第16話 引き寄せられた魂
異変は、前触れなく起きた。
昼下がり。塔の中は、穏やかな魔力に満ちていた。
結界は安定。魔導ソーラーパネルの出力も、いつも通り。
「……今日は、静かだな」
トールがそう言った瞬間――クロの耳が、ぴくりと動いた。
「……来るにゃ」
「え?」
次の瞬間、塔全体が、一度だけ大きく脈打った。
「バルコニー!」
トールは、反射的に走り出した。
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階段を駆け上がる途中で、魔力の流れがはっきりと変わるのが分かった。
重い。引っ張られる。
(……前と、同じだ)
バルコニーに出た瞬間、トールは息を呑んだ。
魔導ソーラーパネルが、昼間だというのに夜のように暗く輝いている。
光が、集まりすぎている。
「……制御、間に合え」
トールは即座に魔力を展開した。
だが――
遅かった。
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空が、裂ける。
いや、裂けたように見えただけだ。
歪みの中心から、一つの影が落ちてくる。
今度は、人の形をしていなかった。
「……魂、だ」
クロが低く言う。
不完全な霊体。輪郭は曖昧で、形が定まらない。
それでも、確かに人の残滓だった。
「……止めろ!」
トールが声を上げた、その時――
空から、もう一つ影が降りてきた。
否。
落ちてきたのではない。カラスだ。
⸻
鳴き声。
だが、カラスのそれではない。
甲高く、耳の奥に刺さるような音。
「……魂ぐらい!」
クロが叫ぶ。
影は、黒い羽を広げた。
カラスに似た姿。
だが、目だけが異様だった。
大きく、赤く光っている。
魂ぐらいは、迷いなく霊体へと飛びかかった。
「……っ!」
噛みつく。
音は、しない。
だが、霊体が削られる感覚が、魔力を通してはっきりと伝わってきた。
「……食ってる」
トールは、凍りついた。
魂ぐらいが、魂を。
⸻
霊体は、抵抗できなかった。
逃げる間もなく、喰われる。
赤い目が、一瞬だけこちらを向いた。
そして――
霊体は、消えた。
「……」
バルコニーに、静寂が落ちる。
魂ぐらいは、一度だけ羽ばたき、塔の外へ消えた。
⸻
「……助けられなかった」
トールは、拳を握った。
「いや」
クロが、はっきり言う。
「防げない事象だにゃ」
「……」
「魂ぐらいは、霊体を狙って現れる」
クロは、
バルコニーの縁を見つめる。
「今回は、偶然だ」
「……偶然?」
「塔の結界に阻まれていたから、被害は外で済んだ」
トールは、
はっとする。
「……じゃあ」
「中に、霊体がいれば――」
二人の視線が同時に塔の中へ向いた。
⸻
応接室。
サヨコは、中央で浮いていた。
「……今の、何?」
声は、震えていなかった。
だが、無理をしているのははっきり分かる。
「……魂ぐらいだにゃ」
くろは、正直に言った。
「魂を食う存在だにゃ」
サヨコは、ゆっくりと自分の手を見つめる。
「……わたしも?」
「狙われるにゃ」
即答だった。
トールが、重ねる。
「今は、結界がある」
「だけどにゃ。次は、 分からないにゃ」
⸻
沈黙。
サヨコは、しばらく何も言わなかった。
やがて、静かに口を開く。
「……やっぱり」
「……何だ」
「このままでは迷惑をかけるから、帰るしか、ないんだね」
トールは、すぐには答えられなかった。
だが、視線を逸らさなかった。
「……オレが、帰す」
「……うん」
サヨコは、小さく頷いた。
「前から、帰るしかないって思っていた。」
その言葉が、胸に刺さる。
⸻
夜。
塔は、以前と同じ姿を保っている。
だが、もう“安全な日常”ではない。
魂ぐらいは、知恵がある。
一度餌場を見つければ、群れで戻ってくる。
クロの言葉が、頭をよぎる。
「……時間がない」
トールは、そう呟いた。
管理とは、守ること。
そして時には――
手放す決断をすること。
その時が、確実に近づいていた。




