#011 SSSSatisfaction
「家に寄るのか?」
ドラマに出てきそうな緩やかな上り坂の向こうには、西洋風の豪邸が一つ見えるだけだ。
「いや? ここが練習場所」
「ああ、そういう……」
湊が玄関のドアノブを握ると、親指が触れた瞬間、ピピッと電子音がして解錠する音が聞こえた。普通の住宅にこんな技術が使われているのは驚きだった。
その後も、部屋に入っただけで照明が点灯したり、喋る冷蔵庫があったりと、いちいち驚くとキリがなさそうな事態が続いた。
リビングのソファに腰を下ろすと、ようやく一息つくことができた。
「悪ぃな、練習って言っといて揃ってなくてよ」
「急に委員会が入ったなら仕方ないだろ」
何インチかも分からない巨大薄型テレビに、視聴覚室の天井から吊されているようなスピーカー。すぐ後ろには大仰なシャンデリアがある場所で、一般庶民の颯斗の緊張はさほどほぐれない。
(早く帰りたい……)
「あら、お客さん?」
後ろから声がして、チラリとその方を向いた。
美術室に飾られていてもおかしくないような均整の取れた造形美。慈愛の心が目元に顕れていて、一糸たりとも乱れていない黒髪は腰元まで流れている。
「お邪魔してます」
こちらが気恥ずかしくなる感じすらして、颯斗は縮こまるように挨拶した。にっこりと微笑み返され、さらに強張ってしまう。
「湊、ちゃんとおもてなししたの?」
「だ、大丈夫だって、姉ちゃん」
湊が気圧されている。古河家の女性は皆、他者を圧倒する力を備えているのかもしれない。
「もう、この子ったら、本当なっていなくて。失礼なところがあったら、遠慮なく私に言って下さいね」
頬に手を当てながら言う彼女に小さく会釈すると、その背後で、湊が必死に顔を横に振っていた。
ここに来るに至った理由がかなり強引なものだった、と言えば、湊はどんな目に遭わされるのだろうか。
静かに一礼すると、湊の姉はその場から離れていった。
別の意味での緊張が緩んだところで、インターホンの音がした。
颯斗にはその音が、救済の鐘にすら思えた。
手ぶらでやってきたショートカットの少女と湊の後ろについて、地下へ続く階段を下りていく。着いてからもヘッドホンをつけたままで、今のところ颯斗に話しかける様子はない。
廊下を少し行くと、広々としたスタジオ風の空間が現れた。
「お前の親、バンドマンなのか……?」
「親父は趣味でチェロやってて、お袋はフルート奏者」
「防音がしっかりしてそうだな……」
「おう、バッチリよ!」
さっきの姉とのギャップが凄い。先に湊が生まれたとして、あんなふうに育つのだろうか。
「まずは自己紹介からだな。ほら、自己紹介するぞー」
湊がヘッドホン少女の眼前で手を振ると、ようやく彼女はヘッドホンを外した。
「よろしく、ボクは浮橋美園。女の子だよ。スラックス穿いてるのは、スカートよりずっと素晴らしく着こなせるからさ」
なかなか芯の通ったやや低めの声で、颯斗は少し好印象を抱いた。ただ、そのアニメ調の話し方は、どことなく取っつきにくさも感じる。
(男口調の湊の次は、ボクっ子か……)
「茉莉亜ももう少ししたら来ると思うよ」
美園の発言から、颯斗はある可能性に気付いた。
「なあ、古河」
「ん?」
「もしかしてこのバンド」
「お、気付いたか?」
茉莉亜という名前で男子、みたいな可能性がない限りは。
「そう、ガールズバンド」
「なんで俺に頼んだんだ……」
強制だったとはいえ、拒めば良かったと今さらながらに後悔しかける。
「ははーん、さては、女子だらけで緊張するとか? 鷺沼も可愛いところあるよなぁ。でも安心しな、美園は男っぽいし、茉莉亜はまあ、うん、物凄く女子だけど、アタシはそんなでもないじゃん?」
お前は十二分に女子なんだが、と言ってやりたかった。湊的には、その茉莉亜とやらが女子すぎるというところなんだろうか。
再びインターホンが鳴った。
「お、来たね」
湊がすかさず迎えに行った。
「鷺沼君、茉莉亜がどんな子か想像してるよね」
二人きりになったところで、美園がさらっと話しかけて来た。人見知りというわけではないらしい。
「背が高くて、男勝りだけど、女子力は物凄い高い、みたいなのかな?」
「あはは、その感じじゃ、凄くびっくりするだろうね。お、ご覧よ、ご登場だ」
「いや、湊だけだが」
「茉莉亜〜! 湊に隠れてなくても大丈夫だぞ〜! こいつ、全然怖くないから!」
湊の背後から少しだけ顔が出てきた。身長は140cm後半くらいだろうか。物凄く小柄だ。
「あ、あ、あのっ、あのっ、楠田茉莉亜、です、よろしく、お願いします」
それだけ言うと、またしゅっと湊の後ろに隠れた。
(キャラが濃くないとこのバンドには入れないんだろうか)
残りの一人は決闘者だというし。
「茉莉亜は見てのとおり凄い人見知りだけど、打ち解けたらこんなことはなくなるから。」
「あ、ああ」
「ちなみにうちの低音を支えてくれる有難ぇベースが茉莉亜だ。こんななりしてっけど、ズゥンと響くサウンドが好きなロッカーだぜ、こいつは」
「今回の曲を選んだのも、楠田だったりするのか?」
茉莉亜はこくこく、と頷いた。
「ライブで男装すりゃ、一躍風高のトップスターにでもなれそうなのにな。茉莉亜のメイク、凄いからな。女子から男子、男子から女子、行き来自由でさ」
「確かに、全校生徒が放っておかないだろうね。風高のロックスター間違いなし!」
「わ、私、そこまでロッカーじゃないもん。歌い手さん聞いたり、アニソン聞いたり、クラシックも聞くもん」
湊の背後から僅かに顔を覗かせて答える姿勢は変わらない。
歌い手、と聞いて、ふと気になってしまった。
「歌い手も聞くのか。たとえば何聞くんだ?」
「お、おせんべさんです」
好きな曲調から予想していたのは、ハンニバルのような硬派な感じだった。麗音と答えてほしいほど自惚れてはいなかったが、まさかおせんべとは。
よりによって、Bメロが始まる前にアドリブで世間話を始めたり、ひょうきんな替え歌でたまに怒られたりしているあの、おせんべとは……。
颯斗の頭の中では、虎太郎が勝ち誇った顔で「見てみぃ、女子高生にもちゃあんと人気あるで!」と言い放っていた。その肩にミシェルが手を置いて、「これはレアケースだ」と首を横に振る映像までがぼんやり見える。
「そ、そうなんだ。ほ、他は?」
さすがに虎太郎だけが挙がるのは、なんとなく、納得がいかなかった。これでハンニバルやWitCherryが出て来れば、心の中のもやつきも少しはマシになりそうな気がした。
「他、ですか……。TAROIMOさん、とかですね」
「た、TAROIMOさんも好きなんだ」
TAROIMOはユーモア部門を牽引する大物歌い手で、虎太郎のリアルの友人だ。颯斗は直接会ったことが無いが、どう考えても同じ匂いを感じる。おせんべとTAROIMOは二人でゲーム実況を投稿したり、実写動画を上げたりもしているから、セットで認知していてもおかしくない。
いまだに湊の陰から出てこない茉莉亜も、家では二人の動画を見ながら屈託なく笑ったりしているのだろうか。
「茉莉亜が歌い手も好きなのは知ってたけど、おせんべが好きだったとはねー。ボクは夕戀くんとか麗音くんが好きだけど、茉莉亜はああいうかっこいいのは聞かないの?」
自分への評判は聞き慣れているはずなのに、目の前で美園が褒めているのを聞くと少しむずがゆい気がした。
「ゆ、夕戀さんはかっこいいとは思うけど、同じクラスのファンの子の応援ぶりが、ちょっと……合わなくて……。麗音さんは……私の好みとは、合わない、かな……」
雷鳴が轟いたほどの衝撃。
蓮哉に負けたのはともかく、虎太郎に負けたのはあまりにもショックが大きかった。
脳裏には高らかに勝ち鬨を上げる虎太郎のイメージがありありと浮かんだ。なんなら変顔で煽ってまでくる。
「なあ、お前ら、せんべいとかタロイモとか、何の話してるんだ?」
お嬢様は歌い手は聞かないのかもしれない。颯斗は湊がなぜこのキャラなのか、ますます謎に感じた。
「じゃあ、そろそろ練習すっか」
湊はいつの間にかワインレッドのギターを手にしていた。美園はドラムスティックを握っていて、茉莉亜もベースをケースからあくせくしながら出していた。
もし茉莉亜の他の趣味がツーリングだとか、麻雀だとか言われたところで、もはや驚かない自信があった。
まずは三人の演奏を聴かせてもらう。入院中の決闘者がいればツインギターになるらしいが、さすがに颯斗にそこまでの要求はされなかった。
何より彼女たちが楽しんでいる、それは間違いない。だがそこには、確かな訴求力があった。三人しかいないはずなのに、四人目の姿が見えすらした。
ボーカルが練習を無駄にさせたくないと言ったのは、これ以上ブランクを作らせたくなかったからなのかもしれない。
早くここで歌いたい。そう思わせる音の混成の魔力が、おのずと颯斗の身体を前のめりにさせていた。
「どうだ、これがアタシらSSSSatisfactionだ。カッケェだろ?」
「ああ、良いな。早速だが合わさせてくれ」
「っしゃ! ぶちかましてくぜ!」
ライブのためにバンドと組むことはあったが、あれはみんな、プロが颯斗に合わせてくれていたのだと気付かされた。
だからかもしれない。こんなにも難しいのが、楽しい。軽音楽部に入ろうと思ったことはなかったが、自分にも、こうして別の仲間たちと一つになれる可能性があったのかもしれないと、少しばかり想像した。
練習はいたって順調だった。
「良いじゃんかよ。これなら、ライブも安心だな」
「期待以上だよ。改めてヨロシクね、鷺沼君」
「わ、私もっ、よ、よろしく……お願いしますっ」
「ああ、こちらこそだ」
普段からこんな感じで接することが出来れば、人付き合いが苦手にもならず済むのかもしれない――
柄にも無く反省するほど、三人との時間は濃密なものだった。
「じゃ、ラーメンでも食いに行くか!」
後はもう、家に帰って休息を取るだけ――今日の感覚を反芻しながら、眠りの海に沈んで――
「お! 賛成!」
「ら、ラーメン、い、良いね、ふふ」
「鷺沼は何ラーメンが良い?」
爽やかな汗と笑顔は、自分ひとり帰るとは言わせない力があった。
(ああ、やっぱり……人と活動するのは、しんどい)
少しだけ上向きに転じかけた颯斗の社交性は、ラーメン屋の湯気の中に消えていった。




