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メガネの向こう<5>

入った店は、量が多いことで知られたイタリアンだ。

本場で修業したと云うオヤジは、コックと云うよりは肉体労働者風で、店内もイタリアンではあるが、洒落た感じはまったく無い。

男が二人で入るにはいい店だ。しかも、値段の割には美味かった。

杏は興奮したように、さっき見た映画の感想をしゃべり続けている。

それを見ていると楽しくなって、康利はうんうんと相槌を打った。

端から見ていると、多分、自分の顔は普段見られないくらいに、崩れているだろうと、康利は我ながら、冷静に思う。

だが、自分の後ろから付いて歩くだけの杏が、目の前ではしゃいでいるのは、こんなときしかないのだ。それを楽しんだって罰は当たらないだろう。

幼稚園から一緒の幼馴染は、当然のごとく高校まで一緒だった。同じ町内に住む杏と康利が公立の、家から一番近い学校を選べば、そうなるのは当たり前だ。どちらも、平均的な平サラリーマンの家庭で、兄弟もいる。特別優秀な訳でもなく、スポーツが出来た訳でも無い。康利だとて、関東の大会で上位には入るかもしれにないが、全国を狙える程の腕前でもなかった。当然、進路は似たようなものだ。

康利が焦ったのは、大学の進学時である。こればかりは、一番近い国公立と云う訳にはいかない。何といっても、康利たちの住む町から一番近い公立大学は海洋大で、少なくとも杏にその素養があるとは思えなかった。体力に自信のある自分でも一ヶ月以上の海外航海実習となれば、うんざりする。あとは近場にあるのは、工業大、芸大、医科歯科大などで、杏がどの方面を目指しているかで、進路がまったく違っていた。

何とか、同じ大学を目指していることを知ったのは、杏と同じクラスの弓道部員に頼み込んだからだ。

佐多と云うその男は、やたらと康利が杏に構うことを知っていて、ライバル視しているとでも思っているらしい。

「笠置はかっこいいのに。何で、葛西なんかに構うの? 葛西なんか全然負けてるのにさ」

この男はやたらと杏を馬鹿にするような言動が多くて、康利は気に入らなかったが、それでも、杏のことが好きだとばれるよりは良かった。

自分の想いは異常だと、康人にには既に自覚があったからだ。自分が仲間はずれにされるならまだいい。それで、杏と付き合えなくなるのが嫌だった。

杏がそれで態度を変えるような相手では無いことは解っている。だからこそ、杏はそれを真摯に受け止めるだろうことも。それで、今まで通りの『幼馴染』でいる自信が無かったのは、むしろ康利の方だ。


それで、気まずくなるくらいなら、ずっと『幼馴染』を続けるつもりである。

どんなにそれが苦しくても。

目の前で笑っている杏が見られれば、康利はそれで良かった。




「おい、丸メガネ」

「はい」

相変わらず小早川は、名前を呼ぼうとはしない。呼ぶ気が無いのか、それとも、名前を覚える気が無いのか。どちらにしても、上司の自覚が足りない男だ。

そして、その無礼な呼び方に返事をするのも、相変わらず杏のみである。

日下などはパソコンから目を上げる様子も無かった。

「何でしょうか?」

杏が小早川の机の前に立つ。狭いフロアなので、各自の机でも、別に声は聞こえるのだが、そうしないと、小早川はご機嫌が悪くなる。自分が軽視されていると思うらしい。

まったくもって、度し難い男だった。

「企画課が手伝いを欲しがっている。お前、行って来い」

「はい」

「すぐ行け!」

「はい!」

云われた杏は、そのまま頭を下げて企画課へと向かう。

残された康利が、むっとした表情で声を上げようとするのを、遠藤が目線で制した。

「課長。企画課のお手伝いですか? 葛西だけで大丈夫でしょうか?」

「知らん。葛西を指名してきたんだ。葛西だけでいいだろう」

無責任すぎる台詞だが、元々、杏を渥美の下へ送り込みたいだけだから、理由は何とでも付くらしい。しかも、それを恥とも思っていないのだから、お里が知れると云う物だ。

「他課への社員の出向は事前に許可を……」

「課長の俺がOKしてるんだ! 何の文句がある?」

「しかし、企画課は、今日は明日の企業コンペの準備でしょう?」

「だから、貸してやったんだろう! もうこの話は終わりだ!」

面倒くさそうに云う小早川に、渋々と遠藤が引き下がる。これ以上は云っても無駄だ。

この週末に、湾岸副都心にあるイベントホールで、コンペが行われる。関東の数十社が集まる合同新作発表会のようなものである。

当然、営業と企画は、自分のところの新作の売り出しに余念が無かった。もちろん、総務課も毎年手伝いはするが、それは当日のパンフレットの配布やらの肉体労働で、企画課からの事前の手伝いなど聞いたことも無い。

却って、こんなばたついている日に、企画課へ行って手伝える事などあるのだろうか?

しかし、ばたついているからこそ、渥美も何も出来ないだろう。むしろ、康利はどんくさい杏が、何か失敗でもしないかとはらはらしどうしだった。

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