第11話 教わった味
翌朝。
炊事場に、いつもとは違う匂いが漂っていた。
「……焦げてないな」
トールは鍋を覗き込み、そう呟いた。
中では、刻んだ野菜が静かに煮えている。
「火、そのくらいでいい」
サヨコは、少し離れた位置から声をかけた。
「強すぎると、栄養も逃げるから」
「……魔力みたいだな」
「そうなの?」
サヨコは、軽く笑った。
「魔力のことはよくわからないは」
クロが、床から鼻を鳴らす。
「生活と魔法は、案外似ているにゃ」
⸻
包丁を持つ手つきは、トールにしては慎重だった。
「……こうか?」
「うん。大きさ、揃ってる」
「……適当じゃだめなんだな」
「だめ、ではないけど」
サヨコは、少し考えてから続ける。
「揃ってると、一緒に火が通る」
「……合理的だな」
「でしょ?」
その言葉に、サヨコは少し誇らしげだった。
⸻
トールが鍋をかき混ぜていると、サヨコがぽつりと言った。
「わたし、料理はね……」
一拍おいて。
「友達の家族から、教わった」
「友達?」
トールは、包丁を置いた。
「うん。コハルっていうの」
初めて聞く名前だった。
「幼馴染で、同じ大学を目指してた」
「……料理が得意だったのか」
「うん」
サヨコは、うなずく。
「コハルの実家が、食堂で」
「ああ」
「そこで、教えてもらった」
⸻
サヨコの声は、どこか柔らかかった。
「両親が共働きで、家にいないことが多くて」
「……一人で留守番させられてたのか?」
トールが、確認するように言う。
「うん」
サヨコは、少しだけ微笑んだ。
「でもね、愛情は、ちゃんとあったよ」
「……」
「忙しかっただけ」
トールは、何も言わなかった。
否定する理由も、肯定する理由もなかった。
ただ、その言葉をそのまま受け取った。
⸻
「だから、放課後は、よく食堂に行ってた」
サヨコは、鍋の湯気を見つめる。
「コハルのお母さんが、“食べてく?”って」
「……いい人だな」
「うん」
サヨコは、即答した。
「包丁の持ち方も、味の見方も」
「……全部?」
「ほとんど」
クロが、低く唸る。
「人の手で、受け継がれた技術だにゃ」
「魔導書みたいなもんだな」
トールが言うと、
サヨコは笑った。
「うん。レシピは、頭の中」
⸻
出来上がった料理を、トールは一口食べた。
「……美味い」
率直な感想だった。
「派手じゃないけど、ちゃんとしてる」
サヨコは、ほっとしたように息を吐く。
「よかった」
「……今までのより、腹に残る」
「栄養が、ちゃんと入ってるから」
クロも、器を覗き込む。
「見た目も、悪くないにゃ」
「食べないくせに」
「評価はできるにゃ」
⸻
食後。
トールは、いつもより長く机に向かっていた。
記録を書く手が、止まらない。
「……集中、切れてない」
自分でも、はっきり分かった。
「言ったでしょ」
サヨコは、少し得意そうだった。
「食べるって、大事」
「……否定できないな」
トールは、帳面に書き加える。
――生活改善
・食事内容変更
・集中力、向上
⸻
夜。
応接室の灯りの下で、
三人は静かに過ごしていた。
「……なあ、サヨコ」
トールが、ふと思い出したように言う。
「その友達、……会いたいか」
「うん」
短い答えだった。
トールは、それ以上は聞かなかった。
だが――
心のどこかで、“必ず帰す”という思いが浮かんだ。
教わった味は、この塔にも残る。
けれど――
本来あるべき場所は、別にある。
それを、トールはまだ言葉にはしなかった。
十四歳の管理者が、生活改善を誓った七日目だった。




