③
「カセル様! よくいらっしゃいました」
さて、リーベミオと別行動をしているカセルといえば街に顔を出していた。
そして足を踏み入れるのは、一年ほど前にこの街で発足した傭兵ギルド【ニクスの花】。
そのギルドは、凄まじい勢いで急成長を続けている。秘密主義であり、詳しい内情を知る者はあまりいない。そういう国内で注目を浴びているのがこの傭兵ギルドだった。
カセルは傭兵ギルドの拠点の、奥まった部屋へと入る。
そこは質素で、あまり物の置かれていない部屋である。
その部屋は所謂ギルドマスターのような立ち位置のものが過ごす場所でもある。
しかし基本的に【ニクスの花】ではその地位にいるものが、常にその場所に滞在しているわけではない。
カセルはその傭兵ギルドの面々に、ギルドマスターのような立ち位置だと認識されている。寧ろそうだと勘違いしているものもそれなりに多い。
「カセル様、こちら今月の報告になります」
そういってにこやかに笑うのは、【ニクスの花】で事務員をしている一人の女性である。
長い髪を肩の部分で二つに結んだ赤茶色の眼鏡をかけた彼女の名はエレオナと言う。
キラキラした目でカセルのことを見ている彼女は、カセルに対する好意が隠せてはいない。とはいえ、そういう視線を向けられていてもカセルは特に気にした様子はなく、淡々としている。
「なるほど、依頼は増加しているのか。良いことだ」
カセルはそう言って満足気な表情を浮かべる。
カセルは主であるリーベミオの前に居る時とは、また違う様子を見せている。それは彼にとってはリーベミオのことが特別だという証でもあるだろう。
「はい。【ニクスの花】の評判は良く、徐々に依頼は増えております。これも一重にカセル様がしっかりとこの傭兵ギルドを統率してくださっているからこのように成長なされているのです」
「俺が統率しているわけではない。俺は主の指示に従っているだけだから」
カセルの言葉を聞いて、エレオナは少しだけ不満そうな顔をする。
彼女からしてみれば、この傭兵ギルドに顔も出さないカセルの主というものに対して思う所があるのだろう。
あくまでもカセルはその姿を現わさない主のことを立て、心酔している様子を見せている。
「エレオナ。主に対して悪感情を表されるのは不快だ」
「ひっ、申し訳ありません」
魔力を込めて視線を向けられると、エレオナは思わずと言った風に謝罪をする。
「主はこちらに姿は現していないが、魔物の素材をおろしたりなどといったことは行っている。それに俺の行動の全ては主の指示によるものなのだから、俺の功績は全て主の功績でしかない。それをくれぐれも忘れるな。この【ニクスの花】がこうして栄えているのも全てそのおかげだ。お前達のような優秀なもの達のことを取り立てているのも全て主が指示したことである」
「……はい。【ニクスの花】が発足して一年もたつのに、一度もお目にかかることがありませんでしたので、気になってしまいます」
カセルの主という存在が居ることを、【ニクスの花】の面々は把握している。とはいえ、この一年――この【ニクスの花】を発足した張本人、所謂ギルドマスターの立場に居る存在は一度も彼らの前に姿を現わしていない。
そのことに対して、エレオナのように不満を抱えているものはいないわけではない。ただしそういう態度を示せば、すぐにカセルがこのように怒りをあらわすが。
「お前達が気にする必要はない。主は必要があれば姿を現わすだろう」
カセルはそう口にしながら、自分の主のことを思考する。
(――主様は本当にまだ九歳にも関わらず、素晴らしい方だ。主様は望みを俺達に教えてくれることはない。それは俺やスーラがまだまだそれだけの信頼を得ていないからだろう。まだ幼い主様が傭兵ギルドを設立したというのは、面倒事につながるからと表に立ちたがらないが……この【ニクスの花】は主様が自力で、一から作った場所だ。あんな主様を乱心令嬢などと呼ぶなど、周りは見る目がない)
そう、この傭兵ギルドは他でもない乱心令嬢リーベミオ・ロベルダが設立したものである。
その事実をするのはリーベミオ本人と、奴隷として直接リーベミオから指示を受けているカセルとスーラしか知らない事実である。
カセルからしてみれば、リーベミオが乱心令嬢などと呼ばれている理由が全く持って理解が出来ない。
リーベミオならばその評判を簡単に覆すことが出来ることをカセルは知っている。しかし他でもない本人が「私が乱心していると思われている方が都合が良いの」と口にしていた。
リーベミオは、自分の優秀さを外に見せることを嫌がっている。その原因がおそらく実家の公爵家にあることはカセルはなんとなく理解している。
(主様の事情を聞くことが出来れば……主様のためにもっと行動が出来るのに)
そう思うが、カセルやスーラに対してもリーベミオは過去のことも一つも語らないのである。
だからカセルとスーラが知っているのは、彼ら自身が見たリーベミオ・ロベルダの姿だけである。
どうして乱心したふりをしているのか、どうして当たり前の貴族令嬢の道から外れてしまったのか、何を望んでいるのか――。
それを一つも、カセルは知らない。
ただそれを知らされなかったとしても、カセルにとってはリーベミオという存在は代えの効かない主である。
だからカセルにとってはリーベミオの事情などというものは何も関係ない。ただその命令に従うだけだった。