第9話 観察期間
朝の塔は、静かだった。
それは昨日までと同じ静けさで、
けれど、まったく同じではない。
「……おはよう」
トールがそう声をかけると、天井近くに浮いていたサヨコが、少し遅れてこちらを見た。
「あ……おはよう」
その返事は、寝起きのそれだった。
「……寝てたのか?」
「寝てた、と思う」
サヨコは、首を傾げる。
「夢は見ないけど、意識が薄くなる感じはある」
「……記録しておく」
トールは、帳面を開いた。
――霊体状態
・休息に近い状態あり
・意識の希薄化を確認
「それは、寝ているに近いにゃ」
クロが補足する。
「完全な停止ではないが、魂も回復を必要とするにゃ」
「……魂も、疲れるんだ」
サヨコは、少し驚いたように言った。
「魂でも生きているなら、当然だにゃ」
クロは、
いつも通り偉そうだった。
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午前。
トールは、いつもの点検を行う。
結界。
魔導ソーラーパネル。
魔道具。
サヨコは、それを少し離れた位置から静かに見ていた。
「……それ、全部一人でやってるの?」
「今は、な」
「大変じゃない?」
トールは、一瞬だけ考えた。
「……大変だけど、嫌じゃない」
「ふうん」
サヨコは、少しだけ笑った。
「責任感、強いんだね」
「ウエル師匠の弟子だから」
短い答えだった。
⸻
昼。
トールは、前日と同じ食事を用意した。
保存パンと、簡単なスープ。
サヨコは、それをじっと見ている。
「……ね」
「何だ?」
「それ、毎日?」
「……今のところは」
サヨコは、何か言いたそうに口を開き、一度閉じた。
「……あとで、話してもいい?」
「構わない」
トールは、深く考えずに答えた。
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午後。
蔵書階層。
トールが記録を整理している間、サヨコは本棚の間をゆっくりと漂っていた。
「……文字、似てるけど違うね」
「意味は、分かるか?」
「うん。不思議だけど」
クロが、低く唸る。
「言語理解が、かなり深い、興味深いにゃ」
「……やっぱり、異世界人だから?」
「それもあるが、“引き寄せ”の影響かもしれないにゃ」
トールは、
その言葉を記録した。
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夕方。
一日の点検を終え、帳面に線を引く。
「……異常なし」
その一言が、今日は少し重かった。
「今日は、平和だね」
サヨコが、ぽつりと言った。
「それが一番だ」
と、言ってトールはサヨコの観察を始める。
「……観察されてる側って、ちょっと落ち着かない」
「すぐ慣れるにゃ」
クロが、
あっさり言う。
「慣れなかった存在は、そもそもここに残らないにゃ」
サヨコは、苦笑した。
「……厳しいね」
「魔導士の塔だからにゃ」
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夕方。
灯りをつけた応接室で、三人はそれぞれの位置にいた。
トールは机で記録をまとめ、
クロは床で丸くなり、
サヨコは天井近くで静かに浮いている。
「……ね、トール」
「何だ?」
「わたし、ここに来た理由、まだ分からないけど」
「……ああ」
「でも、しばらくはこのままでもいいかな、って」
トールは、ペンを止めた。
「今は、それでいい」
即答だった。
「理由が分からないなら、調べればいい」
クロが、目を細める。
「観察期間とは、
そういう時間だにゃ」
塔は静かだった。
だがその静けさは、緊張ではなく、均衡だった。
異世界の魂と、
十四歳の管理者と、
一体の式獣。
それぞれが、それぞれの立場を守りながら、同じ空間に存在している。
観察期間は、始まったばかりだった。




