#018 楽園誘引
「昨日も作業しておねむだった?」
やさしい声に起こされる。どうやら、ホームルームの途中で意識を失ったきり、ずっと眠っていたらしい。
「御崎……」
「良かった、ちゃんと覚えててもらえて」
薫は窓際に背を預けながらニコニコしていた。
「あのさ、ちょっと話があるんだけど、良いかな?」
「ああ、大丈夫」
薫は颯斗には気付きようのないほど、微かに口角を上げた(もっとも、颯斗ならわざとらしくしたとしても、気付かないだろうが)。
「新曲を書いてたら、これはいっそ、最初から颯斗君に歌って欲しいなってものに仕上がっちゃって。どうかな、オリ曲として上げてみるのは」
「【歌ってみた】じゃなく、か」
オファーをもらうのは決して初めてではなかったが、今までは有名無名問わず、断ってきていた。歌い手以上の存在に自分がなるというイメージは、颯斗の中にはない。憧れたのが歌手ではなく、久音という歌い手だったことも大きい。
ただ、薫の『パラパラサイト』は実際好きだったし、素性も明らかな彼が提供してくれるというなら、多分に興味をそそられた。
「本当はもう何曲か、歌ってもらえてから書き下ろしにしようと思ってたんだけど、出来上がってたものが、予想外に君のイメージにぴったり来ちゃったからさ、思い切って提案しちゃおう、って」
「どういう曲なんだ?」
薫はすぐさまスマホを取り出すと、有線のイヤホンを颯斗に渡した。銀色のケーブルを透明な樹脂が覆っている。音にこだわる人間が選ぶイヤホンなのだろう。
颯斗がイヤホンを耳につけると、薫は再生ボタンをタップした。
曲はいきなり〝大丈夫〟という言葉から始まった。それもリスナーをやさしく包み込むような音色だ。
『パラパラサイト』とは違って、しっとりとしたbpmで、ピアノのソロが脈拍を静かに落ち着けていく。
確かに薫は麗音の【歌ってみた】をよく聞いていると思った。時たま、こういう痛みに寄り添うな歌を歌いたくなる時が来る。その時の流行りとは全く違ったとしても、そんな気分になった時は、何よりそれを歌う。
Cメロで背中を預けさせてまでくれて、ラスサビとアウトロで一緒に目を閉じてくれるかのような慈しみがそこにあった。
「君の声でこれを歌えば、きっと救われる人がたくさんいると思うんだ」
「前のからは作風がだいぶ変わったが、良いのか? 今はファンが獲得しやすいタイミングでもあるだろ?」
「ドーパミンがどばどば出るような中毒性のある曲は僕も好きなんだけど、それよりこの曲が降りてきちゃったから、こっちにするより他にないんだよ」
仕方ないというわりには、その表情は満足げだ。
「ああ、分かるな、その感覚。今の自分にとっては、絶対にこっち、ってやつ」
「そうそう。コンポーザー魂に火がついちゃって」
「御崎は将来的に有名なボカロPになって、自分で歌い出したりする流行りの人らになるのか?」
「の、つもりだよ。自分で歌うかまでは知らないけど、前はボカロPだったけど、今では誰もが知ってるあの曲を作った人、ってやつは目指してるね」
「なんか、上手く表現するの難しいけどさ、御崎からは飢えっていうか、ギラついた感じがするんだよな。表面的にはしっかり隠せてるけど」
「追いつきたい人がいるんだ」
さぁ、とカーテンが膨らんで、一瞬薫の顔を隠す。次に現れたのは、颯斗が見抜いた方の野心に満ちた鋭い眼差しだった。
「氷雨モミって知ってるよね」
「ああ、【歌ってみた】でもオリ曲でも今一番強い女子高生だろ」
「幼馴染みなんだ。小学生の時に通ってたピアノ教室が一緒でね。詩織はその後歌の道に進んでいったけど、僕はそのまま作曲の道に進んだ。でも、僕はあんまり器用じゃなくてさ、よくスランプに陥っては、支えてもらってた。〝私はずっと、あなたの味方だから。〟って。だけど、思ってたよりずっと早く、詩織の才能が花開いちゃって、いつの間にか、詩織は遙か遠い所に行ってた」
再びカーテンが彼の顔を覆うと、今度はまた、それまでの薫に戻っていた。
「隣に立って、また一緒に歩いていくんだ」
「そりゃだいぶ、頑張らなきゃならなそうな話だな」
「そうそう。『パラパラサイト』一個のヒットごときじゃ、到底太刀打ちなんてできないのさ」
「ストイックなんだな、御崎は」
「クリエイターなんてたいていみんなそんなもんじゃない? 颯斗君だって、自分が次が大ヒットしたらもう満足、なんて絶対しないでしょ」
「好きでやってることだしなあ」
「そうそう。で、そこにちょっとまあ、恥ずかしい話だけど、恋愛の要素が絡んでる、っていうね」
「良いじゃん。目的地が決まっててさ。後は進むだけ、って感じがする」
「その考え方、良いね。素敵だ」
そう口にすると、顔はカーテンに頭をもたせかけて空を仰いだ。
「無事颯斗君には歌ってもらうことが決まったわけなんだけど、もう一点、どうしようかなーってところがあるんだよね」
「動画か?」
「うん。MV自体は僕が創れるんだけど、絵だけは描けないから、毎回誰かに依頼してるんだけどさ、颯斗君が歌うってなるとさ、それなりの人にしないといけないよね、っていう」
すぐにあの名前が思い浮かぶ。だが、果たして口にして良いものか、大いに迷った。アルデンテPも麗音も、彼女に依頼するに値する存在だとは思っているが、それでも、不思議と彼女を、神聖視さえしている部分があった。
だが、これを好機と捉えたい気持ちが勝った。もちろん、麗音単独での依頼にも応えてはくれるだろうが、二人からともなれば、より自然なきっかけになるだろう。
「なあ、イラストを頼んでみたい絵師がいるんだ。受け容れてもらえるかとかは全然、分からないが」
「僕は別に、払えそうにもない金額がかかる人じゃなければ、大丈夫だけど。なんて人?」
「しろももっていう人なんだが」
薫は颯斗に見えない角度で微笑した。まさか、そちらから提案してくるとは。ことが上手く進みすぎているだけに、油断して打算が見透かされないようにせねばと言い聞かせた。
「何度かPVでお見かけしたよ。絵柄も色々描けるし、世界観を深く読み込んだ作品を制作してる人だから、素敵だよね」
自分が感じた彼女に対しての魅力を、こうもすんなりと言葉にされて、颯斗は胸が少しズキリと痛むような感覚を覚えた。
「しろももさんに依頼するのは、颯斗君の方からしてもらうのでも良い? 僕からいきなり声をかけるのは、薮から棒だろうし」
けれど、そう言われて、すぐに感情が変化した。しろももが絡むと、いつもこうだ。ちょっとしたことで喜んだり、沈んだり。
「しろももさんにもいつかはイラストを頼んでみようかとは思ってたし、願ってもないチャンスだよ。もっとも、君ほどのアカウントから声がかかったら、断れはしないんじゃないかな」
「いや、彼女には、純粋に携わってもらいたいと思ったら、引き受けてほしいと思ってる。それでも、良いか?」
「君もたいがいクリエイターだね。良いよ。音源ができてから聞いてもらおう」
「悪いな、わがままで」
「今回は僕からの頼みを引き受けてもらう形だからね。そんなのはわけないよ」
椅子からぴょんっと飛び上がると、薫は小悪魔チックに微笑む。
「楽しみだね。三人での合作」
「いや、まだ決まったわけじゃ――」
「僕の本気に、君が絡むんだよ。間違いなく最高の作品になるに決まってる」
自信ありげに右の口角を吊り上げた薫に、勇気をもらった気がした。
しろももとも共同で制作ができるかもしれない。それか創作への熱情から来るものなのか、まったく別の意識から来るものなのか考えるのは、棚上げした。
「それじゃ、早速家に帰って音源を送るよ」
「ああ、頼む」
間もなく夏がやってくる。よりまだまだ明るさを保ちそうな夕陽が、期待に胸を膨らませた二人の少年の背中をやさしく、それでいて力強く押していた。




