②
「お嬢様はおかしくなられたようだわ」
「折角、王太子殿下がまともになられたというのに」
リーベミオはロベルダ公爵家の屋敷で、周りからこそこそと嫌な視線を向けられている。
彼女はとぼとぼと廊下を歩いていた。レリオネルの中身が違うと言い続ける彼女のことを誰もが腫物に触れるかのような態度をするようになった。
公爵夫妻は可愛い娘が乱心してしまったと、嘆いている。
その嘆きを見ても、リーベミオの心は動かされなかった。
(お父様も、お母様も……なんで気づかないのだろう)
周りはリーベミオのことをおかしいと口にするが、彼女からしてみれば周りの方がずっとおかしいのである。
彼女にとって今のレリオネルは、彼女のレリ様ではない。
(私との、約束も覚えてなかった。レリ様らしい仕草も全然しない。それに視線が、嫌だ)
あのレリオネル・ユウディスが向けてくる視線をリーベミオは嫌だと思っていた。
その視線は、愛らしい少女を大人の男性が見る際に向けられる不快になるものだったのだ。
リーベミオ・ロベルダはそれはもう愛らしい見た目の少女である。
艶のある黒髪に、黄色く輝く丸々とした瞳。真っ白い肌に、ぷっくりとした唇。
将来有望な美少女と言えるだろう。それでいてこの国でも莫大な権力を持つロベルダ公爵家の次女。その美しい見た目と家柄から彼女に近づこうとするものは多いのである。
そういう彼女の見た目と家柄だけを見ている目。……美しい少女に対する何かしらの思惑を抱いている目。欲を感じさせるその瞳が、リーベミオには好きではない。
そういう視線を、あのレリオネル・ユウディスの姿をした何かはリーベミオに向けていた。
(レリ様は……確かに最近は周りに対してレリ様は横暴にはなっていた。でも……二人きりの時は昔のレリ様が垣間見えたりしていた。私はレリ様が何を苦しんでいたのかは教えてもらえなかった)
リーベミオはずっと、レリオネルのことを考えていた。
いつの頃か、少しずつ周りへの態度がひどくなっていた。そのことにリーベミオは心を痛めており、寄り添えればとずっと考えていた。
昔のレリオネルを知る者達は、全員が元のように戻って欲しいとそう願っていた。だから今、レリオネルが反省し、昔のように戻っていると喜んでいる。中身はきっと、全く違うのに。
(レリ様は……あんな風に心が籠っていない謝罪をしない。それに何か思う所があって私に謝ろうとするなら……リーベって、きっと呼んでくれたもん)
どれだけ周りから見れば違和感がないように見えたとしても、レリオネルを愛してやまないリーベミオにはそれが分かった。
つらつらとレリオネルのことを考えていると、リーベミオは泣き出しそうになる。
泣いたところでどうしようもないと知っているのに。周りにはあれがレリオネルと信じ切っているのだから。
『僕たちは結婚をするのだから、なるべく何かあった時に話そう』
その約束は、リーベミオとレリオネルが交わしたものだ。
『うん。私もそうしたい! 侍女の一人がね、ちゃんと話さなくて好きな人と別れたって聞いたの。私はレリ様とずっと一緒がいい』
『僕もそれがいいな。何かあったとしても一緒がいいな』
『何か苦しいことがあった時とか、大切なことを話す時の合図を決めたいの』
『そうだね。じゃあ――何か話したい時は、君のことをリーベと呼ぶよ。それを合図にしよう』
レリオネルはそう言って、嬉しそうに微笑んでくれた。その笑みを見ていただけで、リーベミオは胸を高鳴らせていた。
『大きくなったらレリ様を支える王妃になるの。だから、私も何か大切な話をしたいときはレリ様って呼ぶことにするの』
呼び名を変えることは、切り替えの合図である。
王太子と、公爵令嬢。その立場だからこそ、プライベートの場とそれ以外はわけるべきだとそう幼いながらに彼らは考えていた。
その約束をしてからリーベミオは基本的にレリオネルの前では、公爵令嬢として丁寧な口調を心がけ、呼び方も基本的にはレリオネル殿下呼びへと変わった。
何か話したい時、レリ様と呼ぶ。二人きりで過ごしたい時なども、そう呼ぶ。
レリオネルだって少しずつ悪い風に変化していたが、それでも時折リーベミオのことをリーベと呼んでいた。そう呼んだ時は、リーベミオには昔のような姿を見せてくれていた。
リーベミオが「レリ様」と呼びかけた時、あの改心したらしいレリオネルは「リーベ」と呼び掛けてくれなかった。それどころか、約束のことなど一欠けらも覚えていない様子だった。
(私のレリ様。……取り戻すためにはどうしたらいいのだろう?)
リーベミオはずっとそんなことを考えている。
頭の中は常にレリオネルのことがいっぱいで、あれがレリオネルではないと判断したリーベミオは他のことなど考えられないのであった。
それは周りが彼女をおかしいと、乱心したと騒いでいたとしても変わらないことだった。