#005 コミック・ザ・ギャザリングへ
遠足の夜、颯斗は微睡みながらも日課の新曲探しをしていた。ピコッと通知が来て、彼は肩を少し震わせた。
〝まだ起きてる?〟というメッセージを送ってきたのは、
WitCherryのMinaだ。
〝ねかけてた〟
〝眠そうね〟
〝何の用だ〟
〝もう、無愛想なんだから。今度の日曜日、エイミーとコミギャ行こうと思うんだけど、麗音も来る?〟
〝今度の……って明後日じゃんか〟
〝うん。エイミーと話してたら、麗音も誘おうよって話になって〟
〝どういう理由で折角誘うことになるんだよ〟
〝さーねー。あの子、麗音のファンだから?〟
〝はぁ……まあ、暇だけど……コミギャって、何時から?〟
〝ここ見て。その方が速いよ〟
ポンとURLが表示される。
コミックギャザリング、通称コミギャは、同人系の即売会の一つで、同人漫画から同人CD、同人ゲームなど、様々なジャンルの活動者がが集うイベントだ。
歌い手も多く参加しているが、颯斗はコミギャには出たことがなかった。
〝へえ。意外と会場、俺の家から近いんだな〟
〝来れそう?〟
〝まあ、元々予定無かったし、行こうかな〟
〝良かった。エイミーにも言っとくね。集合場所とか細かい時間は、また後で伝えるね〟
〝分かった〟
既読がついてそれ以上メッセージは送られてこなかった。
「コミギャ、か」
再びホームページに目をやる。過去の参加者の様子が分かる写真が横へと流れていく中に、非常に見覚えのある男の姿があった。
「何やってんだ……」
ほぼ同刻、夕葉は中学時代の同級生・菜々と通話していた。
『ありがとね、何とかペーパー間に合ったよ』
「良かった。でも本当、なんでこんなギリギリでペーパー出そうと思ったりするのよ。明後日なんでしょ、コミギャ」
『いや、何かこう、ムラムラしちゃって?』
「他の表現なかったの?」
『えっ、表現欲と性欲って似てな』
「似てないから、別だから」
『へー、夕葉は性欲がどんなのかよく知ってるんだー』
「もう原稿手伝わなくて良い?」
『ごめんごめん、それはゆるしちくりー』
「その言い方古いよ」
『古くて何が悪いんでい!』
「……明後日、何時?」
『さっき言ったけど午前中は他の子来てくれるから、十三時くらいを目処に来てくれたら』
「オッケー、十三時頃ね」
『それじゃあお願い』
「もう追加しちゃダメよ」
『分かんないよ? 急にムラムラしちゃうかも。ほら、性欲だって』
夕葉はミュートしてそのまま放置した。
『ごめんよ、もう言わないからぁ』
「三度目はないからね……ふわぁ……」
『今日は、遠足だったんだよね。ごめんね、そんな日に。ゆっくり休んでね』
「新作奢る約束、忘れないでよ」
『きっちり守らせてもらいますよ、お嬢様。では、おやすみなさいませ』
「うん、菜々も。おやすみ」
夕葉は赤い通話終了のマークをタップした。
*
日曜の空は快晴だった。
燦々と降り注ぐ初夏の陽光が生まれたての緑に産声を上げさせ、アスファルトからの照り返しが少し歳を重ねた緑に誇らしさを添えている。
同人イベントよりも散歩に出かけた方が良かった気もすると、颯斗は電車の窓から景色を眺めながら生あくびを繰り返した。
イヤホンから流れてくるのは、小学生の頃からずっと聞き続けているバンドの新曲。アニメの主題歌から知ったそのバンドだが、バトル漫画に合った激しいロックからしっとりとしたバラードまで、どれも颯斗の心を掴んで離さない。たまに世界に噛みつくような発言を仕込む部分もパンクで美味しい。
起動に時間のかかる彼は、激しめの曲調を聞くことで脳の回転率を一般人の少し下まで近づける。
だから、今彼の身に降りかかった災難は、世界の色を真っ黒にしかねない。
嫌な予兆が数日前からありはした。けれど占いも信じなければ天気予報もろくに見ない彼には、そうした何とない感覚というのがどうにも鬱陶しいだけに思えて、スルーしていた。
左耳にはめた方から音が出ない。
何だそんなことか、と常人なら割り切ることが、颯斗には出来なかった。
まさに今、最高潮にノって、サビ前で一気に爆発する所だった。その高まった欲求が、発散されず心の中をぐるぐると回っている。
代わりのイヤホンなど持って出歩かない。どうしてわざわざ、外出している時に狙って故障するのか。家になら替えだってあるのに。
行き場の無い悲しみをどこにぶつければ良いのだろうと考えながら、左手で顔を覆った。
コミギャの会場までは、まだこの列車に四十分は乗っていなければならないというのに、最初の駅にすら停車していない。
目的地までこの気分のままいなければならないのかと考えると、清々しく晴れた空がかえって憎たらしく思えてきた。
どうにか気を紛らわせようと携帯を操作しても、どうにも集中出来ない。音楽を流していてこそだ。
普段音楽がかき消していた世界の音が耳から流れ込んでくる。鉄橋を渡る一定のリズムや、車内アナウンスの整った声色。電車の中にはこんなにも音が溢れていたのかと気付かされる。
連結部分が軋む音。女子高生の楽しげな会話。次の停車駅の名前。騒ぐ子供をたしなめる母親の声。
ありとあらゆる声、音を、颯斗の耳は拾いすぎる。もちろん音楽は心から愛して聴いているが、同時に彼の脳の働きを助ける働きもしていた。
イヤホンの故障に加え、多重の音がもたらすストレスが顔を歪めつつあった所に、救世主はやってきた。
「どうしたの? 乗り物酔い? すごい顔してるけど」
胡桃沢海奈。今日麗音を誘い出した、歌い手ユニットWitCherryのMinaだ。耳には箒に乗った魔女とサクランボのピアスがそれぞれついている。
どうやら、最初の駅には着いていたらしい。
げんなりした顔のまま左耳にはめたイヤホンを指差した。
「あー、壊れたのね」
それを、海奈は一瞬で見抜いた。
颯斗は項垂れながらイヤホンを外してケースにしまった。
「颯斗から音楽を奪うのは魚から水を奪うようなもんだもんね。でもほら、今からは私と話せるし、まだ気も紛れるんじゃない? 次の駅で恵実もこの車両に乗って来るし」
「え、ここに乗ってくるのか」
颯斗が口元を露骨に歪めたのを見て、海奈はどうにか苦笑するのをこらえた。
「乗る号車乗るドアまで揃えないとあの子、ほら、ね」
次の駅まではすぐだった。ゆっくりと減速する列車の窓から、小刻みにジャンプしながら小さく手を振ってくる少女の姿が見えた。
「あいつはなんであんなこっぱずかしいことができるんだ?」
今度は海奈も苦笑をこらえられなかった。
ドアが開いてすぐに近付いて来た彼女は海奈の方をチラッと見てから、颯斗に視線を移すと、目を輝かせて――
「麗お」と早速口にしかけて、唇を海奈に指で蓋された。
「恵実、バカなの? やっぱりちょっとバカなの?」
囁き声を目指したのだろうが、隣の颯斗にもハッキリ聞こえてきた。
「バカって何よー! 私はただ麗お――もがっ」
もうこの光景に慣れたが、所構わず麗音と口にしようとする恵実には、最初は随分と驚かされた。
今やどこにファンがいるか分からない。なんなら、同じ車両の中に、ちょうど麗音の【歌ってみた】を聞いている人もいるかもしれない。
「もう恵実、電車降りるまで喋るの禁止!」
「えー、私だって麗お――」
颯斗からは見えなかったが、きっと海奈がすごい形相をしたのだろう。その背中から、鬼気迫るものを感じずにはいられなかった。




