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#010 歌って、鷺沼!

 コミギャ明けの月曜日。颯斗は教室で机に突っ伏していた。

 イベントなんかに赴いたこと、WitCherry(ウィッチェリー)の二人だけでなく、他の歌い手仲間全員に会ったことで、今週はほぼ充電に当てられる気がする。

 授業でも突っ伏したり起き上がったりを繰り返すせいで、夕葉は静かにイライラを募らせる。なぜこうも視界に入ってくるのか。ただ単に目の前の席だからに他ならないのだが、何か別の理由があるように思われるのが苛立ちを小火(ぼや)で終わらせてくれない。

 四時間目が終わり、颯斗は心置きなく羽を伸ばした。左頬を机の面に貼り付けて、全ての力を抜いた。

 食事よりもよりも休息を取ることを優先しようと目を瞑りかけた所に、敦が声をかけてきたものだから、顔を上げた颯斗の表情は、際立って険しかった。

「うおっ、凄い顔だね、颯斗」

「何だよ……」

 上体を起こす気はさらさらないようだ。

「あー、えーっと、そうだね、うん、颯斗って、歌、上手いよね」

 敦にしては歯切れが悪い。

「カラオケで高得点余裕で取るだろ? 中学の合唱祭も飛び抜けて上手かったしな」

「何だよ、薮から棒に」

「つまり、だな、その、歌、歌わないか?」

 は? とやや掠れた声で聞き返す颯斗。あまりに唐突すぎるし、まるで要領を得ない。

「用があるならハッキリ言ってくれ」

「……悪い、颯斗。友人として何とか回避させてやりたかったんだけど」

 敦は気まずそうに教室の入口の方に顔を向けた。その先に、ひょっこり姿を現したのは――

「よっ、鷺沼」

「お前は……っ、だ、誰だ……」

「嘘だろ!? アタシのこと知らないって!?」

 ゆるくパーマのかかった茶髪、モデルかと思わせるようなスタイルに、目立つチョーカー。校則はあまり厳しくはないとはいえ、ここまでバッチリメイクを決めてくる生徒は珍しい。身長も女子の中では高い部類だ。

「まあ、目立つ奴だとは思うが」

「この学校で古河ふるかわみなとを知らねぇたぁ、テメェ、モグリだな?」

「俺の周りにはどうしてこうアニメキャラみたいなのが湧くんだ」

「ちゃんと喋りなよ、古河」

「だな。なあ鷺沼、ウチのバンドで歌って欲しいんだ」

「俺、部活入る気ないんだが」

「あー違う違う、さすがに急いちまったよ」

 額をぺちっと叩いて、いっけねと言う様は確かに浮いてはいるのだが、不思議と不快さはそこまで覚えなかった。

「うちのバンドのボーカルがよ、チャリで事故っちまったんだ。クリア何たら! とか叫んで爆走してたとかでよ」

「さっぱり分からないが、バカ一直線な奴がボーカルやってるのだけは分かった」

「で、見事に骨折しちまって。ライブには間に合わせるって言ってたんだが、病室で本気で決闘(デュエル)してたら、退院目前でぶり返したんだってよ」

「バンドから追い出せよ」

決闘者(デュエリスト)ってことに目を瞑れば、あそこまでうちのバンドに合った女は他にいねぇ」

「女子なのか。ずっと男だと思ってた」

「べらぼうに可愛いからな、腰抜かすぜ?」

 湊はまるで後ろに彼女がいるかのように、立てた親指をビッと背後に指した。

「本題に戻ってくれ」

「ああ、悪いな。アイツが自分のせいで他のメンバーの練習まで無駄にすんのは耐えられんねぇ、右眼が疼いちまうって聞かねぇからよ、どうにか代打探すことにしたんだ」

 いちいちツッコんでいたらキリがなさそうだ。

「で、葛西に聞いてみたら、鷺沼なら間違いねぇって保証してくれてさ」

 颯斗は即座に敦の方を振り向き、()めつけた。ギギギギ、と横を向く敦の目は、悲壮感に満ちている。

「ってことでよ、よろしく頼む」

 すっと握手を求める手が伸ばされれば、拒みようがなかった。教室の中はおろか、廊下からも視線を感じる。湊が学内でも屈指の有名な存在なのは本当らしい。

 既に近くから「古河にお願いされるなんて、(たぎ)るよな」「あれで拒否ってたら滅多打ちにしてたかもしれない」なんて発言の数々が聞こえてきていた。

「連絡すんのにLINE交換しとかなきゃな」

 考える暇もなく連絡先を交換すれば、「じゃ、詳しい話は後で連絡入れっから」と言い残して、湊は出て行った。

「はぁー……敦、よくも友人を売ってくれたな……」

「ごめん、颯斗……。気付いたら捕まってた」

 一年生の時に湊のバンドのメンバーに片想いをしていたのを知られてしまって以降、頼み事を聞かざるを得なくなったのを、颯斗は知らない。

「今度奢るから、頼むっ!」

「分かったよ……」

 やむなくだったとはいえ、困ったことになったと思う。

 中学校の合唱祭では紛れて誤魔化せたが、今度は彼の歌声が中心になる。正体に気付かれる可能性がある。いくら何でも、本気で歌うわけには。

「歌えるってだけなら、他の誰でも良かったんだけど、古河が歌の上手いやつをって言うからさ、それならやっぱ、俺の思う一番上手いやつ紹介しなきゃ、不誠実じゃん」

 敦は麗音のことは知らないはずだ。それなのに。

(そう言われて、生半可な真似するってわけにもな)

 颯斗は再び机に伏した。


 颯斗は溜息交じりに【歌ってみた】動画のエンコードが終わるのを待っていた。

 ヘッドホンからは、ライブで歌う予定のポップスが流れてくる。アニメ映画の主題歌らしい。バンド自体はそれなりに有名だが、特に聞いたことはなかった。

 本来のボーカルがどんな具合かは以前のライブを撮影した動画で確認していた。ある程度はそちらに寄せて、バンドの雰囲気に近づけることはできそうだ。

 だが、コピーバンドのコピーで、果たしてメンバーは心地よく演奏できるだろうか。とはいえ、自我を出し過ぎても、「feat.麗音」になってしまうだけに思える。

 ひとしきり「あー」だの「うーん」だの唸ると、(Twitter)を開いた。行き詰まるとついここに来てしまう。

 今日もタイムラインには誰かの不祥事やら新商品の告知なんかがまばらに配置されている。

 けれどその中でしろももの呟きを見つけ出すのは、驚くほどに簡単だった。

〝惑い〟

 とだけ添えられた絵は、落下していく白いワンピースの少女の心臓近くから、ブルーブラックのシルエットが立ち現れて、少女の頬に手を伸ばしている。こちら側に手があるせいで、少女の顔は見えない。ただ、少し上に見えるきらめきは、きっと笑ってはいないだろうことを思わせた。

(この人はどんなことで、戸惑うんだろう)

 単にそういうテーマなのかもしれないが、まるで彼女も何かを抱いていたのではないかと考えずにいられなかった。

 メッセージは彼が最後に送ったもので止まっている。

 そこに重ねるのは少しためらわれる所もないではないが、それ以上に、彼女の考えに触れてみたかった。

〝急にすみません。変な質問で申し訳ないんですけど、もし、しろももさんが、絵を描いていることを明かしていない所で絵を描くことになったとしたら、どこまで本気で描きますか?〟

 送ってしまってから、後悔した。少しばかり話した程度の相手からこんな質問が飛んできたら、誰だってぎょっとするだろう。

 ゲーミングチェアを離れ、ベッドに倒れ込む。スマホを握る手からも力を抜いた。

どうしてしろもものこととなると、意味の分からない行動を取ってしまうのか。

 目を閉じて眠りに落ちようとしても、普段なら簡単なはずのことがまるでできなかった。


 英語の宿題を解いていた所に、ふいに届いた麗音からのメッセージ。

(これって要するに、本気を出したら身バレするかもしれない、って話よね。あたしレベルなら絵柄ってほどの絵柄もないし、バレない気はするけど……歌声だと、確かに分かっちゃうのかも)

 毛先をくるくると触りながら、迷う。

 何度も文字を打ち込んでは、全て消してしまう。

 麗音はきっと学生なのだろう。社会人で本気で歌うか迷うようなシチュエーションは思い浮かばない。

〝私は後悔しがちな性格なので、どちらにせよ後悔してしまう気がします。どうして本気を出さなかったんだろうよりは、どうして本気を出してしまったんだろうの方が、後々自分を許せる気がするので、たぶん、本気を出すと思います〟

 この答えで良かったのだろうか。

 本当は制してほしかったのではないか。

 彼に送ったとおり、自分が後悔ばかりする性格なのがいただけない。けれど、彼に思ってもいないようなことを伝えるのはもっと嫌だった。


 電子音がして、慌てて颯斗は顔を上げた。

 しろもものアイコンが見える。

〝どうして本気を出してしまったんだろうの方が、後々自分を許せる気がするので〟

 本気を出す出さない、それだけの返事を予想していたのに、彼女の分量はしっかりと質問に向き合ってくれたことを告げていた。

「なら、そうしてみるか」

 再びヘッドホンをつける。心はもう、ボーカルを代わる鷺沼(さぎぬま)颯斗(はやと)ではなく、【歌ってみた】のために何度となく曲を覚え込む麗音のそれになっていた。

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