#009 紙飛行機は飛ぶ
コミギャも閉会となり、四人と別れた颯斗は人の波に揉まれながら最寄りの駅に向かっていた。人に酔いそうだとげんなりしながら歩いている。戦利品を手にして足取りの軽い人たちが多い中では、颯斗は異質な存在だった。
駅に近付くにつれ、人だかりはさらに一点に集まり始める。散らばっていた会話の数々が、どんどん集中して来る。この喧騒にやられまいと、イヤホンをしようと思ったが、行きの車内で壊れてしまったのだと思い出した。イヤホンは彼の強力な味方だけに、その不在は大きな痛手だ。
自分の意志で進むというより、人智を超えた意思に勝手に操られるようにして列車に乗り込むと、息をするのも一苦労なくらいな詰まり具合に思わず思考を放棄した。
初めはそれでも秩序があった車内だが、電車が進むに連れて微妙にバランスが取れない乗客が出てきた。追い打ちをかけるように大きなカーブに差し掛かり、わっと車内で声が上がった。
颯斗は誰かに左足を踏まれてしまった。
「す、すみません」
小声で謝って来た相手に目をやると――
「さ、鷺沼……」
とても直前まで謝罪していただろう表情ではなかった。
「謝って損した」
態度の豹変に文句の一つも言いたかったが、颯斗はぐっと堪えた。もうそこまでの気力が残っていない。一瞥だけくれてやると、そのままそっぽを向いた。
次の駅の乗り降りで乗客の位置がズレると、夕葉はその動きに巻き込まれて颯斗と真向かいで密着する形になった。どう頑張ろうにも身体の向きを上手く調節することができない。
「ねえ、向き変えてよ」
「できるならとっくの昔にそうしてる」
ここで無視をすれば、怪獣が車内でも暴れそうな気がした。さすがにそこまで空気を読めないはずはないだろうが。
「何が嬉しくてあんたと密着してないとダメなの」
「それは俺が聞きたい」
「身体ねじ切れても構わないからどっか向き直りなさいよ」
「お前バカか」
「……はぁ、やだやだ。今日は何か良い気分だって思ってたのに、あんたのせいで一気に冷めてきた」
「よくもまあそこまで人のこと悪く言えるな」
「あんたの日頃の態度が原因でしょ」
夕葉がふんっと顔を背けて、颯斗もそれにならった。
ターミナル駅に着いて、車内には少しの余裕が出来た。
スマホを触ることも出来るようになり、颯斗も夕葉も、逃げるように画面に目を移した。
颯斗はXを開いて、〝友達に誘われてコミギャに行ってきた。人が集まる所あんまり行かないから、疲れた〟と呟いた。
瞬く間にいいねとリポストが始まった。
その傍で夕葉もタイムライン上でそれを目にした。
(やっぱり、菜々の所に来たのって……)
夕葉は麗音のXのプロフィール画面を開いた。目線は封筒のマークに注がれる。
(聞いてみようかな)
何度もぎりぎりまで指先が伸びながら、ダイレクトメッセージの画面まで辿り着かない。
(もし違ったら、あたしとんでもない勘違い女だよね……)
これだけのフォロワー数だ。彼とコンタクトを取りたいと思うのは一人や二人ではないだろう。
けれど、ブースに来たのが誰だったのか突き止めたい気持ちは消えてくれない。
(違ったら変な人と思われておしまい、そう、それだけだよね)
麗音との関係性など、現時点では全くないのだから、失って困るものは何もない。
〝もし違ったらごめんなさい。今日、私も参加したアンソロジーが置いてあるブースに来られましたか?〟
それでも、震えた指先で打った文字に誤字がないか何度も読み返した。
ついに紙飛行機のマークをタップした。肺はまるで数時間も溜め込んでいたかのような苦しさで息を吐き出した。
傍らの颯斗は、スクロールしていた画面にふと青い①が増えていることに気付いた。最初は単なる通知かと思ったが、それは隣に別の数字で見える。
もしかしたら何かの依頼かもしれない。開いた画面の最上部には、彼が今最も気になる人物のアイコンがあった。
もし違ったらごめんなさい。から始まる文言に目をやれば、彼女が自分に興味を抱いたのが分かった。けれど、その無機質な文字列からは、それが好悪いずれの要素を含んでいるのか読み取れない。あるいは、二度とそのような真似をしないでほしいと警告しようとしているのかもしれない。
鉄橋を渡り始めた音が颯斗の心臓をわしづかむ。一瞬ギョッとしながらも、彼は自分の振る舞いが正常なファンの範疇を超えないと言い聞かせた。イラストに惹かれて、彼女の絵が載る冊子を見かけて本人かと尋ねた。何もおかしいことはない。そう何度も言い聞かせながら、文字を打ち込んだ。
〝はい。ご迷惑でしたか……?〟
こんなにも人とのやり取りを恐れたことはなかった。
画面には文字を入力している表示が見える。時折消えるのは、打ち直しているのか、考え込んでいるのか、どちらだろう。
〝いえ、むしろ、その時まだ着いていなくて、お会いできなくてごめんなさい〟
〝そうだったんですね〟
〝あの……差し支えなければで良いんですが、麗音さんほど有名な方が、どうして私の所に?〟
〝息が止まるくらい素敵だったので〟
あまりに直截的に送ってしまったことに気付いて、慌てて〝初めて絵を目にした時、こんなにも目を奪う絵を描く人がいるんだって、驚いたんです〟と付け足した。
絵を見て、息が止まる感覚。夕葉はそれを知っていた。それどころか、彼女の原点だった。
〝そうまで言ってもらえるなんて、嬉しいです。こう言ったら失礼ですけど、ずっと、何かの手違いでフォローしていただいたんじゃないかって思っていました〟
〝ちゃんと心からのフォローですよ〟
相手が麗音という人気歌い手だからなのか、はたまた自分の絵を求めて直接足を運ぼうとしてきた人物だからなのか、この人の言葉選びが為せる業なのか分からなかったが、これまでに感じたことのない温かみが胸に生じていく。
もし、会えていたら。ふいに、そんなことを思ってしまう。インターネットで知り合った人と本当に対面するなどという経験を持たない夕葉には、それがあまりに非現実なことには思えたが、この人なら、ひょっとして、という思いを感じる部分があった。
〝実は運命の相手だったりして〟
ふいに美陽の声が聞こえた気がした。
前のそれには少女漫画の読み過ぎだとしか思わなかったのに、今度は一蹴できない。むしろ、それが自分の中から染みだしてきたものだとすら自覚している。
(会ったこともない人に、そんな、ない、よね)
瞳を閉じて、小さくかぶりを振った。自分がこんな気分になるのは、あまりに世間知らずすぎるからだ。相手の声しか知らないのに、何を判断できるというのか。
後ろから押される感触があって、夕葉は列車が自分の最寄り駅に着いているのに気付いた。慌ててホームに降り立つと、そのままぞろぞろと進む流れに意識をさらわれた。
秘かに想い初めた人が離れて行ったとも知らず、颯斗はもう動かなくなったメッセージ欄からまるで目がそらせないでいた。




