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#017 Goodbye, My Worry.

 翌日、夕葉は学校を休んだ。

 高校に入ってからは初めてだった。風邪で熱があったって、ちょっとくらいなら耐えて登校した。気分が悪くても、保健室に行かず授業を受けるような毎日を過ごして来た。

 全校生徒の半分くらいは行かないような離任式にさえ、欠かすことなく出た。ちょっとやそっと胸が痛んでも、苦しみで折れるようなことは、決して無かった。だから、こんなことは、本当に初めてだった。

 顔まで布団を被って、身を縮こめる。普段なら学校に着いているような時間だ。もう目も冴え渡っていて、これ以上眠ることも出来ない。

 けれど、起きていれば、考えてしまう。それが嫌で、学校まで休んだのに、律儀で生真面目な彼女の身体は、不貞寝(ふてね)するのを許してはくれない。

 全部、あいつのせいだ。

 少し前まで、ただのムカつく奴だったのに。今は、夕葉の心をひっかきまわす、厄介者だ。

 会う度に、否応なしに心を揺らしてやまない。

 でも。

 彼自身には、意図的な部分なんて、無い。

 何から何まで、夕葉自身が勝手に思って、勝手に決めつけて、勝手に苦しんでいるだけ。それは、夕葉にも、もうよく分かっている。

 夕葉が思っていたような彼は、実はどこにもいなかった。

 嫌い? 何が? 何処が?

 虚像に、苛立ちを募らせていた。

 気付かないでいられたら、平和だったのに。

 少しずつその膜は剥がれて、実像を露わにしてきた。

 そして分からなくなった。彼のことも。戸惑ってやまない自分のことも。

 これ以上彼を(いと)うのは、間違っている。どれだけそう思っても、いざ彼の前に立てば、〝嫌な奴だ〟と思いたい自分がいる。私はこいつが気に入らない。元いた自分が、考え方を変えてしまうの? とまるで正気を疑うかの声を投げかけてくる。

 不器用なだけで、やさしい人なんだろう。

 でも、認められない。認めたくない。そんな自分が、立ちはだかる。

「なんで? ずっと嫌いなままで良いじゃん」と言い続ける。

「あいつだよ? 分かってる? あいつだよ? 散々嫌ってきたじゃん? 他にもたくさんいるのに、なんでわざわざあいつの評価を改めようとしてるの?」

 その言葉は、夕葉の心としっかりリンクしていた。別に、彼である必要はない。初期の違和感を無視できたのは、それが上手く働いていたからだ。

 けれど、今、もう一つ、別の声が聞こえる気がする。

 何度も何度も押し込めて、耳を塞いで、無視しようと努めた。それでも、心の隙間から、その声が、するりと入り込んできて――

「認めてあげたって、良いんじゃないの?」

 夕葉の前に立っていたもう一人は、やわらかく微笑んでいた。

「彼は、そういう人じゃないよ」

 その微笑みが、それを浮かべる人が、いつの間にか、颯斗に変わっている。

 特別遠ざけていた人――彼を少しでも自分に近付けるのは、他人との距離感を測りかねる彼女には、まるで、別の特別扱いをするようなものと同じで……。

 嫌だ。

 違う。

 やさしさ。あたたかさ。やわらかさ。

 なぜ、彼はもっと、普通でいられないんだろう。自分にとって何の意味も成さない、ただのクラスメイトSではないんだろう。

 動悸がする。自分が生き物であることを痛感させられる。そんな急な変容は、夕葉にとって、決して初めてのことではなかった。


 自分は、この心のはたらきを、知っている――


 それでも、かつてのそれとは、明らかに違う。鷺沼(さぎぬま)颯斗(はやと)を悪い奴ではないと思う以上のことが、なぜ自分の身に起こっているのか。

 かつて自分の知ったことのある感情と、明らかに似ている。けれど、どう考えたって、それは別の何かであるはずだ。あるべきだ。

 実際がどうであれ、とにかく、認めたくない。間違っていたとしても、自分を変えたくない。曲げたくない。


 向き合わなければならない感情だろうか、これは。


 忘れたい。無かったことにしたい。

 そうだ、もう、消してしまおう。

 このまま伏せった気持ちで布団にくるまっていても、苦しさが増すだけ。

 そう思って、携帯とイヤホンを手に、部屋を出た。家には誰もいない。学校を休んだ夕葉が何をしていたって、それに文句を言われることはない。

 両親はいつだってそうだ。今朝も、理由を深く聞かれることはなかった。母親に休みたいと伝えたら、バッチリ決めた仕事着で学校に電話をかけたかと思えば、次の瞬間には家を出て居なくなっていた。

 無人のリビングを抜けて、外に出る。震える手でイヤホンを耳に挿し、携帯のロックを解除した。独りぼっちの夕葉を支えてくれるのは、音楽だけ。音色が、歌声が、この心を和らげてくれる。

 今回もまた、忘れられるだろう。この苦しみから解き放ってくれて、明日には、何事も無かったかのように、けろっとした顔で、学校に復帰出来るだろう。

 そして、日々の義務を真面目にこなしていれば、こんな感情なんて、あったかどうかも、分からなくなるに違いない。

 そう思って、プレイリストから、今一番寄り添って欲しい〝声〟を、探した。


〝麗音〟


 その名前を目にするだけで、動悸がマシになった。そんな気がする。いいや、きっとそうだ。


 ――私は、〝彼〟に、恋をしている。

 他の誰でもなく、〝彼〟に。

 あんな奴は、知らない。自分の日常は、明日からも変わらない。(おびや)かされることは、ない。

 ラッシュの時間が過ぎて人影が消えた世界を、夕葉はたった一人、慰めてくれる声に包まれながら歩き続けた。

 住宅街の奥の奥に、ひっそりとたたずむ神社の階段をゆっくりとのぼる。

 麗音の歌声だけが、彼女のか細い命を支えていた。

 もし、それが無かったら、どこかで足を踏み外して、遥か下へと落ちて行くような気がした。ある意味、それでも構わないなんて感覚が、今の心にはあった。

 彼は優しく寄り添ってくれる。どんなに些細なことで悩んでいても、許してくれる。そんなことで悩んでるんだ、なんて、言わない。嫌な顔をしない。

 だって彼は、ガラスを二枚隔てた向こう側の人だから。

 相談の仕方なんて、知らない。菜々や美陽(みよ)にだって、どうしてもはばかられる。些細な悩みや日々の愚痴は普通に話せても、自分の奥深くに迫る問いは、口にできない。

 両親の帰りはいつも遅かった。やつれて帰ってきて、けれど翌朝には何事もなかったかのように家を出る姿を見て、たくさんの言葉を飲み込んだ。

 できるかぎりのものを、一人で解決して来た。真面目に生きて来たのも、そう出来たからでもあったけれど、そうすれば、降りかかる災いが分かっていたからという方が、理由としては大きかった。

 生まれる悩みを減らせれば、そもそも相談できなくても、悩まなくて済むはずだ。幼心に、そう学んでしまった。

 絵を描くこと。本を読むこと。音楽を聴くこと。

 芸術に触れる時、悲しみが和らぐ気がした。

 美しいものに近づいて、寄り添ってもらって、心を癒してきたを少女は、いつしか、絵筆をとるようになってなった。

 少女は、(たお)やかに、儚げに、(うるわ)しい絵画を生み出していった。

 しろももは、夕葉の孤独さが生んだ存在だった。しろももでいれば、一人でも、独りきりだと思わずに済むような気さえした。

 その孤独さに、麗音はすっと入って来た。

 夕葉は、〝夕葉〟でいたくないと思った。〝夕葉〟でいたら、一介のファンに過ぎない。彼女が隔てた二枚のガラスを打ち破ることはできない。

 けれど、〝しろもも〟なら――

 麗音の正体を知る必要はない。彼女が求めているのは、麗音だから。彼を愛するのは、〝しろもも〟だから。

 ただ焦がれるのではなく、隣を歩きたい。

 それがもし――


 クリエイターとしての、純粋な動機に基づいていないと、もう一人の自分が、後ろ指をさしているとしても。


 階段を上り切ると、小さな境内が見えた。

 それに背を向ければ、この町が概観できる。小学校の頃も、中学校の頃も、この景色を、夏休みの宿題に描いた。いたって普通のこの風景を、なぜ最初に選び取ったのか、それは分からない。けれど、ここは間違いなく、彼女にとって美しいものが見える場所だった。

 吹きつける風が、髪を揺らす。憂いに寄り添ってくれる、柔らかな風だった。

 それはきっと、悲しい選択。間違った選択。その道をどこまでも進んでも、〝本当の〟幸せは得られないに違いない。けれど、〝本当の〟幸せの形を、そもそも知らないから。

 どれだけ憐れだとしてもも、心に空いた大きな(あな)を埋めてくれるものの傍に居たいと願う方が、自然だった。

 悩みは、一人でどうにかできる。

 目元で揺れる前髪が、ハイライトを隠した。

 いて良いのは、麗音だけ。

 世界から、颯斗は抹消される。ただのクラスメイトHに、これ以上心を揺らされることはなくなる。

 なおも叫ぶ、もう一人の夕葉をかき消すために、景色のカーテンを払いのけた。

 〝夕葉〟は、〝しろもも〟になる――鷺沼颯斗なんて知らない、別の誰かに。


 ××になるはず、ない。

 あたしは、彼が、嫌いなのだから。


 片割れが流していた涙に、彼女は気付かない。

 今までだって、そうしてきたのかもしれない。けれど、今度のは明らかに意識的に、心の奥底――何重にも鎖を巻きつけて開かないようにした空間に、押し込めた。

 好き、だ。

 麗音、が。

 それだけが感じられることを確かめて、長い階段を降りはじめた。

 耳元では片恋の相手が、やさしく歌っている。

 夏の訪れを告げる風は、振り返る間を与えず、頬を乾かした。

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