最終話 2人の秋
あれから豆腐屋では、何故か油揚げがよく売れたのが40年たった今でもよく覚えている。
妻は2年前ワシを置いて先立ってしまった。
結婚して数十年。ワシにはできすぎた、いい妻だった。
息子は10年前に結婚し、今では立派な大黒柱になっている。孫もいて今年で9歳になる。
両親が他界し、妻が先立ち、1人になったワシは祖父母の家へと引越しをした。
老い先短い人生の小さな悔いを、少しでもやわらげたかったのかもしれない。
外は紅葉が色付いている。
そしてワシは数年前に癌を患ってしまった。だが今は辛い闘病生活の中で、お狐様と五目並べをしているこの時だけが病気を忘れられた。
「お主、じじいになったのぅ。マサアキにそっくりじゃ」
「ワシはもう歳だ。じじいにもなる」
お狐様は今日もケタケタと笑っている。
「お狐様、ワシはもう長くない。それまでに何としてでも勝ってみせる」
ワシは変わらず、黒石を盤面に置いた。
「そう、か。お主も儂を置いていくのか……」
小さな声でお狐様は何か言ったが、老いぼれの耳はそれを聞き取れなかった。
「もし、ワシの孫がお狐様を見えていたら、一緒に五目並べをしてやってはくれないか」
震える手で黒石を置いた。
「――――ッ! なにを、何を言うのじゃ。お主はまだ儂に勝っておらぬではないか。勝負は孫に投げるというのか」
変わらない白く細い指が、乱暴に白石を置いた。
「お狐様、ワシはこの五目並べが最後になりそうだ」
もう腕に力が入らない。それでもこの一戦はなんとしてでもやり遂げたい。黒石を掴み投げるように盤面に置くと、ほかの石に当たりズレてしまった。
お狐様は悲しそうな顔で、そっとズレた石を直し白石を置いた。
「結局、囲碁は出来ぬのか。――ぁ」
かすかに映る視界には、白石が6連になっていた。
つまり、初めてワシが勝ったのだ。
五目並べを始めて70余年。この時をずっと焦がれていた。
枯れたはずの目から、涙がこぼれ落ちるのを感じた。
「禁じ手、ワシの勝ち。6連なんて、お狐様らしくない。まるで狐火のようだ」
「お主、勝ち逃げは……勝ち逃げは許さぬぞっ!明日また……五目並べをするのじゃ! 必ず! 必ずするのじゃ!」
お狐様が初めて泣いた。それはもうボロボロと。 ワシに負けたのが相当悔しいのだろう。
段々と身体の力が抜けていくのがわかる。
もう時間は少ないらしい。その前に、ずっとお狐様に聞きたいことがあったのを思い出した。
勝ってから聞こうと、そう思っていた。70余年たって、ようやく聞く事が出来る。
初めてあった頃を思い出す。あの頃はまだ小学生だった。なんだか懐かしい。
身体はもう動かない。僕は頭の中で、あの日初めてやった五目並べを思い出していた。
「ねえ」
「……なんじゃ」
「僕の名前しらないでしょう? 秋って言うんだ」
「……秋か。覚えておいてやろう」
頭の中で、黒石と白石が盤面を埋めていく。
「君の名前を教えて欲しいんだ」
黒石が少しだけ優勢だ。
「儂に名前などない。生まれてこの方、ただの1度もそんなものはない」
名前がないなんて悲しい事だ。
900年近く生きていて、誰からも呼ばれないのはきっと悲しい。
「じゃあ僕が付けてもいいかな、君の名前」
そう言えばあの日の勝負は、ばあちゃんに呼ばれて勝ち負けはつかなかったんだ。そしてこの勝負はきっと、永遠に終わらない気がする。
「……勝手にせい」
◇◇◇
◇◇
◇
「おい、儂に名前をつけてくれるんじゃなかったのか」
あれからしばらくまっても、秋は動かぬ。
「何を居眠りしておるのじゃ!」
何度呼びかけても、秋は動かぬ。
「儂は……まだお主の名すらも、呼んでおらぬじゃろうが……」
動かない秋に触れようと手を伸ばすも、儂は霊体の身。触れられる訳もなく、この両の手は秋を通り抜けていく。
零れる雫でさえ、秋に触れる事は許されぬのか。
また、儂は独りか。
また、愛するものは儂を置いていくのか。
また、この想いは胸に秘め続けるのか。
また、最後の最後で負けるのか。
秋よ、儂もお主を――。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あれからどれ程の時間が経ったのだろう。
随分と経ったような気もするが、いくらも経っておらぬきもする。
この家に、誰かが入ってくる音がした。
しばらくやかましく歩き回っていた足音は、この部屋の前で止まった。
「君、誰?」
なるほど、秋の孫じゃな。ようにておる。
「儂は秋と申す。童、五目並べでもしないか?」
2人の秋の物語はこれにて終了します!
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最後まで秋の物語を見届けて下さり、ありがとうございました。
きっと今も天国で五目並べをしていることでしょう!