#020 愛おしさとざらつきと
一つだけ持って来た菓子パンをかじりながら、颯斗がDiscordのチャット欄を見つめていると、敦が前の椅子に抱きつくように座った。
「あれ、颯斗が昼休みに起きてる、珍しいね」
「今日は起きてたい気分なんだよ」
「それ、一年に何回あるんだよー」
「そうだな……五回くらいか?」
「折角だから数えとこう」
「絶対忘れてるだろ……」
「案外そういう無駄なことだと記憶力発揮できるんだよなぁ」
現実に引き戻されたのを残念に思ったが、このまま沼に沈んでいくのも危ない気がして、悪くないと考えることにした。
だが、敦はあっさり他のクラスの生徒に呼び出され、行ってしまった。
スマホのロックを開ければ、まだチャット欄のままだった。そのまま薫から受け取ったデータだけは送ろうと、ファイルを添付した。
〝ありがとうございます! 学校が終わったら聴きますね〟
〝しろももさんは学生さんなんですね〟
この文脈なら自然だと思って、思い切って打ち込んだ。
〝はい、高校生です。麗音さんは社会人ですか……?〟
〝いえ、俺も高校生です〟
〝前に本気を出して歌ったら正体がバレちゃうかもしれないってお話をされた時に、もしかして学生なのかな? って思いもしてたんですけど、当たってたんですね〟
〝今高2です〟
〝わ! そこまで一緒なんですね! 私も高2です!〟
なんて奇跡だ。二人の胸中がシンクロする。
〝私この前の中間テスト数学失敗して、過去一低い点数だったんですよ〟
気付いたら麗音相手にそんなくだらない世間話を聞かせてしまった。謝ろうとしたけれど、それより先に〝麗音さんが入力中〟の文字が見えてしまって、指先は止まった。
〝何か、テスト前って創作意欲無性にかき立てられません?〟
〝それ、それなんですよ! 前日の夜に物凄いインスピレーションが湧いちゃって、気が付いたら夜が明けてました。それで散々な点数に……〟
それからも教室の暑さへの文句とか、お昼の後の古典は眠くてたまらないとか、同じ学校に通っているから噛み合って当然の会話を、二人は奇跡みたいに感じて、互いをぐっと身近な存在に感じた。
〝何だか麗音さんとの距離が近付いた感じがします〟
〝そうですね。あ、同い年だったら、タメで良いですよ。苦手だったら、別にこのままで大丈夫ですけど〟
〝う、うーん、麗音さんにタメ口……その方が親しい感じにはなりそうですけど……な、なんか、恐れ多いです……〟
〝意識しちゃうと、ぎくしゃくするかもしれませんね。自然に出るようになったら、で行きましょうか〟
〝それが良さそうですね!〟
同い年だと分かってからの画面を見つめる二人の表情は、見事なまでに同じ、優しさをたたえていた。
家に帰ってもまだ、颯斗の口角はわずかに上がっていた。クラスメイトは誰も気付かなかったが、妹は別だった。
「あれ、機嫌良さそう、お兄ちゃん、良いことでもあった?」
「いや?」
「ふーん? 沙羅にはそうは見えないけどなー?」
「何もないって」
そう言って兄が口を横一文字に結ぶのを見て、沙羅は笑いをこらえた。
「何か電話かかってきた」
「あ、照れ隠しだ!」
「違う、本当だって」
ポケットの中でスマホは実際に振動している。もしかしてしろももから? そんな期待が一瞬頭をかすめたが、さすがにそれは有り得ないだろう。
さっと自室に入ってドアを閉めると、スマホの画面を見て、ガッカリした。そのまま無視を続けると、着信は止まった。が、すぐに再びかかってきた。このまま無視を続けるか諦めて対応するか。おそらく彼は、相当数耐え抜いてくるだろう。
『歌い手合宿をしようと思って』
「俺は行かない」
用件を真っ先に伝えてきた高めの男声に、冷たく鉄門扉を閉めた颯斗。
『颯斗の分ももう予約してあるんだよね! いぇい!』
「は?」
驚きのあまり、スマホを耳から離して画面をマジマジと見つめてしまった。
夕戀と表示された画面の左下、スピーカーマークをタップする。
「バカかお前は」
『大丈夫、颯斗の家はこういうのに寛容だってことはよーく知ってるから、なんなら当日押しかけてさらっても怒られないっしょ』
「俺の意志はどこに行ったんだ」
『いやー、颯斗が行かないならエイミーも行きたくないってごねられちゃって、じゃあ絶対僕が連れてくよ、って約束しちゃっんだよねー』
「だから俺の意志は」
『夏合宿だよ! 海だよ! 水着だよ! エイミーとかミーナの水着も見られるんだよ!』
「あいつらの見て何が嬉しいんだよ」
『いやいや、颯斗、二人とも着やせするタイプだよ? 見ないなんて、そんな、勿体ない……』
「お前……その顔でその発言は無いと思う」
『何言ってるのさ、颯斗。男は皆狼だよ!』
「……お前のファンに今の発言を録音して聞かせたい」
『あはは、颯斗はそんな器用なことできないさ。それに、颯斗だって、本当は見たいって思ってるでしょー? あっ、そうかぁ、颯斗はむっつりすけ――』
颯斗は赤いボタンをタップして通話を切った。
三度目のコール。無視を決め込んだところで、諦めるどころか、無限に弄ばれる未来しか見えない。
「分かった、行くのは。さっさと日取り教えろ」
『えぇー、こわぁーい』
「良いから」
普段なら厭うだろうが、ここ最近のもやもやとした気持ちを考えれば、決して悪くないかもしれない。それに、ここまでの流れを夕戀もとい蓮哉一人で考えたとも思いにくい。ミシェルや虎太郎も噛んでいるだろう。恵実や海奈も含めて、颯斗以外の歌い手仲間全員が同意している可能性が高い。
『風高の夏休み初日から二泊三日だよ』
「人様の高校のスケジュールを把握すんなよ」
『ミーナは顔が広いからね、そこんところはちょちょいのちょいさ』
「……はぁ。で、歌い手合宿って何するんだ」
「海で遊んで、ゲームして、えーと、遊んで、遊ぶ?」
「ただの旅行かよ」
『六人の予定がぴったり合うなんて極めて稀なんだよ? それにほら、僕らはチームの結束力が今の課題なのさ。来るべき強豪校との――』
「ついていけない。何にも」
『年齢もまちまちの僕らは、いつまでも仲良くやってられるわけじゃないからさ、時間がある時に、思い出作っときたいんだよ』
急に真面目な声色になった蓮哉の言葉は、頷くより他にないものだった。颯斗やWitCherryの二人は高校生だが、蓮哉は大学生で、ミシェルと虎太郎は社会人だ。六人が一緒にいられる時間は、想像よりずっと短いかもしれない。
「いきなり真剣になるな。で、場所は?」
『財部グランドホテル大磯』
「……お前、予約、まだ取ってないな?」
『あり? バレちった?』
「思いっきり自分ん家の物件だろうが」
『いやぁ、無茶が利くって良いことだね。ってことで、当日は迎えの車をやるから、朝九時に支度、済ませといてね」
「お前が財部グループの頂点に立った日に株価暴落したら良いのにな」
『ちゃんと経営も学んでるからそれはないね』
「そうかよ」
一方的に通話を切ったが、もう携帯は震えなかった。
心なしか気分が軽くなっているのを、颯斗はありがたくも、切なくも感じていた。どうして手放しで喜べないのか、僅かに疑問に思いながらベッドに倒れ込んだ。
まるで最後の電力を使い切ったかのように、意識は落ちて行った。




