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『耽溺ちゃんと退廃くん』  作者: sazanka
プログレス1 ―破滅の町―
4/4

♯4

アラームが鳴る前に目覚めてしまうと、妙に損したような、または得したような、というお話。


登場人物

■君子

保科(ほしな) 君子(きみこ)」。

大学2回生。檻の君。

■捧一

「多々(たたら) 捧一(ほういち)」。

大学2回生。沼の底。


―黎和3年12月某日―

捧一:『それは世にある愛の堕落よりももっと邪悪な堕落であり、退廃した純潔は、世のあらゆる退廃のうちでも、いちばん悪質の頽廃(たいはい)だ。』

君子:三島由紀夫、『仮面の告白』より。


―タイトルコール。


君子:『耽溺(たんでき)ちゃんと』、

捧一:『退廃(たいはい)くん』。


―【寝室】

―捧一は目を覚ます。

―重い瞼の眼前には、目を開けて捧一を見る、君子。


捧一:…………。

捧一:起きてる。


君子:はい。

君子:おはようございます。


捧一:……、

捧一:……なん、じ? まだ日は、


君子:五時半です。

君子:アラームまでまだ、1時間半ありますね。


―捧一は微睡みつつ話す。


捧一:……寝て、無かったの?


君子:目が覚めたんです。珍しく、自然に。


捧一:雨でも……、降るんじゃないの。

捧一:俺はもう少し……、


君子:捧一(ほういち)くんって、


捧一:……、何?


君子:寝顔だけはあどけないんですね。


捧一:……。

捧一:何、それは。


君子:うふふ、ふ。ずっと寝てればイイんですよ。

君子:行為の時以外は。


捧一:……とんだ肉欲の奴隷じゃないか。

捧一:凄い事言うな。


君子:この間、


捧一:うん……、


君子:ある先輩に、性格が悪くなったと言われたので、


捧一:へぇ……、

捧一:単に、見透かされたんじゃないの、素を。


君子:感染(うつ)った、と言いましたよ。

君子:最近よく話す方から、って。ふふ。


捧一:誰の事かな。


君子:「その人は根性曲がりなのか」、と聞かれて。

君子:「それはもう」。「ものを喋るヘドロみたいな方です」、と、


捧一:俺の事嫌い? もしかして。


君子:咄嗟に。

君子:率直な感想が出てしまいまして。

君子:ふふ、ふ……。


―君子はおかしそうに身じろぎする。


捧一:…………。早朝に目を醒ましてみれば。

捧一:ヘドロだの、する時以外は寝てろだの。

捧一:三文の得どころか、無一文の心境……、

捧一:ふ、ぁあ、ふ。(あくび)


君子:当人の心がけの問題だと思いますよ、あの慣用句に関しては。


捧一:……、眠くないの。いつもは起こしても、起きないのに。


君子:意外と、すっきり。

君子:といってもダウンしたのが早かったですから、ね。


捧一:夕飯の後……、だっけ。始めたの。


君子:ええ。


君子:後片付けもせず。着の身着のまま。

君子:すぐに脱がされましたが。


捧一:畳の上は流石に……、


君子:寒かったですからね。中断してこうして、お布団に。


捧一:風邪引きたく無いもんね、お互い。


君子:食べた跡も、食器も、そのままですよ。


捧一:出る前に洗うよ。俺はバイト、夕方からだし……、

捧一:ふ、あ。


君子:眠そうですねぇ。ふ、ふ。


捧一:アラームで起きるのが癖になってるんだ。

捧一:自然に目覚めるなんて滅多に無い……。


―微睡みつつ、何とは無しにお互い、見詰め合う。


捧一:君子(きみこ)さんは……、


君子:はい?


捧一:睫毛が長いよね、凄く。


君子:……、

君子:今更、


捧一:あと、目が大きい。瞳も。


君子:何なんですか……、

君子:真っ当に、人を褒めるなんて。


捧一:というか……、見た、まま。

捧一:それに俺だって、普通に人を、褒める時ぐらい……、


君子:嘘です。

君子:いつも、貪欲でいじましいクチだの。

君子:こんなコトされて喜ぶようになったら人としてオシマイだの。

君子:碌な褒め方をされた覚えがありませんよ。


捧一:褒めてるつもりで言ってないけどね、ソレ……。

捧一:……こっちだって、乏しい語彙の中から捻り出してるんだから。


君子:個人的には、バリエーションよりも、持って行き方の方が大事だと思いますよ。

君子:今の所は……、


捧一:用を成してはいる、かな。


君子:ふ、ふ。ええ。

君子:やっぱりあると無いとでは。

君子:うふ、ふ。


捧一:……まあ。

捧一:もう大分、行くところまで行った感はある、けど、ね……。あ、ふ。(あくび)


君子:…………、

君子:ええ。


―昏く、滲むような笑み。


君子:本当に……、どうしましょう、ねぇ?

君子:体の……、こんな所にピアスが開いている女子大生なんて……、


捧一:こんな所、ね、


君子:っ、ちょっ、とっ!


―掛け布団と毛布が震える。


君子:……っ、

君子:……いきなり、引っ張らないでください。


捧一:痛かった?


君子:…………、いえ。

君子:加減は感じましたが。急だったので。


捧一:結構自分は、好きなタイミングで引っ掻いたり、噛み付いたりしてくる癖に……。

捧一:別に、良いんだけど。


君子:状況が違いますから。

君子:それにちゃんと、軟膏を塗ってあげているでしょう。


捧一:あと、さ……。

捧一:こんな所や、


君子:あ、ちょっと、


捧一:こんな、

捧一:所に、


君子:…………、


―吐息の震え。


君子:…………、


捧一:ピアスを開けてる大学生年齢の女性は。

捧一:別に……、居るんじゃないの。

捧一:雑誌とかにも出てくるし。実年齢かは知らないけど。


君子:……、……。

君子:以前、お店で見た、タトゥーやピアスの雑誌ですね。

君子:……ああいった雑誌に載る方は……、


捧一:結構普通に、公務員とか、堅い仕事の人だったりも多いらしいけど、ね。

捧一:聞くところによると。


君子:世の中は広いですから……、

君子:無論、存在はしているでしょうが。

君子:……私に、開いている事が問題、なんですよ。

君子:ねぇ?


捧一:……勿論……。

捧一:取り返しは付かない、んだろうね。


―大きく、あくびをする。


捧一:ふ、あぁ、ふ。


君子:…………。

君子:相変わらず。

君子:本当は何も考えていないだけなんじゃないですか。


捧一:考えても仕方の無い事を。

捧一:考えても、仕方が無いじゃない。


君子:捧一くんに言い付けられて開けたんですよ? 私。


捧一:言い付けるように言い付けて来たのは、

捧一:君子さんだったと、記憶してるけど。


君子:内容までは。想定していませんでした。


捧一:て、いうのに……、

捧一:意味が、あった訳だろ。

捧一:上手く開いて良かったよね。


君子:……、ええ。まあ。


捧一:穴もしっかり定着したし。


君子:捧一くんが丁寧に、それはもぉぉお丁寧に。

君子:雑紙のコピーやレクチャーのページとにらめっこしながら、意地になって針を通してくれましたから、ね?


捧一:意地になっては無いけどね……、別に。

捧一:失敗したら大惨事だし。


君子:なんだか実験台になったみたいで妙な気分でした。

君子:興奮とは別の。


捧一:鼻や舌と同じで、粘膜に近い所は難しいんだよ。


君子:書いてありましたね。

君子:毎日の洗浄も自分がやる、って妙に張り切って……。

君子:変な所で凝り性なんですから。


捧一:そこは……、責任持ちたかった、というか。

捧一:そもそも、自前で開けるような場所じゃないし、ね。

捧一:本来は。


君子:病院で開けるのを勧める、と。

君子:それも書いてありましたが。本当に大惨事になったらどうするつもりだったんですか?


―捧一は微睡む目を細め、思案。


捧一:どう、かな……。

捧一:まずは……、

捧一:蔵内(くらうち)先生に。

捧一:連絡を取った、かな。


君子:…………、

君子:あの人は……。

君子:私達の高校の、保健教諭じゃないですか。

君子:……今も、いらっしゃるんでしょうか。


捧一:さあ……。移動したとは、聞いてないけど。

捧一:差し当たり知り合いの中では、一番身近な医療関係者、だからね。


君子:何でも言うことを聞く人の中では、でしょう。


捧一:何でも、って訳じゃない。

捧一:色々と。匙加減ってものがあったし……、

捧一:そもそも。そんなに大勢、いるわけでも無かったし。


君子:人数には興味がありませんが。

君子:今は、私1人なんですか。


捧一:君子さんは……、

捧一:何でも言うコト聞いたりしないじゃない。


君子:…………あらぁ。

君子:まあ、まあ、まあ。

君子:言うに事欠いて……、捧一くぅん?


捧一:何かな。


君子:本当に……、信じられないような事をたくさん、

君子:……思い出してもクラクラするような事をたぁくさん……、

君子:されましたし。

君子:させられましたが。私。


捧一:君子さんが興味を持った感じの事しか。

捧一:してないつもりだけどね。


君子:それはそう、でしょう。

君子:なんと言いますか、こう……、

君子:グっ、と。来なければ、


捧一:グっ、と。


君子:する意味がありませんから。

君子:時間と体を差し出してまで。


捧一:まあ……、リスクを負う訳だし、ね。

捧一:それで……、

捧一:グ、っと来たワケ?

捧一:ここや、


君子:……っ、


捧一:ここの、ピアスは。


―君子は僅か、目を細め。息を吐く。


君子:…………。

君子:蔵内教諭にも。

君子:開けたんですか。ピアス。


捧一:いや……、

捧一:無い、ね。確か。


君子:ご既婚だったから?


捧一:新婚だったし、ね。

捧一:流石に……、関係の継続に支障が出る、と。

捧一:本人が辞退した、んだった筈。


君子:開けさせるつもりだったんですか、初めは。


捧一:というか……、何がしかの高揚に、繋がるなら。


君子:蔵内教諭の?


捧一:お互いの、かな。

捧一:合意形成と納得が、全てだから。


君子:ピアスに関して、私にはそういった気遣いを、しては頂けなかったんですねぇ?

君子:捧一くん。


捧一:「徹底的に、何もかも壊して、どうしようもなくして欲しい」、って。

捧一:オーダーだったから……。

捧一:合意も、してたじゃない。

捧一:真っ赤になって。


君子:…………、

君子:ショックと興奮が()い交ぜで。

君子:冷静ではありませんでしたし。


捧一:後悔、してるとか。


君子:いいえ? それは、断じて。


捧一:……、そう。


君子:ちなみに。

君子:グっと来ても、いましたよ。


捧一:ふうん。


君子:うふふふ、ふ……。


―愉しげに笑い、足を絡める。


君子:…………。あらためて聞くと。

君子:なかなかの要求ですね。

君子:よく言ったものです、当時の私は。


捧一:その上で……、大学生活は大学生活で平常に続行したい、というような事だったから、


君子:無論です。折角合格しましたし。


捧一:色々考えたよね。

捧一:俺もプロとかでは無いし。


君子:プロ。


捧一:まあ妥協点として……、

捧一:見えてる所は、その対外的な「聖女」のイメージを、きっちりと保ってもらって……、


君子:隠れている所は徹底的に、取り返しが付かないぐらいに汚す、と。

君子:ふ、ふふ……。


捧一:基本はそういうプランで。

捧一:今も変わらないけど、大枠。


君子:バランスは取れている、かと。

君子:私はただ、身も心も清廉潔白な振りをして……、

君子:秘密を、守り切れば良い訳ですから。


捧一:……秘密。


君子:ええ。人類の宿命、だそうですよ。


捧一:何それ。

捧一:学科の先生の受け売り?


君子:ふふ、ふ。

君子:秘密、でぇす。


捧一:……、ま……、良いんだけど。

捧一:そんなロマンチックなモンかね、コレが。


君子:良いんですよ。

君子:私について、私しか知り得ない部分を、私が知っている、というだけで。


捧一:俺も知ってるけど。


君子:捧一くんは。

君子:私の部分の一環、というか……、

君子:道具みたいなものですから。ノーカウントです。


捧一:……とうとう言い切ったな。

捧一:やっぱり寝てようか、する時以外はずっと。


君子:ふふふ、ふ……。

君子:あと、そうですねぇ。

君子:ご飯を作る時と、お風呂にお湯を張る時と。

君子:お布団の支度をする時、嵩高い荷物を運ぶ時、あと、それから……、

君子:お茶とお菓子の用意をする時だけは。

君子:起きていても良いですよ。


捧一:丸一日潰れるね……。

捧一:洗い物は良いワケ?

捧一:自分の分は自分でやるんだ。


君子:眠っていても出来るでしょ、洗い物は。

君子:ふふ、ふ……。


―もぞ、と身じろぐ君子。


捧一:寒い?


君子:少し。くっついて良いですか。


捧一:良い、よ。


―密着範囲の増大。熱の均一化。


君子:カサカサしていますねぇ、棒一くんの肌は。

君子:油分と水分を奪われそうです。


捧一:しっかり塗っときなよ。

捧一:あの、湯上がりに塗ってるヤツ。


君子:捧一くんこそ。

君子:冬場は乳液ぐらい塗った方が良いですよ。

君子:痒くないんですか。


捧一:習慣が無いからね……。

捧一:塗れと言うなら塗るけど。


君子:いえ。

君子:捧一くんがヌルヌルしていたら気持ちが悪いので。

君子:塗らなくて良いです。


捧一:何で君子さんはしっとりして。

捧一:俺はヌルヌルになるんだよ。


君子:しっとりしてますか。私。


捧一:さあ……、

捧一:この、こういう質感を……、

捧一:しっとりと表現してるんじゃないの、人は。


君子:うふふ、ふ。くすぐったいです。


―布団と毛布の塊が蠢く。


君子:……、何だか眠くなって来ました……。


捧一:まだ1時間と少し……、あるけどね。

捧一:本来の起床時刻まで。


君子:眠そうな捧一くんを鑑賞出来たので。

君子:満足です。


捧一:俺を?


君子:捧一くんはいつも、眠いんだか死んでいるんだか、判然としない風な顔をしていますが、


捧一:そんな風に見てたのかよ。人の顔を。


君子:本当に眠た気な捧一くんは。

君子:珍しいです。


捧一:いつもは起こす役、だからね。

捧一:二度寝して……、ちゃんと起きてくれるんだろうな。


君子:さぁ……。1時間後の私に聞いてください。


捧一:ま……。別に、いつも通りにするけど、ね。


君子:うふふ、ふ。


―瞼が重たげに下がり、両者、微睡み。


捧一:……つかぬ事を聞くけど、さ。


君子:はい……?

君子:ああ……、良いですよぉ、しても。


捧一:いや、ではなく。


君子:なぁんだ。


捧一:特に重要でもないから聞かなかったけど……、

捧一:蔵内先生との事は、知ってた、訳?


君子:高校の時に……?


捧一:そう。いつの時点で見られたかな、と。


君子:……私……、こう見えて、気配を隠すのが、苦手ではないんです。


捧一:……、何となく、片鱗は。


君子:保健室の……、壁沿いの、大きな棚、


捧一:……緑のヤツ?


君子:そう、です。

君子:あれと、部屋の隅との間の所に。

君子:死角になっている場所が、あったでしょう。


捧一:……、……。

捧一:あった、ね。確かに。

捧一:まさか……、あんな隙間に隠れて、


君子:当時は今よりももっと、痩せていましたから、ね。


捧一:……、今も十分細いよ、とか言えば良いのかな。


君子:偶にはそういう通り一遍の、常套句の1つでも言ってみたらどうですか。

君子:水槽の底に溜まった泥みたいな、減らず口ばかりじゃなくて……。


捧一:君子さんトコの侍女よりよっぽど酷いな……。

捧一:嫌いでしょ、本当は。


君子:ふふ、ふ。

君子:自分の一部に……、好きも嫌いも、あったもんじゃ無いですよ。

君子:……ちなみに、


捧一:うん……、はい、


君子:十津加(とつか)生徒会長との事も。

君子:数学の西鳥(にしとり)教諭との事も。

君子:隠れて見てたんですよ。私。


―捧一の片方の眉が上がる。


捧一:…………。

捧一:……生徒会長のヤツは。

捧一:薄っすらそんな気もしてたけど、さ……。


君子:何て所で、何て事を……、と。

君子:ショックで不眠症に拍車が掛かったんですから、あの後。


捧一:可奈子(かなこ)さ、(言い直し)

捧一:……、西鳥先生のは一体ドコで? およそ隠れるような場所、


君子:秘密、です……。

君子:良いじゃありませんか。

君子:過ぎ去った青春の徒然(つれづれ)は。


捧一:……、……。

捧一:……あらためて思うに……。

捧一:碌な高校じゃ無いな。我らが母校ながら。


君子:風紀を乱していた元凶が。

君子:厚顔無恥なヘドロですねぇ。


捧一:俺は学校生活に関しては、至って真面目だったよ。


君子:少なくとも誰一人、露見してはいませんし、ね?


捧一:……、でもそうか。見てたのか、色々と。

捧一:誰かから聞いたにしては、やけに詳しいと思ったら……。


君子:皆さん……、そう、問題児だった山菱(やまびし)さんにしても、ですが、


捧一:ヤンキー山菱か。懐かしいな最早……。


君子:(たしな)めたり。注意をしたり。時には虐げる振りをしながら……。

君子:実に上手に、棒一くんを「使って」いらっしゃいましたね。


捧一:……そう、だね。それが一番適当だな。


君子:でもその一方で。

君子:自分を開放したり……、抑え込んでいるものを曝け出すには、面倒な手続きが要るものだとも思いました。


捧一:進学校だからね。

捧一:生徒も教師も、相応に鬱屈して……、

捧一:その分、器用にガス抜きをするのは、上手かったな。皆それぞれ。


君子:私は家の事もあり……、遅れていましたし。

君子:その辺り、不器用でしたので。

君子:せめて、他人の秘密を……、

君子:盗み見る、事で。

君子:自分の中で置き所の無い、やり場の無いモノを、


捧一:憂さを晴らしてた、んだよな。

捧一:初めに、聞いた通り。


君子:……ええ……。

君子:荒療治が要ると、思ったんです。

君子:生きて、行く為に。


捧一:で……、偶々入った大学に、俺が居て、と。


君子:丁度良く、というか。

君子:不運にも、というか。


捧一:示し合わせたかのように?


君子:割れ鍋に()じ蓋。

君子:……ちょっと待ってください。

君子:どちらが割れ鍋で、どちらが綴じ蓋ですかっ。


捧一:知らないけど。

捧一:まあ……。効果の程は、推して知るべし、かな。


君子:ガス抜きと呼ぶには。

君子:少々穴を、開けられ過ぎてしまいましたが。


捧一:ひとまずはご要望通りだと、まあ……、

捧一:あ、ふ。(あくび)

捧一:思うけど、ね。


君子:お嫁には行けませんねぇ?

君子:少なくとも、このままでは。


捧一:それって……、天下の保科(ほしな)家の次女としては、どんな程度のモンなのかね。


君子:やっぱり……。

君子:事の重大さを分かっていないんだから。

君子:バレたら殺されますよ、本当に。冗談では済みません。


捧一:どちらでも。大して興味が、湧かない問題だから、ね……。


君子:言うまでも無く、ご家族やご親戚にも(るい)が及ぶという事を、


捧一:(遮り)いい、よ。


―静寂。

君子:…………、


捧一:君子さんと違って、親にも、家にも、何の恨みも、無いけれど。

捧一:累が及んで、困る程度の縁もゆかりも……、

捧一:初めから、無い、から……。


君子:…………。

君子:随分、眠そうですねぇ。


捧一:変な時間に、起きちゃったから、ね……。


君子:……まあ。良いでしょう。

君子:考えても仕方の無い事は。

君子:考えても仕方が無い、ですからね?


捧一:……取り敢えず。

捧一:今は、それで、良いんじゃないの。

捧一:アラームが、鳴るまでは。


君子:……、……。


―些か思案げに、時計を見やる君子。


君子:…………。


捧一:ちょっとでも寝れば。


君子:ええ。そしてアラームを。

君子:十時に合わせ直します。


捧一:(微睡みつつ)

捧一:は……?

捧一:大学は、


君子:自主休校です。

君子:急用が出来たので。


捧一:…………、

捧一:知らない、よ。

捧一:休み癖が付いても。


君子:……手遅れ、かと。

君子:割れ鍋だか、綴じ蓋だかは……、


―に、と笑み。


君子:穴を、開けられ過ぎて。

君子:近頃水漏れが止まらないんですよ。


捧一:…………。


君子:ふふ、ふ、ふ。


捧一:好きに、すれば。

捧一:十時、ね……。


君子:起きたら遅目のモーニングを食べに行きませんか。

君子:一時までやっている所があるんです。


捧一:…………、……、

捧一:気分、が。乗ればね……。


―捧一の瞼はいよいよ重く、眠りへと溶けて行く。


君子:ねぇ……。

君子:捧一くん。


捧一:(半ば寝入りつつ)

捧一:ん……、な、に……、


君子:私から……、逃げたら。

君子:……私に付けた(きず)や、(あな)から、逃げ出したら。

君子:殺しますから、ね。


捧一:…………、……、


君子:私が、どうなろうと。

君子:捧一くんが、どうなろうと。

君子:道具が勝手に、見えなくなってしまっては……、

君子:駄目ですから、ね。


捧一:…………。


―毛布に隔てられ、君子の表情は伺えず。


捧一:それ、は…………。

捧一:……脅迫?

捧一:……提案……?


君子:…………。

君子:それは勿論…………、


―子守の唄の如き、声音。


君子:秘密、ですよ。


捧一:…………、


君子:うふ、

君子:ふふ、

君子:ふふ、ふ……。


―捧一の意識は、深い眠りへと沈んで行く。

―暗転。


―【終】

【メイド日報】


登場人物

■由

越上(えつじょう) (ゆかり)」。

君子の実家の侍女。ゆるふわ暗黒メイド。

■鬨征

雷殿(らいでん) 鬨征(ときまさ)」。

とある館の客人。


――塚淵(つかぶち)県「葵谷(あおいだに)」、とある邸宅の、応接間。

―豪奢なるテーブルに着く客人の前、湯気立つカップが供され。


由:どうぞ……。粗茶ですが。


鬨征:んっクク、やァー、そーカシコまらんとっ。

鬨征:俺と(ゆかり)ちゃんの仲やねんからさァー、


由:……、うふふ、ふ。


―妙齢のメイドは、綿菓子の如く笑み。


由:季節のせいかしら……? 近頃、物忘れが激しくて……。

由:私のような下賤のものと、貴方様のような高貴な御方との間に……、

由:仲が深まるだなんて、そのような……、

由:だいそれた事が、ありましたかしら……?


鬨征:カっカカっ。関東の人間のシャレいうたらコレや。ヤラシぃのォ。

鬨征:……「気色の悪い、ショセンは成金の、チンピラのカスが」、て。

鬨征:(おも)てるコトちゃァんと、言うたらエエねんでェー?


―悪趣味なサングラスの奥の眼が、歪む気配。


由:あらぁ……。


―甘味の奥より、毒気の滲み。


由:東の百姓の野良育ちの手前、上方(かみがた)の、雅な言葉には耳馴染みがありませんもので……、

由:よろしければもう一度、

由:ゆっくりと、

由:仰って頂けませんこと?


鬨征:……、


―静寂の後、下卑た笑いが堰を切り。


鬨征:っギャぁアーっハハハっ!! ギャッハハハっ!

鬨征:ギヒヒっ、……俺キミ、ほんま好っきゃわァーーっ。


由:……、


鬨征:あァー。こんなん俺んトコにも欲しいわァーマジで。

鬨征:ウチの下のモンいうたら、イキりたいだけイキらしてはくれよるケド、まァ張り合い無いからなァ、最近。

鬨征:特に……、アニキもオジキも蹴落として、アトはまァ、襲名も待ったナシやろいうカンジになってからコッチはホンマに、


由:(にこりと笑み)

由:血族殺し。


鬨征:お。


由:ご成就、おめでとうございまぁす。

由:うふふふふふ。


鬨征:聞こえ悪いのォ。

鬨征:誰も聞いてへんからエエけど。

鬨征:殺してへんよ?? ただオジキのアホがやな、エエ歳こいて、アホの癖にいっちょ前に、ショボくれた顔しとったもんやからやなァ……、


―隠れた眼の奥、稲妻の如くギラつき。


鬨征:楽になる道、教えたっただけや。

鬨征:俺の連れ、紹介したってなァ。


由:……それはそれは。お優しい甥っ子様ですこと。


鬨征:器に見合わん重圧背負い込む前に、極楽イカしたってんから。孝行やでなァ、マジでっ。カカカっ。


―ズ、と、適温のカップを啜り。


鬨征:え、ほんで浄子(きよこ)ちゃんまだ??


由:申し訳ありません。生憎と、貴方様のようにお暇の多い身空ではありませんので。


鬨征:カっカカ。

鬨征:どーせホンマは俺、ココに()ったらアカン人間やさかい。なんぼでも待つけどもやな。


由:セキュリティは万全ですので。ご安心を。


鬨征:なァーにもっ。なァーにも心配しとらんよ俺っ。

鬨征:「秘密」が命のコノ商売……。敷地の中のチョメチョメ1つ、守られへんのやったら。

鬨征:アガッタリやもんのォ?


由:ご信用頂き感謝致しますわ……。鬨征(ときまさ)様。


鬨征:あァーー。浄子ちゃんも下の名前で呼んでくれへんかなマジでェーーっ。

鬨征:どーしてんのん、今はナニで忙しいのん浄子ちゃんっ。


由:今日は……、

由:妹様の、

由:君子お嬢様の身の回りのお世話に付いて、担当者とプラン会議の最中です。きっともうじき、終えられるかと。


鬨征:バリ私用やんけソレーー。

鬨征:や、全然エーねんけどもっ。


由:週ごとに、定例の事ですので。


鬨征:ほォオーーーん。ホンマに好きやねんなァーー、妹のコト。


由:……、好き……?


鬨征:よお話に出て来るで、こないだヌイグルミあげたらメッチャ喜んでたーやの、最近一緒にカステラ作んのにハマってるー、やの。


由:……浄子お嬢様が……?


鬨征:あ?


由:そのような、思い出話を、鬨征様に……?


―メイドの表情に、訝しみの色。


鬨征:思い出、いうかよ。

鬨征:ていうか妹そろそろ二十歳(はたち)とかやろ?? ケッコー幼児趣味っちゅーか、幼い感じの子ォなんやなァ、て、

鬨征:……言うたらそういや、何か浄子ちゃん黙ってしもてんケド。

鬨征:俺、何かマズい事……、


由:……、いえ。

由:……、……、


―思案。


由:……浄子お嬢様は、


鬨征:おォ、


由:もう1年近く、君子お嬢様と、直接お会いになっては、おられません。


鬨征:は??

鬨征:ええ……?? そーなん??

鬨征:せやけど……、こないだ大阪で()うた時かて、「コレ妹の手作りやねーん」て、いや「やねーん」とは言うてナイけど、

鬨征:形ガッタガタの、ブローチみたいなヤツ……、


由:……っ、


鬨征:見してくれて。珍しくめちゃめちゃニコニコしてるからやなァー、イヤもう自分マジで可愛いやーんて、

鬨征:……由ちゃん?


―メイドの眼に、神妙な色。


由:……その、ブローチ……、

由:どのような……、


鬨征:おォー、なんか、多分花やと思うんやけど、青と緑の、こう陶器っぽい質感の……、


由:縁が金の?


鬨征:あーー、せやったかな、確か……、


由:…………。

由:その、ブローチは。


鬨征:おォ。どしたん由ちゃん?


由:……その、保科(ほしな)家の家紋を象った、ブローチは。

由:……君子お嬢様が、5歳の折。

由:11歳の浄子お嬢様に、送られた物、ですわ……。


―刹那、静寂。


鬨征:…………あァん…………??

鬨征:え、やけど浄子ちゃんは「こないだ」て……、


由:……、


―沈黙。壁掛けの時計だけが静寂を刻み。


鬨征:え、え、え。

鬨征:ソレってどーいうカンジのコト??

鬨征:ヤバいヤツ? ヤバいヤツ?


由:……、……。

由:…………さあ。


―綿菓子の笑みは、今や失せている。


由:……考えるべきでは無い事、

由:……なのかもしれませんね。


―靄のような不条理の気配が応接間を満たし。

―暗転。


―【終】

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