#007 白き麗しのニアミス
いくら微笑ましく映っても、いつまでも終わらない賑やかさの傍にいると、さすがに颯斗は酔いを感じて静かにその場を離れた。
一人で歩いていると、恵実の趣味から漏れていた頒布物が途端に眼に入るようになった。
「あの絵……」
何気なく目にしたそれに、どこか見過ごせない雰囲気を感じて、颯斗は通りすぎたブースの前に戻った。
アンソロジーと描かれた同人誌の表紙には、いつか見た〝wip〟と全く同じ構図の絵が、より洗練された状態で載っている。
スマホを操作しているサークル主とおぼしき女性は、いかにもしろもものような見た目をしている。オリーブ色のワンピースに、白いベレー帽。
もしかして、この人が――
颯斗の心は期待でいっぱいになった。
「あの――」
それまで見ず知らずの人に声をかけようと思ったことは無かったし、その逆はあったとしても、自分がそうする立場になるなんてことは、一度も考えたことが無かった。
緊張のあまり声が小さかったのか、彼女はスマホをいじったまま応えない。
「あ、あの――」
「はい?」
上げられた顔は颯斗の予想よりさらに柔和だった。左右の髪がほんのりと内巻きになっているのがまた、愛くるしさを感じさせる。
「し――」
颯斗は顔が火照るのを感じた。
(この人がしろももだったら……しろももだったらどうしたら良いんだ? い、いや、何がどうってことは無いが……)
ぐるぐるという音が頭の中から聞こえてくる気さえする。
「し、しろももさん、ですか……?」
何とか颯斗は一歩を踏み出すことが出来た。
「へ? あ、いえ、違いますよ」
颯斗は、一瞬時が止まるように感じた。漫画ならひよこが何匹か頭上を歩いているだろう。
「私はNaNaNaNaって言います」
そう口にした彼女は、左胸に付けていた名札を颯斗に見えるように示した。それから、長机の一角から、名刺を取って手渡した。
「すみません……。勘違いしてたみたいで」
「いえいえ。しろもものイラストもそこに載っているのは事実ですから」
颯斗の心は明るさを取り戻した。会えなくても、彼女との接点がここにある気がした。
「このアンソロジーを一冊、いただいても――」
「颯斗、勝手に一人で行っちゃわないでよ」
後ろから恵実が声をかけてきた。
「ん? 颯斗、買い物の途中だった?」
「いや、好きな絵師さんのイラストを見かけたからさ」
「颯斗、好きな絵師なんていたの!?」
「あなたたち、菜々さんに迷惑かけちゃダメよ」
恵実に少し遅れる形で海奈も合流した。
「あら海奈さん、さっきぶりです。じゃあもしかして、こちらが?」
菜々の恵実をほのかに指差すジェスチャーに、海奈は小さく頷いた。当の本人はなあに? といった顔をしているだけだ。
「海奈の知り合い?」
「今朝言ってたサークルの友達」
「あっ、初めまして、Wit――じゃなかった、分かってる、分かってるからね、海奈、だからそんな怖い顔しないで。恵実だよ、よろしくね」
「こちらこそ、初めまして」
「わーっすごい! 私この絵すごい好き! えーっ! なんで気付けなかったんだろ! すごいすごいっ! ここにある新刊も既刊も全部ください!」
「えっ、あっ、ありがとうございます」
「颯斗の分も買っちゃうね! おうちでゆっくり堪能してね!」
「あ、ああ……」
彼の右手に財布が握られていたことに恵実はまるで気付かない。アンソロジーを買うだけのつもりが、瞬く間に彼の手許にはサークルの頒布物全てが揃っていた。
「ほら、恵実がいたらサークル前が騒がしくなるから、行くわよ」
親ライオンに連れていかれる子ライオンを追いかける形になった颯斗は、菜々に小さく会釈だけしてその場を離れた。
(しろももさんの話、少しくらい聞きたかったんだけどな)
菜々の姿を目にしたことで、しろももの輪郭はもう少し現実味を帯びた。
*
海奈たちが離れてから、にわかに客の訪れが増えた。踏切の点検だとかで予定より遅くなりそうだと連絡をくれた夕葉も、ようやく合流したかと思えば、再会を喜ぶ間も無く大忙しになった。
「ごめんよ、来たばっかでこんな手伝わせて」
「ううん。大丈夫。閑古鳥が鳴いてるよりよっぽど良いよ」
ようやくさばききると、二人はパイプ椅子に深く腰掛けた。
「あ、そういえばなんだけど」
「うん」
「一時間くらい前かなどちゃくそタイプのイケメンが来たんだけど」
「良かったね?」
「いやいや、それが、そのイケメンくん、私の顔見て、しろももさんですか? って聞いて来たのよ。夕葉の知り合い?」
「イケメン……?」
該当しそうな何人かを思い浮かべる。ALTのロイド先生、物理の三木谷先生、サッカー部のキャプテンの鳳先輩……?
全員、コミギャに同人誌を買いに来る感じはしない。
「知らない人だと思う」
「あーーー、連絡先聞いとけば良かったなぁ……」
「即売会は合コンじゃないよ」
「ヲタクに理解のある彼くんだよ? 日常だとフィクションの存在だよ?」
「菜々の審美眼は三次元だと怪しいからなあ……」
「いや、あれは間違いない。睫毛とか超長かったよ?」
「そんな人、もうカノジョいるんじゃないの」
「いなさそうだったけどね」
「なんで分かるの……」
「それはもう、乙女の勘、第五感ってやつよ」
「バカだ……」
「えっ」
「それ言うなら第六感」
「ま、まぁ? とにかく、しろもものことが気になってる人ってことは間違いないね」
「あたし、売り子すること公言してないし、アンソロジーだって既刊でしょ、菜々のお品書きをちょろっと拡散したくらいで、それで訪ねてくる人がいるなんて……あっ」
菜々がとてもニヤついた顔を向けていた。
「そのイケメンに心当たりがあるんですな〜?」
「ない、ないから!」
「隅に置けないですな、榊原氏も」
まさかあの人が? 一瞬だけそう思ったものの、あんなにも有名な人が、僅かな情報で会いに来ようとするだなんて、有り得ない。そもそも、彼がいわゆるイケメンだと決まったわけでもない。
「きっと何かの勘違い、勘違いだから! よく似た別の人と混ざってるんじゃない?」
勘違いで冊子を買おうとするはずはない、そう言おうとしたが、菜々はまだしばらくこの反応を楽しみたいと思ってやめることにした。
夕葉は自覚していないのだろうが、動揺があまりにも身体に出るのだ。それが菜々には面白くてたまらない。
(あのイケメンくんは、いったい夕葉の何なのかな?)
夕葉の思い当たる人物が誰なのか、これからじっくりと時間をかけて聞き出そう。菜々は可愛い友人をにまにましながら見つめるのだった。




