第7話 触れない存在
応接室の空気は、静かだった。
サヨコは天井近くに浮いたまま、落ち着かない様子で周囲を見回している。
「……ここ、不思議だけど……怖くは、ない」
「それは、魔導力が管理されているからだにゃ」
クロは床に座り、淡々と答えた。
トールは、一定の距離を保ったまま口を開く。
「これから、いくつか確認する」
「……うん」
サヨコは、素直に頷いた。
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「まず、物理的に触れられるかどうか」
トールは、木の魔法を最小限に展開する。
床から伸びた細い枝が、
サヨコの足元――
正確には、足が“あるはずの位置”へ向かう。
枝は、何の抵抗もなく、すり抜けた。
「……やっぱり」
トールは、冷静に結果を受け止める。
「触れない」
「見ての通りだにゃ」
トールが言う。
「君は、物質を持たない存在だ」
サヨコは、
自分の手をじっと見つめた。
「……影も、薄いね」
「完全には、こちら側にいない」
トールは、そう補足した。
⸻
次に、癒しの魔法。
骨折を治すほどではない、穏やかな術をごく弱く流す。
だが――
サヨコの周囲で、魔力は散るだけだった。
「……反応、なし」
「肉体を対象とした魔法は、魂には届かない」
トールの声は、断定的だった。
「君は、魂だけだ」
サヨコは、少し考えてから言った。
「……じゃあ、わたし、死んでるの?」
「断定はできない」
トールは、即座に答える。
「消えていない。意思も、記憶もある」
「……中途半端、だね」
「今は、な」
トールは帳面を開き、
淡々と書き込む。
――霊体状態
・物質非干渉
・肉体対象魔法、効果なし
・意思疎通可能
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少しの沈黙。
サヨコが、遠慮がちに口を開いた。
「……ね」
「何だ?」
「わたし、ここで……消されたり、する?」
クロの尻尾が、一度だけ揺れた。
「可能性の話は、できるにゃ」
サヨコの表情が、わずかに強張る。
「だが」
トールは続ける。
「君に、悪意はない」
「……うん」
「害も、今のところない」
トールは、
静かに言った。
「だから、オレは除霊しない」
その言葉には、迷いがなかった。
「分からないものを、分からないまま消すのは、管理じゃない」
クロが、短く頷く。
「妥当な判断だにゃ」
⸻
「ただし」
トールは、続ける。
「ここにいる理由も、戻る方法も、まだ分からない」
サヨコは、静かに聞いている。
「だから、処置は保留する」
「……保留」
「調べる。記録する。勝手なことはしない」
トールが、
締めるように言った。
「ここは、管理された魔法使いウエルの塔だ」
サヨコは、小さく息を吐いた。
「……ありがとう」
「礼を言われることは、していない」
トールは、そう答えた。
「やるべきことを、やっているだけだ」
⸻
夜。
応接室の灯りが落とされ、塔は静かに呼吸している。
サヨコは、天井近くで静かに浮かんでいた。
「……ね、トール」
「何だ?」
「ここ、本当に……いてもいい?」
トールは、少しだけ考えてから答えた。
「うん、条件付きで」
「条件?」
「記録に協力すること。危険なことは、しないこと」
サヨコは、すぐに頷いた。
「……うん」
クロが、満足そうに言う。
「観察対象としては、素直だにゃ」
塔は、静かだった。
だがそれはもう、“何もない静けさ”ではない。
触れない存在が、確かにここにいる。
そしてトールは、それを“排除すべき異常”ではなく、管理すべき現象として受け止めた。




