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メガネの向こう<6>

「あれ、笠置も残業?」

「ああ。お前は終わったのか?」

さすがに渥美部長も何もしないだろうとは思っていても、やはり気になって、仕事が手に付かず、結局康利は残業する羽目になっていた。

「どうだった?」

器用な性質の康利とは違って、杏は他課への出向は初めてである。決して仕事が出来ないわけでは無いのだが、どちらかといえば、ゆっくりとしたペースでしっかりと仕事をするタイプの杏は、初動まで時間が掛かる所為か、出来ない奴と見られがちだった。

もちろん、それはいつも共にいる康利が器用に何でもこなしてしまうことも、原因のひとつではあったのだが。

「すごく忙しかった。けど、丁寧に教えてくれて、何とかこなせたよ。明日の手伝いもあるからって早めに帰してくれた」

「早めにって、今の時間でも赤バスだぞ。多分」

現在の時刻は既に九時を廻っている。これ以上遅くなったら、寮へ戻る赤いランプの最終バスに間に合わない。いや、途中の住宅街まではまだバスはあるのだが、いかんせん山の上にあるのは康利たちの会社の社員寮だけだ。当然、バスを使うのは社員のみという有様なので、就業後のバスの本数は極端に減る。

「企画課の人たちは泊り込みだって。鈴木さんなんか、もう三日も帰ってないらしいよ」

「ゲ…ッ」

企画や営業は、派手な仕事も多い花形職である反面、厳しい職場でもある。比較的のんびりした事務系の職種とはやはり一線を画しているらしい。

自分にはとても勤まりそうに無い部署だと、康利は改めて認識した。

「笠置。待っててくれたんだろ? 帰ろう」

「そうだな。帰るか」

にっこりと笑って杏が云うのに、康利も笑って応じる。

二人して会社を出ると、ちょうど企画課の数人が買出しから戻ってくるのと出くわした。コンビニの袋の中身は、食事と飲み物の他に、おそらく栄養剤と眠気覚ましの諸々が入っているはずだ。

「おう、葛西。今日はご苦労さん。明日も頼むぜ」

「そうそう、俺ら明日は多分、死体だからな」

「渥美部長の云う通りにやってりゃ間違い無いから」

妙に陽気なのは、ナチュラルハイ状態なのだろう。それに、律儀に杏は頭を下げた。

「はい。僕でやれることなら。皆さんもあと一息ですから」

ぐっとこぶしを握り締めた杏に、企画課の面々が笑い声を上げる。

「頼もしいな。じゃ、頼むぜ!」

会社へと戻る連中の背中を見送っていると、ひとつ先のバス停に、バスの明かりが見えた。二人は顔を見合わせて、バス停へ向かって走り出す。

運良く、最終バスの一本前のバスらしい。行き先表示は白いランプのままだ。

ステップに片足を掛けたまま、康利が振り返る。杏が追いつくのを待って、乗り込むとのと、杏がステップに飛び乗ったのは同時だった。

席へ着くと、走った所為で熱くなったのか、杏はネクタイの結び目に、指を入れて少し揺るめ、ずれたメガネを拭いて掛け直す。

何気ないそのしぐさに、康利は慌てて視線を逸らし、神経質にメガネを指で上げ下げした。

メガネを掛けていない状態の杏の、素の瞳を眺めることなど、康利でも一年に一度あるかどうかだ。

幼稚園時代から、杏の顔にはメガネがあって、少し色素の薄い瞳はガラス越しで見るものだと康利は思っていた。

だから、こんな風に突然見せられると、らしくも無く動揺してしまう。

それを押し隠す為に、康利は、ひたすら杏の方を見ないで思いついたことを話しだした。

「杏、お前、明日も企画課の手伝いなのか?」

「うん。明日の資料、俺が作ったのを使うことになったから、説明も俺がやる」

杏はこう見えて、ソフトの扱いに掛けては右に出るものがいない。覚えるのには時間が掛かるが、一度覚えたら完璧で、凡ミスをすることが無かった。

「今日は資料作るのに借り出されたのか?」

「パワーポイントと、ドラキャド使える人がいなかったらしくて。ずっとパソコンで打ち込みしてた。渥美部長の説明も解り易かったし」

杏の口から出たセクハラ部長の名前に、思わず康利は振り返り、杏の開いた喉元に釘付けになってしまう。

企画課には寮の大先輩である鈴木もいたし、明日がコンペの当日とあって、さすがのセクハラ部長も暇は無いだろうと思っていたのだが、どうやら、意外と精力的に仕事とシュミの両立を図っているらしい。

なんとか視線を逸らしながら、康利はあきれ果てたため息をついた。

これは、明日のコンペの最中も気が抜けないらしい。

「杏。渥美部長って、変なスキンシップしたりとか…」

肩が突然重くなって、康利は云い掛けた言葉を飲み込んだ。

首筋に、杏の柔らかな寝息が掛かる。

慣れない仕事に余程疲れたのか、杏は、康利の肩に頭をもたせ掛けて、ぐっすりと寝入っていた。

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