16.勇者アレス襲来
ある日、魔王城に緊張が走った。
「なに、勇者がやって来るだと?」
「はい、先日魔王国に入ったと連絡が来ております」
勇者。
それは魔王の天敵。
それは人族の英雄にして、魔王を殺す暗殺者。
女神マオトリーから祝福を受けたとされており、マオトリー教会からは聖人と認定されている。
その勇者がやって来る。
「ヤバいよ、ヤバいよ魔王ちゃん⁉︎ 早く逃げないと!」
焦ったシロが魔王様に進言する。しかし、焦っているのはシロだけで、この場にいる誰もが別の意味で驚いていた。
「勇者って、勇者アレスのこと?」
「そうです。勇者アレスです」
サリーの疑問を肯定する。
「アレスさんって、あのアレスさんすか?」
「どのアレスかは分かりませんが、勇者アレスです」
メロウの疑問に答える。
「アレスさですか、また懐かしいですね」
「そうですね、何年振りでしょうか」
リーフの言葉を聞いて、振り返る。
彼が初めて魔王城を訪れた時は、自分達が世界を救うんだと目に希望を宿していた。
仲間達も彼のことを信頼しており、これで平和が訪れると信じているようだった。
そんな彼がやって来る。
「盛大に歓迎してやらねばのう……」
悪い笑みを浮かべた魔王様は、彼の来訪を楽しみにしているようだった。
◯
勇者襲来の知らせがあって三日が過ぎた。
だが、彼は未だ魔王城には到着していない。
一応、現在地は把握している。
このままのペースで来るのならば、恐らく二日後には魔王城にやって来るだろう。
魔王様は、「まだかな〜」と玉座に座って楽しみに待っていた。
◯
勇者襲来の知らせが届いて一週間が過ぎた。
だが、勇者は未だに魔王城に来ていない。
現在地は把握しているのだが、一向に進んだ様子が無い。
念の為に迎えをやったのだが、「自分の足で行くから大丈夫」と拒否されてしまったようだ。
魔王様は、「何をやっておる? もしや精神攻撃か?」と玉座に寝そべって待っていた。
◯
勇者が来ると知らせが届いて二週間。
残念ながら、勇者は魔王城には到着していない。
一体勇者は何をやっているんだと見に行くと、魔王国を観光して楽しんでいるようだった。
私は勇者を問いただすのを諦めて、魔王城に戻った。
魔王様は、勇者を待つのに飽きて、いつも通り遊んでいた。
◯
勇者がやって来ると聞いて一ヶ月が過ぎた。
魔王様も四天王も魔王軍も、そして私も勇者の存在を忘れた頃、魔王城に勇者襲来の警報が鳴り響いた。
勇者襲来は火事発生時と同じようにベルが鳴り、赤ランプが点滅するので、一時は魔王城で火災かと大騒ぎになった。
「えっ、勇者? ……あーーっ‼︎ 勇者か⁉︎⁉︎ そういえば来るとか言ってたな、すっかり忘れてた」
「もう一月も前ですしね、仕方ありません」
これはどうしようもない。
交通機関を使えば、二日と掛からずにたどり着く道程を一月も掛けたのだから、忘れられても仕方ない。
「勇者⁉︎ 魔王ちゃんは私が守るからね!」
シロが爪を出して、戦闘体勢に入る。
そんなシロを、サリーが止めた。
「落ち着きなさい、勇者は別に脅威でもなんでもないよ」
「へ?」
待ってなさい。サリーはそう告げると、黙って扉の方を見ていた。
謁見の間の扉がゆっくりと開く。
勇者とは若く、逞しく、勇猛果敢で人々を守り導く存在。
彼は正にそういう存在だった。
そう、昔は。
「え? あれが、勇者?」
現れたのは齢七十を過ぎた老人。
腰は曲がっていないが、杖を付きながら進んでいる。足取りはしっかりとしているので、足腰が衰えているわけではないのだろう。
勇者アレスは魔王様の前まで歩くと、足を止めて懐かしそうに魔王様を見上げる。
目が合った魔王様は、準備していたマントをバサっと鳴らしてポーズを決める。
「よく来たな勇者アレスよ。今我の配下になるのなら、世界の半分をくれてやるぞ。ただし、闇の世界の方だがな」
「ほほっ、懐かしい。……そんな物はいらない、僕達はお前を倒して世界を守る! だったか?」
思い出すように台詞を言うアレス。
その言葉は、初めて魔王様に挑んだ時の物だった。
「我に挑むか、矮小な存在でしかない貴様らが。ならば、我が力の前にひれ伏すがよい‼︎」
「お前を倒す! この命に変えてもな!」
アレスは杖を剣に見立てて構えを取る。
肉体は衰えているはずなのに、その構えには一部の隙も無く、現役時代よりも明らかに昇華されていた。
アレスの間合いに立ち入れば、気付かないうちに、胴体とクビが泣き別れしているだろう。
やがてその構えも解き、アレスは改めて魔王様と対峙する。
「……アレス、老けたな」
「僕は人間だからね、君達のように何百年も生きられないよ」
「何とも儚い命だな。今からでも我の仲間になれば、延命させてやるぞ」
「遠慮しとくよ、僕は人のまま死にたいからね」
アレスは視線を彷徨わせ、サリーを見つけると再び魔王様に戻した。
「それは残念だな、魔王軍幹部の席だって用意してやれるのに」
「それはそれで楽しそうだ。でも、やっぱり僕は、限られた時間を懸命に生きていきたい」
「その割には、ここに来るまで時間が掛かっていたようだが?」
「一度、魔王国を見て回りたかったんだ」
「今更どうしてだ?」
「……この国は、とても笑顔に溢れているね。治安は良く、飢えも無く、子供達は駆け回り、大人達は安心して見守っていられる。これはとても素晴らしいことだ。僕が回った世界の中で、最も幸せな国だよ」
「まあな、我の国だから当然だな!」
勇者アレスに褒められて、鼻高々に主張する。
「はは、そうかもしれないね。魔王を倒せば、世界は平和になると本気で思っていた自分が情けなくなるよ」
「ふっ、それは間違いないぞ」
「ん? それはどういう……」
「我は、いずれ人類を滅ぼそうと思っているからな」
ふふんと、アレスを挑発するように告げる魔王様。
これで激昂して、アレスが戦いを挑んで来ると思っていたのだろう。いつでも動けるように、体勢を取っていた。
しかし、そうはならなかった。
「ははっ、それは怖いね」
魔王様の宣言を、アレスは笑って流していた。
「なんだつまらん」
「ここに来るまでに、土迷葬のモルボと酒を飲みながら話をしたんだ。だから、君のその言葉がどういう意味を持っているのか、理解しているつもりだよ」
「モルボと会ったのか……元気にしていたか?」
「僕と同じように老人だったけど、あと百年は生きるそうだよ」
そうか……。魔王様はそう言って安堵していた。
土迷葬のモルボは、シロの前任者だ。
地底人というのもあり、陽の光の下だと活動能力が落ちるという特徴を持っている。
それでも、歴代四天王の中でも上位に入る腕力を持っており、地面を操る地底人の魔法は強力だった。
「ときにアレスよ、今回はどのような赴きで魔王城まで来た? お前は、勇者を引退したのではなかったか?」
勇者アレスが最後に来たのは、おおよそ三十年前。それを最後に、後進を育てると言って引退したはずだった。
「魔王国を見て回りたかったというのもあるけど、君達に報告しておきたいことがあるからだね」
「報告? それはなんだ?」
「新たな勇者が育った」
その言葉に、一瞬ここにいる者達の動きが止まった。
シロは警戒から、サリーとリーフ、メロウは驚きから。そして魔王様は、喜びから笑みを浮かべていた。
「あとは、マオトリー教会から認められるだけなんだ。いずれ君の前に立ち、その首を取るかもしれないよ」
「それは楽しみだな。それで、お前よりも強いのか?」
「強いよ、なんたって僕の孫だからね」
純粋な人の中では、今でも最高峰にいるであろうアレスが言い切る。
身内に甘いだけの可能性もあるが、この男が言うのであればもしかしたらと思ってしまう。
「くくくっ、アレスの孫ならば盛大に歓迎してやらねばならんな」
「ほどほどに頼むよ、強いとは言ってもまだ幼いからね」
「我からすれば、皆幼いぞ」
「ははは、それもそうだね。……魔王、ひとつだけお願いがあるんだ」
「なんだ?」
「ロキ殿と二人で話がしたい。許可をもらえないだろうか?」
「ロキと……?」
その意図が分からず、魔王様は私を見る。
私もアレスが何を考えているのか分からないので、見返すことしか出来ない。
しかし、これまで世界に貢献してくれたアレスの願いならば、私に断る理由は無い。
私は魔王様に頷き、問題ないと告げる。
「分かった。部屋を用意させよう」
「ありがとう、流石魔王だ」
「当然だ!」
何が流石なのか分からないが、魔王様が喜んでいるのなら、まあいいだろう。




