#002 Colored Talking
麗音のフォロワーが増える速度は並の比ではない。動画を投稿した直後なんてのは、瞬き一つする間に爆発が何度も起こる。通知などオンにできない。だから、しろももが彼にフォローを返したことも知らないし、なんならしろもものことは忘れつつあった。
寝不足ではないはずなのに眠い。その状況で教室の入り口近くで友だちと話していた夕葉を見て、思わず口をついて出たのが「邪魔」の一言だった。
一瞬、夕葉は怒りを爆発させそうになったが、喉元まで出かかったところで押さえることができた。『パラパラサイト』の他にも【歌ってみた】を聞いてから、頭の中を麗音の歌声がずっと占めている。苛立つクラスメイトSのことなど今はどうでも良い。
はずだったのだが、次の休み時間にも、颯斗は夕葉に「邪魔」と口にした。
今度は、颯斗が落とした消しゴムが夕葉の足元に転がって、拾いづらかったからだった。
「あんた、その言い方何とかなんないの? 拾ってって言えば良いじゃん!」
頭に血が上りやすい性格の夕葉には、立て続けの不躾な物言いは看過できなかった。
「自分で拾う。お前に頼むつもりは無い」
細めた目でどこか睨めつけるように言うものだから、夕葉は頭の中でカッチーンというオノマトペが出るような気さえした。
「あっそ。じゃあ自分で拾えば良いじゃん」
夕葉は軽く消しゴムを蹴飛ばして、颯斗の方にやった。夕葉自身、さすがにやり過ぎたかなと一瞬後悔したが、不満げな颯斗の顔を見れば、それくらい許されるような気がした。
颯斗は無言で拾って自分の席に座った。
美陽は遠巻きに見ながら、少しだけ笑ってしまった。
(似た者同士、なんだよね、あの二人って)
嫌で仕方ないと思いながら、なぜか妙に関わる。無視を続ければいつか空気になるだろうに、毎回ぶつかる。それが美陽には面白くてならない。
ああいうタイプがひょんなことからくっついたりしたら絶対面白い、とくすくす笑いながら、美陽は書き終わった学級日誌を閉じて、職員室へ向かった。スキップでもしそうな彼女の背中を意味ありげに見つめる少年の視線に、美陽は気付かない。
放課後、颯斗は家路を辿りながら次に【歌ってみ】る曲を探そうと動画サイトを巡回していた。
急上昇中の一覧を見ている中で、『Colored Talking』という曲が目に飛び込んだ。色彩豊かなサムネイルが印象的なその曲を再生すると、紙芝居風のPVが流れ始めた。
病弱な少年は言葉の色が見える不思議な人間だった。誰にも理解されず孤独な日々を送っていた彼の前に、同じく色が見える少女が現れる――嬉しい時には暖色に、悲しい時には寒色に、思い悩めばマーブリングのように、騙していればグリッチのように。
どれだけ取り繕って見せても、嘘を吐けない世界で、やがて二人はお互いの本当の気持ちに触れる……。
「良いな」
自覚するより先に言葉が盛れていた。
どちらかと言えばBPMの速い曲が好きだったし、圧倒的な歌唱力で全てをねじ伏せることが求められるような力強いが好きだ。だが、ここ最近の夕葉とのあれこれで疲れた彼の心には、『Colored Talking』のやさしく微笑ましいメロディが心地良く聞こえた。
そしてそれ以上に、彼の心を捉えたのは、PVに使われているイラストを描いた絵師の名前だった。
(しろもも……って、あの人だよな)
颯斗の心を一瞬で掴んだ、あの絵師だ。
(こんな絵も描けるのか)
以前目にしたのは、女子が好みそうな王道のイケメン、という印象だったが、今度のは朗らかで、あたたかな二人の絵。最後のワンシーンで互いの方を向いて笑いかける一枚には、今日あった出来事を全て忘れさせる愛おしさがこもって見えた。
動画の概要欄から飛んで、あのしろももなのか確かめてみた。
(あれ、フォロー、返されてる?)
嘘かと思って二、三度瞬きをした。麗音は人気歌い手とはいえ、こうもあっさり返されたことには驚いた。それほど、颯斗の中でしろももは優れた存在だった。
心が俄かに高揚する。
(いつかこの人と一緒に活動出来たら楽しいだろうな)
颯斗にとって、その憧憬は初めての感覚だった。
自室の天井を見上げる。
上手く歌えない。
湧き上がって来る熱情、衝動、それに突き動かされて歌い上げる。そうやって短期間で無数の【歌ってみた】を投稿してきた。もちろん、手を抜いたり妥協したりしたことはない。納得できずお蔵入りになった曲は無数にある。
とりわけ歌い出しが厳しい。
椅子から離れてベッドに転がると、パソコンでも何度も何度も見たPVをまた再生した。見れば見るほど、心の底から歌いたいという気持ちが湧き上がってくるのに。
だが思えば思うほど、プレッシャーが募って、いつもなら自然に声が出る喉に、妙な負担をかける。
(この人の絵に、遜色ない歌を)
今まで一度だって、意識したことのなかった思いがあった。
人気が出てからは特に、麗音の世界を強く意識して録ることが多かったが、今回は本家の動画の雰囲気を尊重する形で歌いたかった。元のままの世界を、彼なりに再現する。もう頭の中には、少年と少女、二人分のイメージが出来上がっているのに。
いざ歌ってみると、雑念が邪魔をする。これで良いか? もっと自分の歌は上手かったはずでは? もっと、もっと――
(今日はやめておくか……?)
自分に問いかけても、答えは曖昧だった。やめてしまえば、もう歌わなくなってしまうような気もする。
ひとまず、気分転換をしようと階下の居間へ下りた。
「あれ、どしたの、浮かない顔して」
沙羅がソファに寝転びながら音楽雑誌を読んでいた。二つ下の妹だ。
「別に。何か本調子じゃないだけだから」
「そう? 悩み事あるなら、聞いたげよっか?」
雑誌から一ミリも視線を動かす素振りはない。話を聞くつもりがあるのか疑わしかった。
「良い」
「ふうん。ま、なんかあったら言ってね」
颯斗は妹に対してもそっけない反応しかしない。思春期に入ってから、妹との距離感の取り方が分からなくなった。沙羅は特段意識していないが、颯斗の方が勝手に彼女を年相応に感じているだけだということを、彼はまだ知らない。
冷蔵庫のドアを開く。春先の喉に、ミネラルウォーターの冷たさが痛いほど染み入った。その刺激が、彼の気持ちを変えた。
「沙羅」
「呼んだー?」
ペットボトルを戻し、開いたままだったドアを閉める。
歌いたいのに、上手く歌えない。そんな状況をどうしたら良い? 颯斗はそう聞こうとした。
だが、思ったように言葉が出なかった。思っていることをすんなりと言えるほど、颯斗は喋るのが上手くない。
「何かあるなら、言ってみてよ」
沙羅は雑誌を左にずらして颯斗に顔を向けていた。
「何となく今日は、上手く歌えない、っていうか」
家族は颯斗が歌い手であることはもちろん、麗音であることまで把握している。放任主義だから、誰も何も言ってこない。
「お兄ちゃんにもそんな日、あるんだ。……んー、肩に力でも入ってるんだろうけど、お兄ちゃんがリラックスできるようなことって、何?」
「さあ……何だろうな。歌うことくらいしか、浮かばない」
「あはは、何それ。どんだけ歌うの好きなの。じゃあ、外でも歩いてみたら? スッキリするかもしんないし。あ、そうだ。ちょうどコンビニで振り込みしたいのあったし、頼んで良い?」
「何だ、それが本命かよ……」
「いや、そんなんじゃないってば。お兄ちゃんが嫌だって言うなら、普通に行って来るけどさ。何かきっかけなかったら、お兄ちゃんって自分から外出ないじゃん」
「……分かった。行って来るから」
沙羅はソファから飛び降りると、自室へ駆けて行った。
コンビニまでの道をのそのそ歩きながら、妹が渡してきた振込用紙の内容に目をやる。アイドルグループのライブのチケットのようだ。
気分を変えるのに、普段聞かないジャンルを聞いてみるのもありかもしれない。家に帰ったら、沙羅に何枚か借りてみよう、と思った。そんなことをしようものなら、次から次へとアルバムが出てくるのはもちろん、メンバーについて逐一語られる未来が見えるが。
気が付けば、コンビニに着いていた。自動ドアを前にして、唐突に気分が重くなった。別に店員は気にしないだろうが、男性アイドルグループのチケットの支払いに来る自分の姿がどう見えるか気になってしまった。
考えるのはやめようと言い聞かせて支払いを済ませる。店員の顔は見なかった。
半ば逃げるようにして店を出ると、ドン、と何かにぶつかった。
「すみませ――」
眉間にシワがこれでもかと寄った夕葉の顔が、そこにあった。




