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二話

 虎穴に入らずんば虎子を得ず。

 深淵に絡め取られる覚悟なくして、深淵から救い上げることなど叶わない。



   × × ×



 柚乃の隣を歩いているなんて夢みたいだ。

 なんでもない日の放課後、俺と彼女の二人だけで。

 初夏と呼ぶには暑すぎる天候が続き、日差しも八月のそれと見紛うほどに鋭く重い。

 けれど柚乃の笑顔を見る度、流した汗など忘れ去ってしまった。

「楽しいね、こういうの」

 縁石の上に乗って、平均台の上を歩くように両手を広げて進む柚乃。

 その隣を「子供みたいだな」なんて苦笑しながら歩く日が来るなんて、本当に、まるで……。

「灯利君は楽しくない?」

「楽しいけどさ」

「けど、なに?」

 あまりに夢みたいで、次の瞬間にも目が覚めてしまうんじゃないか。

 そんなことを心配しているんだと笑ったら、彼女はどう反応するだろう。

 少し怖くて、それ以上に恥ずかしくて、馬鹿馬鹿しくて、心にもないことを言っていた。

「本命、忘れてない?」

「本命?」

「ミラージュバグ、幻の蛾。噂を確かめるんじゃなかったの?」

「そうだった、そうだった。でも、忘れてたわけじゃないよ?」

 けろりとした顔で言いながら、柚乃は縁石の終端から飛び降りる。

 そして体操を終えた選手の真似で、両手をピンと伸ばしてみせた。

 パチパチと手を鳴らす。分かってるね、とでも言いたげに柚乃が親指を立てた。それから無言で歩く。

 どれくらい歩いただろう。

 どれくらい歩くのだろう。

 天上にはいつまでも夕焼けが輝いていた。

 見知らぬ景色を抜けて、見慣れぬ道を通って、見覚えのある町に出る。

 三、四人の小学生が甲高い声を上げながら走り抜けていった。低学年か、中学年だろう。あの年頃だと男女の違いも感じなくて、男子も女子も一緒になって遊んでいた気がする。

 前を見た。

 ……前?

 首を傾げ、すぐに自分が何を疑問に思ったのかも思い出せなくなる。

「なぁ、柚乃」

 なぁ。

 そんな風にフランクに話しかけた自分に驚き、はっと顔を上げた。

 柚乃が怪訝そうに振り返って、どうしたの、と眼差しで問いかけてくる。

「いや、もうこんなところまで来てたんだなって」

 いつの間にか、すぐ手前に文房具店が見えていた。

 小学校までの通学路にあった店で、ちょうど四つ辻に面している。店の前で通学路が分かれる友達がいて、よくここで手を振ってまた明日と笑い合ったものだ。

 実際に店を使ったことはない。

 こんな小さな店より、車で十数分のショッピングセンターまで行った方が安いし品揃えもいいからだ。

 だけど何故か、この店で買いたいと駄々をこねた覚えがある。

 俺はいつも我儘を言っていた。だって、だって、って。

「だって……その後、なんて言ってたっけ?」

 そこから先の記憶は霧に包まれ、判然としない。

「灯利君?」

 声が聞こえた。

 顔を上げる。

 柚乃が霧の向こうに立っていた。

「いつの間に……!」

 夏に霧なんて出たっけ。分からない。だけど現に出ている。

 柚乃の顔には笑みがなく、心配そうな目をこちらに向けていた。

「ちょっと待って! すぐ行くから!」

 叫んだ声が遠い。

 走って、走って、走って……どれだけ走っても柚乃に近付けない。霧が邪魔をする。それでも走り続けた。走り、走り、走り続けて、どれほどの距離を走り抜けただろう。

 すぐ目の前に柚乃が立っている。

「ごめん、待たせた」

 笑って言って、手を差し出す。

 ……どうして?

 分からない。

 無意識に差し出していた手が、しかし空を切った。

「えっ?」

 前を見る。

 柚乃を見る。

 その顔には霧がかかっていて、表情を窺い知ることは叶わない。

「無理なんだよ、灯利」

 どうして。

 何が。

 なんで無理なんだ。

 出したつもりの声は音を結ばず、霧を振り払おうと精一杯に振り回した手もどんどん重くなっていく。

 柚乃が。

 柚乃の笑顔が、見えなくなった。

「――」

 声は、聞こえた気がした、だけなのかもしれない。



「灯利君。出席番号一番の灯利君、本日は欠席かね」

「いえ、寝てません!」

 ばっと立ち上がり、周囲からの笑い声で目が覚めた。

 えっ?

 えっえっ?

 俺は随分と間抜けな顔をしていたのだろう。

 ちょんちょんと脇腹をつつかれ、くすぐったいよと笑おうとして失敗した。

 柚乃が笑いながら、教科書を指差していた。

「え、あー、どこ?」

「ここ、ここだよ!」

 ここと指差されているのは、なんだろう。ええと、ピラミッド? 世界史? 社会?

 いや、違う。

 ここは理科室だ。理科で、ピラミッド。

「灯利君、寝てたろ」

「いえ、寝てません」

「なんで秒でバレる嘘をつく」

「よほどの馬鹿でもない限り、秒でバレる嘘はつきませんよね」

「そうだね」

「つまり俺は嘘をついていない、寝ていなかったということです」

「つまり君がよほどの馬鹿だということだよ。教科書は……、開いてもらってるね」

 そこでくすくすと生暖かい嘲笑が沸き起こった。

 顔が赤くなるのが自分でも分かったが、まだ笑ってくれるだけマシだ。

「それじゃあ灯利君、そこのピラミッドにある植物が減少したら、その形……つまり食物連鎖の生態系はどう変化していく?」

 食物連鎖、ピラミッド、植物の減少。

 寝起きの頭を必死で動かしながら考えていく。

「ええと、植物がなくなったら草食動物が生きていけず、草食動物がいなくなったら肉食動物も生きていけないので、最終的にピラミッド自体が消滅します」

 どうだ、寝てなかっただろう。

 自信満々に言ったのだが、理科室はしんと静まり返った。

 柚乃が口の形だけで、あははと乾いた笑いを伝えてくる。

「あー、灯利君」

「え、間違ってました?」

「確かに、そういう事例もあるだろう。しかし実際には、植物が消えてなくなることはない。植物が一時的に減り、食べ物が減った草食動物も減る。肉食動物もそうだな。しかし捕食者が減った植物はまた増え始め、食べ物が増えたからには草食動物が増え、すると肉食動物も増える」

 先生はそこで言葉を一度区切り、とんとんと上下二段式の黒板を叩いた。

「つまり、生態ピラミッドは一時的に小さくなるにせよ、全体としては維持される。これが正解だ。分かったか?」

『はーい』

 クラスメイトたちの間延びした返事に重なって、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。

「きりーつ」

 先生の言葉も待たず、理科係が声を上げた。

 そして半数も起立しないうちに「れー、あざーしたー」とやはり間延びしきった声で言い終える。あまりに適当な挨拶だったが、誰も文句は言わない。先生でさえも平然とした顔で板書を消し始めている。

 まだ写してないんだけど。

 まぁ理科だし、わざわざ書かなくてもいいか。

「失敗したね、灯利」

 発言のために立ち上がったままだった俺の隣に並んで立ち、柚乃が意地悪な笑みを見せる。

「失敗って」

「授業、聞いてなかったの? ……って、寝てたんだから聞けるわけないか」

「でも答えは間違ってなかっただろ?」

 確かに教科書的な答えではなかったかもしれないが、だがしかし、だ。

「先生が自分で言ってた。そういう事例もあるって。なのに実際には元通りになるとか、話が矛盾してる」

「私に言われても困るな」

 たはは、と毒気なく笑う柚乃。

「……ごめん。愚痴っぽくなって」

「『ぽく』じゃなくて正真正銘の愚痴だよね」

「これは愚痴じゃない。正当な抗議だ」

「私に?」

「ごめんなさい愚痴でした」

 でも納得はできない。

 一足す一は必ず二になるかもしれない。

 だけど七月になれば暑くなるとは限らない。冷夏という言葉もある通り、涼しい七月だってあるだろう。なんだったらオーストラリアの七月は冬だ。

 七月イコール暑くなる季節、なんていう便宜的に作られた等式を絶対的な正解かのように押し付けられるのは我慢ならない。

「ね、灯利」

 本当に抗議しに行こうかと思った矢先、俺の袖を掴む手があった。

「灯利は間違えたんだよ」

「だから間違ってはいない」

「ううん、間違えたんだよ」

 柚乃は笑っていた。

 何が面白いのか。……いや、違う。

 柚乃はどこか悲しげに、寂しげに、遠くを見るような眼差しで微笑んでいた。

「先生はね、自然界の法則を聞いてきたんじゃないの」

「でも今は理科の時間で――」

「そうだよ、理科の授業中だった。だから、灯利の答えは不正解」

 柚乃が笑う。

 なんで?

 どうして、笑っていられる?

「先生は、テストは、社会は、世界の真実を答えろなんて言ってないの」

 世界の、真実。

 その言葉だけがグサリと胸の奥に突き刺さる。

 真実。

 世界の。

 目の前が暗くなる。

「あれ、灯利? どうしたの?」

――なんだか、眠くて。

 答えたつもりの声が音を結ばない。

 あぁ、これは、覚えがある。

――柚乃。なぁおい、柚乃!

 叫びは、けれども届かない。

「おやすみ、灯利。また、明日」

 だけど。

 その明日は、本当にやってくるのか?



 目が覚めた。

 何度目の目覚めなのか、果たして本当に目覚めているのか、これっぽっちも自信がない。

 だけど目が覚めた感触だけはある。

 窓からは、カーテン越しの淡い光が差し込んでいた。

 ゴーン、ゴーン……と遠く鐘が鳴っている。

 回数は五。

 朝の五時。

 俺たちこうこう……こうこ…………あれ、なんだっけ。

「まだ寝惚けてるのかな」

 ふあぁ、と大欠伸を零せば、目が覚めた気がする。

 そうだ鐘の音、朝の五時。

 俺たち駆け出しの冒険者にとって、時間というのは何より貴重だ。いや、誰にとっても時間は何より貴重か。なにせ金で買えない。巻き戻ることもない。

 だけど、俺たち駆け出しにとっては、人並み以上に貴重なものだった。

 一度でも多く戦闘をこなし、一時間でも多く剣を振り、一回でも多く依頼をこなす。

 そうやって経験を積んでいかなければ、どんな天才も一流の冒険者にはなれない。

「おい起きろ。ケンジ、リョウヤ、もう朝だぞ」

 同じ宿舎の同じ部屋で寝泊まりするパーティメンバーの二人を文字通り叩き起こし、寝巻きの他にはこれしか持っていない一張羅に着替える。

 それで部屋を出たのは、恐らく五時の七分か八分。

 分刻みで時を知ることのできる懐中時計は、あまりに高すぎて駆け出し冒険者の手が届くものではない。お陰で朝のルーチンから時間を逆算するしかなかった。

 三人順番にざばっと顔を洗って……というか桶の水で流して、食堂に着くのが五時十分。

「おっはよー! 今日も三人は眠そうだね」

「いやいや、ユノが朝から元気すぎるだけだから」

 宿舎で寝起きする冒険者は総勢で二十を超す。その八割以上が男で、だから男女共有の食堂も男の比率が圧倒的に高い。

 そんな男たちからの苛立ちと、あまり直視したくない粘ついた感情が入り混じった視線にも、ユノがへこたれる様子はなかった。ミサキはどこか疲れた様子。いつも疲れた顔の彼女だけど、今日は特に疲れていそうだった。

「何かあった?」

 爽やかイケメンことケンジが持ち前の爽やかな声で訊ねる。

「何もなかった」

 じゃあどうしてそんな疲れた顔なんだ。

 俺は怪訝に思ったけど、ケンジとリョウヤはそれで納得したようだった。

 謎である。

 謎といえば、こちらも謎だ。

「ほら、いつもの。さっさと食って出ていきな」

 愛想の欠片もない食堂のおばちゃんが出してくれる、お決まりの朝食。

 これはなんなんだろう。

 なんとも形容し難い見た目をしていて、強いて例えるなら視覚化されたモザイク。いや、そもそもモザイクは視覚的なものなのだが、これぞモザイクという姿形が皿に盛り付けられているのだ。

 これでは食欲も出ない。

 けれど、他に食うものもなかった。食堂での朝食と夕食は、それぞれ決められた時間にさえ来ればタダで食べられる。宿舎の家賃に計上されているからだ。

 しかし他所で別のものを食べようと思えば、当然だけど別料金となる。

 これまた当然、他所で別のものを食べたからといって宿舎の家賃が安くなることもない。

 だから誰もが諦めてモザイク飯を食べていた。

 とはいえ果たして食べているのか、飲んでいるのか。

 謎な飯を謎に食べ終え、俺たちは食堂を後にする。

 俺、ユノ、ミサキ、ケンジ、リョウヤ。俺たち五人は最初からパーティーを組んでいた。

 俺とミサキとケンジが剣士ギルドの出身で、ユノとリョウヤはそれぞれ魔術士と弓士の出身。

 ここに拳闘士と使役士を加えた五つが基礎技能ギルドと呼ばれ、合法的に冒険者になるためにはどれかに通い、卒業しなければいけない決まりになっていた。

 卒業後は独学で技を磨くもよし、上位ギルドに通って先人の教えを乞うもよし。ただギルドは金がかかるから、食うに困って冒険者業に流れ着くような大多数は基礎技能ギルドしか通えない。

 俺たち五人の中で、上位ギルドに通った経験があるのはミサキだけだった。

 ミサキは騎士ギルドに通い、先輩だか師匠だかとの諍いから卒業こそしなかったものの、大盾を用いた防御術は同じ剣士ギルド出身の俺やケンジより数段得意としている。

 それでパーティーの柱たるタンクはミサキが務めることになっていた。

 中距離では弓矢を、近距離では短剣を使いこなす遊撃手のリョウヤが茂みに潜み、弓を構える。撃った。ぐぎゃっと悲鳴が上がる。

 悲鳴が上がるということは、絶命はしなかったということ。

 魔物の生命力は洒落にならない。人間なら五度殺すつもりで殺れ、とは剣士ギルドの師匠から教わった言葉。

「さっ来ーい!」

 ミサキが気の抜ける掛け声で盾を構えた。

 なんでそんな部活みたいな掛け声を……ん? 部活?

「アカリっ!」

「おわっつ!」

 ユノの声に弾かれ、反射的に跳び退った。

 と、その直後に飛んできた拳大の石を上半身の動きだけで避ける。

「ッッッぶね! おいリョウヤ、投石持ちがいるならそう言え!」

「あぁ? 戦場で気ぃ抜く馬鹿がいるとは思わねえだろうがよ……っと!」

 リョウヤは言いながら、弓を背に担いで短剣を抜き放つ。そのまま流れるような動きで前方から襲いかかる影に応戦した。

 敵はトロール。

 大きくても一五〇センチほどの上背だが、時に一〇〇キロを超すダルマ体型の魔物だ。種族としては亜人族に属し、その例に漏れず見た目は不細工この上ない。

 見ていて気持ちのいい相手ではないが、まぁ魔物なんて大抵がそうだ。

 戦闘能力としてはゴブリン以上、オーク未満。しかし貴金属を好み、地位の低い個体でも割と高値が付く装飾品を持っていることがあるから、駆け出しには避けて通れない相手と言われていた。

 そのトロールが今、眼前に六体。

 数的劣勢はまずい。

 まずいが、どうにもならないってことはないだろう。

 それにいつまでも絶対安全な相手としか戦わないでいたら、いつまでも更なる高みには到達できない。

「ミサキ! 四体抱えられるかっ!?」

 先頭で既に二体のトロールを相手取っている背中に叫ぶ。

「はっ? 四っ!? んなの無理に決まってんじゃん!」

「だけど」

 ちらとユノを見、それからケンジに目配せする。

「俺からも頼む! 少しの間でいいから、どうにか掴んでくれ!」

「はぁッ? あぁもう、分かったわよ! ほんと少しだけだからねっ!」

 ミサキがやけくそに叫んだ。

 ふおおおお、とも、うわああああ、ともつかぬ奇妙な叫び声。

 ウォークライ。騎士ギルドではなく戦士ギルドで教えられる技能のはずだけど、ミサキはこれを他の冒険者の見様見真似で習得していた。

 その効果は、声が届く範囲にいる魔物に本能的な恐怖と敵意を植え付けること。

 ほんの短い間の誤魔化しに過ぎず、時間が経てば魔物も冷静になってしまうが、それまでに俺たちが仕事をすればいい。

「リョウヤ!」

「一々叫ぶんじゃねえ!」

 眼前で身を翻したトロールの背中を蹴飛ばし、その首筋に短剣を突き出すリョウヤ。

 だが、亜人の皮膚は人間のそれを遥かに凌駕する。刃は通らず、ぬめりと滑るのが遠目にも見て取れた。トロールが我に返る。再び振り返ってリョウヤを襲おうとしたが、リョウヤは既に駆け出していた。

 戦場はその常として混沌としている。

 あのままウォークライに扇動されるに任せていたら、いくらミサキとて大盾一枚では捌ききれなかった。

 だから一部をリョウヤやケンジが受け持ち、誘い込む。

 ケンジもケンジのやり方でトロールの注意を引き付けていた。

 それ以外のトロールたちは四体ともがミサキに群がっている。否、一体だけ離れたところにいた。投石野郎だ。よく見れば背が低い。まだ子供なのかもしれない。

 そいつは怯えた顔つきで石を拾っては投げ、またしゃがんでは拾っている。

「アカリ!」

「分かってる!」

 鞘から抜いてすらいなかった剣の柄を撫で、身を低くして戦場を走り抜ける。

 途中、ミサキに群がっていたうちの一体と目が合った。上半身が逸れ、肩が動く。横っ面を殴られたら一溜りもない。

 だが、何も起きなかった。

 ミサキが咄嗟に盾を突き出し、そいつの気を引いてくれたのだ。

「貸し!」

「了解!」

 その『りょうかい』の『い』まで言い終えないうちに、俺は足を止めていた。

 全身が慣性に従って前のめりになる。

 瞬間、腰の鞘から剣を引き抜いた。横薙ぎの一撃。小柄なトロールの横っ腹が斬り裂かれ、どす黒い鮮血を迸らせる。

「うが、うぐぎゃ」

 呻き声。

 絶命はしていない。

 構うものか。

 慣性に逆らわずにトロールの背後に回り、駒のごとく半回転してその背中を蹴飛ばした。

 トロールがよろめく先にはリョウヤ。だがリョウヤに当たることはなく、リョウヤが引き連れていた別のトロールに激突した。

「ぎゃっ」

「うがぁ!」

 激突されたトロールが何事かと目を向け、怒りに声を震わせる。

 待っていたら、同士討ちを始めたかもしれない。

 しかし、そんなものを待つ必要はなかった。

「インパクト・メテオ!」

 爆炎に、トロールたちが呑み込まれる。

 元々そこにいた三体は勿論、俺が蹴飛ばした小柄な個体とリョウヤが引き込んだ個体、それからいつの間にかケンジが誘導していた残る三体も合わせ、例外なく激しい炎に包まれていた。

「あッッッつ!」

「ごっ、ごめん!」

 その爆炎のすぐそばにいたミサキが思わずといった調子で後退り、ユノが慌てて頭を下げている。

 あの爆炎はユノが放ったものだった。

「いやいいけど。……いいけど、ユノさ、あたしが目の前にいたの忘れてたっしょ」

「えっ? いやいや? そんなことないよっ?」

「嘘だね、絶対嘘だ」

 普段はつっけんどんとしたミサキだが、ユノ相手だとどこか優しげだ。

 姉御肌なのだろうか。パーティーとして見てもそうだが、宿舎では尚更少数派に立たされる女性陣だ。二人の仲が良好なのは、俺たち男にとっても嬉しい限り。

「やっぱすごいな、ユノの火力は」

「ヒーラーなのに火力でも一番貢献するっておかしいけどね」

「つうかこれ、装飾品残ってんの? 溶けてねえ?」

 口々に笑いながら、爆炎が魔力に還るのを見届けようとしていた、その時だった。

 グァ、グァ、グァアと遠くで鳥の鳴き声が重なる。奇妙な鳴き方だった。俺たちも一瞬、顔を見合わせ、そして直後。

 ズシン――。

 聞き間違えようのない異音を、互いの顔を見ながら耳にした。

「何が――」

「待てって」

「これ……」

 誰が何を言ったのかも分からず、しかし思うところは同じだと確信する。

 せめて五人が五人、全く同じ勘違いをしていればよかったのに。

「下がって――ッ!」

 ミサキが叫んだ。

 盾を構えて、走り出す。後ろにじゃない、前にだ。

「待って! 無理だ、逃げなきゃ――」

「どうやってっ!?」

 どうやって?

 あぁ、確かにそうだな。

 唾を飲、もうとして気付いた。口の中がカラカラだ。

 だって、だって、だって、――目の前に。

「ドラゴン」

 初めて見てもそうだと分かる威容が、突如として現れたのだから。

「なんで」

「どうして」

「何が起きてんだよ」

 俺か仲間が零した絶望の声を聞きながら、ふと呟いていた。

「これ、どこかで――」

 ミサキが盾ごと。

 あぁ、ダメだ。

 そんなことって、ないだろう?

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