@014 蛇は心に忍び込む
御崎薫は、ホールの最前列で颯斗の歌を聴いていた。
確信。鷺沼颯斗は、麗音だ。
【歌ってみた】と違って生歌ではあるが、『パラパラサイト』を歌っていたのと同じ声。
それに、コミック・ザ・ギャザリングで行動を共にしていた中に、おせんべがいた。彼は麗音とのコラボ曲を上げているし、配信に通話でゲスト参加したこともある。
だが薫の意識は、颯斗だけになかった。普段教室であれだけ颯斗と衝突を繰り返している榊原夕葉、彼女についても考えていた。
彼女はそれなりに人気の絵師だ。それは、去年教室で目にしたラフが、見事に完成された状態でタイムラインに流れてきた時点で分かってしまった。だが、しろもも自体には、あまり関心が湧かなかった。彼女の絵は何人かの知り合いのPVにも用いられていたものの、その絵柄は決して、薫の感性に響くタイプのものではなかった。
状況が変わったのは、おそらくは颯斗だろうと思っていた麗音と、しろももとが接触しだしたことだ。
麗音のプロフィールに飛んでみると、二人が相互フォローの状態になっている。何があったかはさておき、二人は互いの素性については知らないまま、少しずつ近付いているのだと知った。
『パラパラサイト』で一躍ネットの話題をかっさらったアルデンテP。彼が作るオリジナル曲を、麗音が歌う。そこに、ボカロ曲のPVの絵師として人気度の高いしろももが加わる。
彼一人では、決して想い人たる氷雨モミの隣に立つような力は得られないだろう。だが、二人の力を借りられれば――
二曲目、『Spicy Poison』の歌唱は、さすがに本家に比べれば粗も目立つが、何より、会場そのものを巻き込む、魔性の魅力を有している。麗音の歌声は、いともたやすく耳元に入り込み、固く閉ざした扉の向こうにすら、気が付く前に存在している。
この人は他にどんな歌を歌うのか。別のジャンルでは、どんな声色を聞かせてくれるのか。気になって仕方なくなる。左隣の男子の目の輝かせようも、右隣の女子の胸に手を当てて聴き入る様子も、何もかも、麗音の力の顕れだ。
それだけに、問題はそれぞれの中身が、あまりにも相性が悪いということ。今年は二人とはクラスが違っているが、おそらくは改善されたということはないだろう。
そう思いながら、犬猿の仲の二人をどうくっつけるか、薫はそのことばかり思案しながら、廊下を歩いていく。その美少年っぷりに、後輩の女子の一人が胸を奪われたことなど、つゆ知らず。
新しい座席を見て、敦も、春文も戦慄していた。
颯斗の右隣に、夕葉。
このクラスのくじは呪われでもしているのだろうか。
何故かついでに固まった二人は、ちょうど対角線上に位置した、窓のすぐ傍に座る弾薬庫をやきもきしながら見つめる。
(お、おい、大丈夫なのか、あれ)
春文が敦に目線で尋ねる。
(や、やばいと思うよ)
敦は首を横に振った。ようやく離れるかと思ったら、今度は真横。次の席替えは、当分先だろう。
そんな中で、ついでにまとまった美陽は、驚きはしたものの、先日の夕刻の光景を思い出して、ひょっとすると、と思っていた。
颯斗は窓の外を見つめたまま。
夕葉は、たまに隣を気にする素振りは見せるものの、話しかけたりするようなことは無かった。
一触即発か、と思われた地帯で、特に騒ぎの起こらないまま時間は過ぎ、あっという間に放課後。
「今日の掃除は、っと。席替えしたから、一列目に戻すか。じゃ、よろしく」
担任の相原がそう言った後で、颯斗の前に座っていた女子が、くるりと右斜め後ろを向いて、「今日は都合があってすぐ帰らなきゃいけないから、代わってくれないかなぁ」と夕葉に頼んで来た。
彼女のことはあまりよく知らなかったが、断る理由も特に思いつけず快諾した。
掃除が始まってすぐ、黙々と掃き掃除を進めていた颯斗に、同じくホウキを持っていた夕葉がぶつかってしまった。
まだ教室に残って、今か今かと火薬庫を恐れて見つめていた春文と敦は、いよいよ爆発するぞ、と身構えた。
「ご、ごめん」
「ああ、大丈夫」
夕葉はさっと謝ると、颯斗から距離を取った。それで、終わり。普段ならここで「あんたもっと周り見なさいよ! 邪魔なの!」の言葉が飛び出ていてもおかしくない。たとえそれが、夕葉の不注意から来るものだったとしても。
「な、何だ、あいつら、変なモノでも食ったのか」
「さ、さすがに、変だね。何かあったんじゃないかな、あの感じ」
「って考えると……」
二人の視線の先は一点に交わる。
「榊原が変わった、ってことだよな」
「颯斗は通常運転だからね。今朝も大あくびしながら机に突っ伏して、二時間目くらいまで寝てたよ」
「いや、そこは心配してやれよ」
「それでも全然平均点余裕で越えてくるから、注意すると逆に空しくなっちゃうよ」
夕葉が颯斗に一切噛みつかないというのは、それにしても異様に映る。
「藤川、お前なら分かるんじゃないか?」
今日の日誌を書いている途中だった美陽は、手を止めて春文の質問に答えた。
「特に何か凄い変化があった、って感じじゃないと思う。ただ――」
昇降口の光景は、美陽の幻覚とまでは行かないけれど、そう思い込みたいだけの可能性はある。
「少し、ちゃんと向き合ってみる機会ができた、とかじゃない?
「あそこまで仲が悪かった二人が? でも仲立ちしてくれそうな奴に心当たりもないしな。そういや、軽音のライブに突然鷺沼が出てきてびっくりしたんだが、あのライブ見て、惚れたとかあるか?」
「え? ライブに出てたの?」
美陽は目をぱちくりとさせた。
「俺の友達のバンドのボーカルが入院しちゃってね、代役を立ててほしいって言われたから、颯斗を推したんだ」
「そうなんだ、全然知らなかった。私たち、二つ目のバンドから見てたから、鷺沼君が出てたのは一つ目?」
「だね」
「ってことは、いつもと違うあいつの姿にキュンと来ちまった、みたいな話でもないんだな。まあ、実際は何かあって、ちょっと見直した、って程度だろう」
「そのきっかけが何だったかは気になるね、でも聞いたらまた前みたいな感じに戻っちゃいそう」
「せっかく距離が良くなかったかもしれないんだし、しばらくそっとしておいてあげるのが良いんじゃないかな」
またぶつりかりそうになって、寸前で回避する二人。やはりそこには、以前のような一触即発の感じは見えない。それがおかしくもあり、微笑ましくもあり。三人の目には、一色では表せない心が、それぞれ胸の内に湧いていた。
掃除が無事に終わる様を見届けられていたとはまるで知らず、フリーになった颯斗は喉の渇きを覚えてカフェテリアに向かった。
お金を入れてから、何にしようか悩みはじめる。
「鷺沼君――」
(炭酸の気分、じゃないしな……でもミルクティーじゃまたすぐ喉渇きそうだ)
「おーい、鷺沼君、聞いてる?」
「え? ああ、何だ」
右を向くと、顔に見覚えはあるが、名前がパッと思い浮かんでこない。
「ま、真崎……」
「御崎だね。去年はクラス、同じだったんだけどな」
「悪い。俺、人の顔とか名前とか、覚えんの苦手で」
「随分顔色も悪そうだけど、もしかして、それが原因だったりもする?」
「いや? これは単なる寝不足」
ライブの疲れと緊張はまだ完全には取れきっていない。新しい【歌ってみた】への着手も全然だ。
もう幾らか硬貨を追加して、エナジードリンクのボタンを押下した。
ガコッと落ちてきた缶を拾い上げると、「何か話でもあるのか?」と尋ねる。
「もう単刀直入に聞いちゃうんだけどさ、鷺沼君って――歌い手の麗音、だよね?」
平静を装ったつもりだったが、何かしらの確信があるだろう薫の微笑からは、カマをかけている様子も見てとれない。
ライブ終わりに誰も鷺沼颯斗=麗音説を口にしなかったし、【歌ってみた】と生歌の違いからしても、案外気付かれることはないものだと、完全に油断していた。
「そうだよね?」
その落ち着きようからは、薫がその説を学校中に流布したいという欲求を抱いているわけではなさそうに見てとれた。少なくともこれは、事実の確認という要素が強いのだろう。
冷えたエナドリの缶が冷たく、一度手放したいという思いを耐えながら、「そうだけど、なんで知ってるんだ?」と真意を確かめることに努める。
「元々【歌ってみた】は聞いてて、この前のライブで確信したんだよ」
薫が話し始めたところで、ちょうど二人の脇を、女子が数人通って行った。その瞬間〝麗音〟という直接的な名前を彼が避けたのを見て、颯斗は少し警戒心を緩めた。
「誰かにバラしたりとか、強請ったりしようとか、そういう意図は無いから、安心して。ただ、せっかくすぐ近くにいるその才能の恩恵に、あずからせてもらえないのは、ちょっともったいないなって」
持って回った言い方のせいで、颯斗は首を傾げた。彼の指先をずっと冷えさせていたエナドリの缶は、今やすぐ傍のテーブルに置かれていた。
「僕も君みたく素顔は隠して活動してるんだ。『パラパラサイト』を作ったのは僕って言うと、分かりやすいかな?」
薫はツートーンほど声を落として言った。
「あれの本家様ってわけか」
「そうそう。いやあ、驚いたよ。あの日の朝は朝から三組の子が有名なゲーム実況者だって話で盛り上がってたでしょ? 僕もう戦々恐々でさ。喋るわけでも歌うわけでもないから、何か皆に聞かれたところで、トークスキルなんて僕にはないよ」
「意外といるんだろう、どこにでも、とは思いつつ、いざ会ってみたら、本当にこの人がそうなのか? って、思ったりするよな」
「分かる、分かるよ、その感覚。きっとこのご時世、至る所にVTuberだの配信者だのが紛れてるんだろうけど、みんな素の自分とはキャラが違ったりもするし」
誰とであっても打ち解けて話すのが苦手な颯斗だが、薫の素性を知ったからか、はたまたそのするりするりと心の中に入り込んでくるのが巧い話し方のせいか、力まずに話せる。
「それでさ、この前は偶然僕のを選んでくれたのかもしれないけど、今後は露骨じゃない程度で、また僕のを【歌ってみ】てくれないかな」
「『インディペンデンス・デイ』も良い曲だと思ったから、いつか録ろうかと思ってたところだし、構わない」
「あれを良いと言ってくれるのは、嬉しいね。再生数四桁も行かなかった、僕の趣味全開の奴なのに」
「もちろん知名度も意識はするが、俺は自分が良いと思ったのを歌いたい主義だからな」
「そこが良いんだろうね。流行りに乗っかるのが上手いのも活動者としてはセンスがあるんだろうけど、クリエイターとしては、僕は君の考え方の方が好きだ。だからかな、本気さが伝わってくる。実力とは別に、聴き手に対する別角度からの訴求力を感じるよ」
「そ、そきゅー……」
「魅力的、ってことだよ」
「それは……嬉しいな」
面と向かって褒められるせいで、どうにもくすぐったい。
「これからも良いと思ってくれたので構わないから、ぜひ頼むよ。もちろん僕も、一発屋で終わる気はないから、次もアレだけのものを仕上げる気でいるし」
「分かった。楽しみにしとくよ」
くるり、と背を向けた薫は、もう一度颯斗の方を向き直った。
「でもさすがに、君がそうなんじゃないか、って気付いてる人はいっぱいいるだろうからね、言動には気を付けなよ。今のところ、そういった噂話は出てないみたいだけど」
「ご忠告、どうも。もう少し平然とした顔の作り方を勉強しとく」
「うん、それじゃあね」
再び手に取った缶は、結露が凄かった。少しぬるくはなっていたが、失われていた力が、再び湧いてくるような予感がした。




