#008 蛇の少年
「ね、あの子見てよ、すっごい美少年!」
「指差さないの、失礼でしょ」
だが、夕葉も目を丸くする美しさではあった。
「コスプレ……って感じはしないから、デフォでアレってこと? 罪な子もいるもんよね」
「うん……でも、どこかで見たような」
「えーっ、知り合いなの!? 連絡先聞いてよ!」
「見境なしなの?」
「美麗ならオッケーです」
「そんなことしなくても、あの子、ここ来るんじゃない?」
「は……?」
件の美少年は確かにこちらに向かって歩いてくる。とはいえ、左右もなかなかの人気ブースらしいし、こことは限らない。
「こちらの新刊とこのアンソロジーを一つずついただいても良いですか?」
「ぜ、ぜひぜひ!」
菜々が慌てて立ち上がったせいで、パイプ椅子がカタカタッと音を立てる。それに美少年は「落ち着いてもらって大丈夫ですよ」とはにかむ。
「あのっ、差し支えなかったら、私の絵、どんなふうに知ってもらったか、聞いても……」
良いですよ、と言いたげに彼は口角をやさしく上げた。
「好きな歌い手さんがいるんです。NaNaNaNaさんの絵はその人のPVで知りました」
「それって、モミさん?」
「はい、氷雨モミです」
ここに来て一番の笑み。二人には左右のブースのサークル主が大慌てでスケッチブックにペンを走らせたのは見えない。
「素敵ですよね、モミさんの歌。イメージを膨らませるのに聴いてたら、すごくあたたかい気持ちにさせられて」
「あなたの絵がそれをもっと引き立ててましたよ。だから今日、ここに来ようって思ったんです」
「すごく嬉しいです……!」
夕葉は二人のやりとりを憧憬の眼差しで見ていた。自分が創ったものが誰かを盛り立てて、さらに人と人とを繋げる。自分だってその一角を担っているのだろうが、菜々のようにイベントに出たことはないから、それを感じる機会はない。
(あたしを尋ねてきた人が、もし、そうなんだとしたら)
麗音かどうかは分からない。でも麗音だとするなら、そこまでしろももに興味を抱いてくれた彼を、いつかもっと輝かせる一助くらい、できやしないだろうか。
「これからも活動、応援してます。良ければまた、氷雨モミのPVも担当してくださいね」
美少年は去り際に夕葉にも微笑みかけた。対する夕葉はやっぱりどこかで見たようなと思いつつ、ぎこちない笑みを返した。
「あの子だったら実はモミさんのカレシでした、って言われても納得できちゃうかも」
「歌い手って別にカレシいても良いんじゃないの?」
「モミさんは普通に顔出しもしててアイドルっぽい売り出し方になってるから、カレシいるなんて知れたら大荒れ待ったなしなのよ」
「歌い手で顔まで良いの……?」
「このご時世、何だって容姿まで整ってた方が良いんだって。あー、私も美少女に生まれたかったぁ〜」
「菜々は十分可愛いと思うけど」
「道行く男たちがつい振り返って見ちゃうくらいの美貌ほすぃ〜」
「そういうこと言わなかったら良いだけだと思う」
「頑張ってもすぐ化けの皮剥がれるからいーの」
容姿の話をしたせいか、夕葉はもう一度見知らぬ彼のことを考えた。
(人気の歌い手……容姿……)
「何、どしたの、夕葉。難しい顔して」
「何でもないし。ほら、またお客さんこっち来そうだよ」
「本当だ」
*
NaNaNaNaのスペースを離れた少年は、企業エリアにやってきた。
先ほどまでいた同人エリアでは客の視線をたくさん感じたが、こちらではその数がぐっと減る。
ゲームやアニメの公式が有名コスプレイヤーやVTuberを伴って出展しているからだろう。
中央のひときわ人が集まっている特設ステージで、スタッフと一緒に並んでいる少女を遠巻きに見つめたその少年――御崎薫は、胸元に揺れる指輪にそっと触れた。青い宝石のはまった所に指の腹を当てると、心の中で彼女の名を呼んだ。
「待ってて」
彼はそれ以上前に進むことなく背を向けた。
会場の出口には、彼女がゲームのキャラクターと同じポーズを取っている等身大のパネルがあった。一瞥して、彼は駅へと向かう。
(あの感じじゃ、二人とも上手く隠せてると思ってるんだろうな)
薫の隣のクラスの鷺沼颯斗と、榊原夕葉。まさか遇うとは思っていなかったが、おかげで前年から抱いていた疑念が確信に変わった。
(僕の目的のために役立ってもらうよ)
束の間ネットでバズったとしても、彼の曲が街中で聞こえるわけではない。それでは、彼女――氷雨モミの傍に立つには、足りない。
創り続けても一向に再生数が増えなかったロックを封印して創った中毒性の高いテクノ『パラパラサイト』は、彼にネットシーンでの活躍の機会を寄越した。何より、あの麗音が【歌ってみた】を投稿したのだ。
ホームの白線の後ろに立っていた薫の前を、特急列車が走り抜ける。風で前髪が舞い上がると、開けた視界に対岸のポスターが見えた。
〝私はずっと、あなたの味方だから。〟
氷雨モミがプロデュースしていたゲームの広告は、奇しくもかつて彼女が薫に向けた言葉と全く同じだった。
もしかしたら、彼女がその仕事を受けたのは、そういった部分に何かしら惹かれたからかもしれない。
ふわりと前髪が降りると、薫は改めて、彼女の傍に立つと誓った。
*
少女はアイドル活動の際に白い手袋を外さなかった。個人で歌い手をしていた時代から、代理キャラのイラストが手袋を着けていたのが功を奏した。
ファンと交流する可能性がある日は別だが、それ以外の全ての時間は右手の薬指から銀の指環を外すことがなかった。
向こうは気付かせないでいるつもりだろうが、樅山詩織は一度だって彼の訪れを見逃したりしない。氷雨モミとしての活動に迷惑をかけないつもりなのか、あるいは本人のプライドのせいか、彼はファンを装ってさえ来ない。
(隣に立つのにふさわしい男になるまで、とか考えてるんだろうなあ。あんな可愛い顔してるくせに)
控室で今日のファンたちが上げた感想や画像を眺めながら、メジャーデビュー後にすっかり距離を置いてしまった彼のことを考える。
(焦ってるんだろうな、私が遠くに行っちゃうんじゃないかなんて)
手袋を外すと、お揃いの指環が天井の灯りを反射して煌めいた。
「薫君以外を想うなんて、私がするわけないじゃん」
鏡には約束の日の自分が映って見えた。
「でも、待ってるからね。それが薫君の、頑張りたいなんだもんね」
マネージャーが彼女を呼ぶ声がして、詩織は再び手袋をはめた。




