました。」


それは俺も同じだった。

前世では空気や匂いを爽やかにする程度にしか使えなかった浄化スキルが、死んでからようやく日の目を見るとは思わなかったからだ。


俺の体の状態を確認すると。

最初に来た時よりも、リリカの雰囲気が一段と柔らいだ。


彼女は護衛たちを振り返って言った。


「あなたたちは外で待機していなさい。」

「はい。」


カツ、カツ。


整然と外へ出ていく護衛たち。

もともと狭い家だったが、ようやく息が詰まらない感じがした。


俺たちはテーブルを囲んで腰を下ろした。

こうして間近で見ると、頭に鹿の角のようについているものは、本物の角ではなく、枝がそう見えているだけだった。


ドン。


リリカが風呂敷に包まれた荷物をテーブルに置いた。


「これは何ですか?」


どうにも、贈り物という感じではないが。


「特級魔石です。」

「特級魔石?」

「はい。」


スルリ。


風呂敷を解くと、子供の頭ほどもある魔石が姿を現した。


「ごくり。」


初めて見る大きさの魔石だ。

それもそのはず、このサイズともなれば都市の電力を担う発電所に置かれていてもおかしくない。


都市中心部のビル数棟分の価値はあるだろう。

しかも、金さえあれば手に入るという代物でもない。

そんなものが、今まさにテーブルの上に置かれている。


ぴょん。


状況が気になったのか、アイリアンも姿を現した。


事前に話を聞いていたのか。

突然現れたアイリアンを見ても、リリカは少しも驚いた様子を見せなかった。


「ノエル様のお知り合いですか?」

「アイリアンだ。」

「私はリリカです。」


互いの紹介が終わると、気まずい空気を和らげるようにノエルが手を叩いた。


パン。


「それで、特級魔石を持ってきた理由は?」

「神域に入ろうとされている方の系統能力を、直接確認するためです。ノエル様が保証する方ですから信頼はしていますが、実際に見て判断するというのが父の考えで、私はその代理として決定権を委ねられています。」

「だそうだ。」


ノエルが俺を見て言う。

ここから先は俺の出番、ということだろう。

リリカの言う通り、魔石を持ってきたのは俺の能力を見るために違いない。

実際、ここへ来る前に、成長が止まっていた浄化スキルを系統能力へと昇華させ、一段階の強化まで済ませていた。


それなりに目覚ましい成長を遂げ。

自分の力に自信がついている状況だった。


「魔石を浄化すればいいんですか?」

「はい。」


求めていた答えを聞いた俺は、迷わず魔石へと手を伸ばした。


「……ふむ。」


思わず漏れる低い声。

魔石に宿る魔気が尋常ではない。

この小さな魔石に、どうしてこれほどの力が詰め込まれているのか、驚くほどだった。


慎重に浄化を行うと。


バチッ。


魔石と手が触れ合った部分に、火花が散った。

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