第1話 塔を任される日
外から見れば、それは二階建ての小さな家にすぎなかった。
石造りの壁に、控えめな窓。庭も狭く、特別な装飾もない。
村の端に建つその家を見て、中に魔法使いが住んでいると気づく者は少ない。
だが――
扉を開ければ、話は変わる。
内部には、天井の見えない円筒形の塔が、まっすぐ上へと伸びていた。
石壁には魔道照明の光が幾重にも重なり、空気そのものが淡く色づいている。
外観からは想像もできない、静かで、深い空間。
ここが、魔法使いの弟子、トールが住む塔だった。
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前庭で、師匠のウエルは外套を羽織っていた。
長身の体に、若い外見であるが実年齢は違うことがわかる知性的な眼差し。
身長よりも長い木製の杖を手にもち、その先端はほのかに緑色に光っている。
「……本当に、行かれるんですね」
弟子のトールがそう言うと、
魔導士ウエルは穏やかに頷いた。
「ええ。今回は召集です」
淡々とした声だったが、その内容は重い。
北部で発生した伝染病の現地調査。原因も、感染経路も不明。他の村や街に広がる前に、抑え込む必要がある。
「上位の癒し魔法使い手である私にしかできない仕事です」
それは誇りではなく、事実としての説明だった。
トールは、唇を引き結ぶ。
「……師匠」
先に口を開いたのは、トールだった。
「オレがついて行くのは、」
十四歳。
魔法使いの弟子としては、まだ途中だ。
木の魔法――
癒しと成長を司る術に高い適性を持ち、
骨折を治すほどの回復魔法も使えるようになった。
それでも。
前線に立てる年齢ではない。
「無理ですよね、体力的に感染の可能性もあるし、師匠の足を引っ張る」
ひどく残念そうな声だった。
ウエルは、しばらく何も言わなかった。
本当は、連れて行きたい。
ウエルはそう思った。だが、その選択肢はない。
やがてウエルは、外套を整え直し、トールの前に立った。
「トール。あなたは、この塔を守るのです」
「はい」
「塔も、
魔道具も、
蔵書も――」
一拍置いて、ウエルは続けた。
「そして、あなた自身を」
その言葉は、命令だった。同時に、信頼でもあった。
視線が、足元へ落ちる。
そこには、黒猫が一匹。艶のある毛並みで、静かに座っている。
一見すれば、どこにでもいる猫だ。
だが――
クロは、ウエルが作り上げた式獣だった。
魔力で形作られ、塔の防御と管理を補佐する存在。
人語を解し、魔力の流れを読み、
必要とあらば結界の一部としても機能する。
だが外見は、あくまで「黒猫」。事情を知らない者には、ただの同居猫に見える。
「クロ」
「任せるにゃ」
クロは、いつも通り偉そうに答えた。
「塔の管理も、トールの補助も、ボクが見る、にゃ」
沈黙が落ちる。
それは、ウエルが“渋々”決断するための時間だった。
「……留守を、任せます」
ウエルは静かに言った。
「判断に迷ったら、必ずクロに相談しなさい。
魔導ソーラーパネルは新しい技術です。異常があれば、すべて記録に残すこと」
「はい」
「無理は、絶対にしないこと」
念を押すように言ってから、
声を少し落とす。
「……必ず、帰ります」
トールは、まっすぐ頷いた。
「……行ってらっしゃい、師匠」
「……行ってきます。」
ウエルはそれ以上何も言わず、
塔を後にした。
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師匠の背中が見えなくなってから、
トールは小さく息を吐いた。
「……行ったな」
「行ったにゃ」
クロが庭石に飛び乗る。
「これが“本当の留守番”だ」
今まで半日程度の留守番はあったが、期間不明の留守番は初めてである。
トールは、塔の扉を振り返った。
外から見れば、ただの小さな家。
だが中には、天井の見えない塔が広がっている。
「……オレが守る」
その言葉は、まだ少し背伸びをしていた。
だが、確かに一歩、前へ進んでいた。
塔は今日も、静かに魔力を巡らせている。
新しい技術と、未熟な生活と、十四歳の覚悟を抱えたまま。




