第9話 エリクサーを探して
基本的に、エリクサーと名のつくものは、伝説の霊薬である。
なかでも、ただ「エリクサー」とだけ呼ばれているものに関しては、おそろしく高額で取引されると本に書いてあった。
――でも、たかが薬だろ。
そんな風に思っていた俺を、どうか引っぱたいてほしい。
そして、グレースのための薬が手に入らないっていうこの悪夢から、目覚めさせてほしい。
現実は厳しい。
ありえない数の金貨を要求される値がついていた。
金貨なんて、この目で見たこともない。銀貨の時点ですでに大金だ。
俺はやっぱり世間知らずなのだろうか。
これじゃ、自分の手持ちでは、一滴たりとも手に入らない。
それでも、まだ望みはあると思った。実は、俺が入った薬屋は客を騙す悪徳な店で、本当はあそこまで高価ではないかもしれないと思った。
なぜなら、ネオジュークという大都会は、英雄オリヴァーの伝記によると、悪いやつらが偽物を売りつけたりする、偽装にあふれた場所だって話だからだ。
もちろん、ちゃんと本物を売る良い店もあるんだろうけれど、俺はオリヴァーを信じるぞ。
情報が集まるギルドや、大商会で、色んな人に話を聞いてみたところ、
「それっぽっちでエリクサー? 出直してきな」
「エリクサーの価値もわからないのかい、坊や」
「ハハハ、偽物でよかったらあるぜ?」
全く相手にしてもらえなかった。
どうしようかと、広場のベンチに座って、頭上で回転する白い炎を見つめていると、女性が声をかけてきた。きめ細やかな白い肌、白銀の髪に青い服。とがった耳をしている。グレースにちょっと似ている、美しいエルフだった。
一瞬、グレースが元気になって迎えに来てくれたのかと思って喜びかけたけれど、別人でがっかりだ。
「エリクサー、ほしいの?」
名も知らぬ彼女は、きれいな声で、いきなりそんなことを言った。
どうやら、聞き込みをしているところに偶然通りかかって、俺がエリクサーを求めていることを知ったらしい。
「必死にさがしてたから、どうしたのかと思って」
「仲間が、魔力酔いっていう症状で倒れたんです。それで薬を探してて」
俺が絶望を漂わせてそう言った時、エルフの女の子は、しばらく黙りこみ、やがて、「なるほど」と一人で納得したように頷き、続けて、こう言った。
「それは大変。じゃあ、これ、エリクサーをあげる」
「えっ、ほ、本当か?」
「平気。たくさん持ってる」
「あ、ありがとうございます!」
魔都ネオジュークも捨てたもんじゃない。俺は感動のなか、液体の入ったビンを受け取った。
★
「これは……すごい」
鑑定士の初老の男が感嘆の呟きを吐いた。
「まさか、本当に本物だっていうのか?」
「真っ赤な偽物です」
「って偽物なんかい!」
俺はツッコミを禁じ得なかった。
ビンを受け取った時は優しさに大感動はしたけれど、さすがにタダでもらった高価な薬なんて、怪しさ満点である。だから、鑑定士に見てもらうことにしたのだ。
その結果、偽物であると判明した。
「いえね、でもこれはね、お客さん。ものすごいんですよ。『スイートエリクサー・偽』というアイテムなんですけど、たいへんな美味で有名で、しかも市場には滅多に出回らない、かなり希少なものなんです」
「でも、魔力酔いには効かないんだよな」
「まあ、そういう薬的な効果はありませんがね、疲れなんか吹き飛ぶ美味しさですよ。生きててよかったって思えるくらいの。マニアの間では、かなりの高額で取引されています」
「そうなのか。なら、この偽エリクサーを売れば、普通のエリクサーを買えたりするのかな」
「お客さん、ご冗談はよしてくださいよ」
わりと本気だったのだが、やはり薬屋で見た異常に思えた高値が、エリクサーの適正価格ってことらしい。
「ああ、そうそう、お客さん。もし戦いに自信があるなら、こういうのがありますよ」
そうして鑑定士が見せてきたのは、一枚の宣伝ビラだった。
「闘技大会?」
「そう。武力を競う、お祭りだよ」
「優勝賞品、エリクサーだと? 開催は……今日じゃないか!」
いつもの俺だったら、絶対にこの道は選ばない。どう考えたって正気を疑う選択だ。
だが、グレースが俺の頭の上に落ちて来た時から、ちっぽけな俺の人生の歯車は、大きく変わったようだ。運命的なものを感じた俺は、無謀にも野蛮そうな大会に出場することを決断した。
野生動物やモンスターと出会ったら迷わず逃げろと教えられてきたし、取っ組み合いの喧嘩さえ、ほとんどしたこともないのに。
★
マリーノーツ全土から集められた闘技大会の出場者は、天井で元気に燃え盛る白い炎がある広場、ネオジュークで最も大きな広場に集められた。
上半身に白い布を身に着け、下半身を赤い布で包んだ仮面の少女が二人、どこからともなくあらわれ、ふわりと上空に浮かび上がったかと思ったら、天井の白い炎から自らの指先に炎を移し、それを、さっとひと撫でしてみせた。
何が起こったのか、わからなかった。
いきなり周囲の景色が変化した。
これまでの石畳の街並みではなく、観客席に囲まれた土の上。その中心には、円形の舞台のようなものが設置されている。
どうやら何らかのスキルで、瞬間移動を果たしたらしい。
「これが、闘技場か」
初めて見る場所は、だいたい自分が思い描いていたイメージ通りだった。
ふと、円形の舞台の上に、黒いローブを身に着けた者が一人、降り立った。背が低く、ローブ越しにもわかるくらいに迫力の無い小さな体なので、幼そうである。深くフードをかぶっているため、顔はわからない。
何だろうかと首を傾げていたら、周囲の戦闘力の高い者たちが、一斉に跪いた。
男も女も、老人も子供も、種族も関係なく、焦げ茶色の地面に腕を交差させて手をついて、恭順のポーズを示している。この上なく尊敬する相手に対する態度に見えた。
俺は何が起きたのかわからず、ただ立ち尽くしているしかなかった。
俺の他にも、もう一人だけ、腕に鎖をじゃらつかせている筋骨隆々の男がいた。そいつは、戸惑っている様子はなかった。
すると、フードの人物は、少女の声で、俺に向かって言った。
「おぬし、なぜ頭を垂れぬ?」
「あの、何が起きているのか、わからなくて」
「なんじゃ、いまどき、まるで転生者みたいな理由じゃな」
「いや俺は転生者じゃなくて、ツノシカ出身で」
「ほほう、隠された村ツノシカとな? すると、わしが誰なのかも知らぬといったところか」
この偉そうな感じは、もしかして、神聖皇帝として君臨されているオトキヨ様だろうか。オリヴァーの伝記に何度か出てきて、闘技大会を観戦するのが好きだっていう記述があったと記憶している。
「しかしじゃ、知らぬからとて、無礼は許せぬ」
俺に向かってそう言った後、つづいて、もう一人の座らなかった強そうな男に向き直り、彼女は問いかける。
「そこな筋肉男は、どういうわけじゃ。拳をゴキゴキ鳴らしおって、ずいぶんな戦闘態勢じゃが」
「神聖皇帝だろうが何だろうが、関係あるか。オレはオレだ。オレこそが世界の中心だ。誰にも媚びねえし、誰にも従わねえ。文句があるならかかってきやがれ、ディーア・ヴォルフ七代目として、誇りをもって相手してやらぁ」
思い切りにらみつけていたが、顔の見えない黒フードの少女は動じなかったようだ。こくりと深く頷くと、
「面白い。気合十分じゃな。試合前とは、こうでなくては」
「一族の誇りが掛かってんだ。オレが欲しいのは、栄冠。英雄オリヴァー・ラッコーンを超える大英雄に、オレはなるんだ」
自分では考えもしないことを本気で語る人間がいたことに、俺は感動にも似た驚きをおぼえていた。
俺は、これまで英雄オリヴァーに憧れて来た。でも、その大いなる存在を超えるなんてこと、考えたこともなかった。ディーアという男は、英雄を超えて大英雄になるという。それほどの自信が、立派な身体全部にみなぎっている。
オトキヨ様は、そんな英雄を志す男に向かって言う。
「じゃが、わしに対してその傲慢な態度は赦せぬ。そこでじゃ、わしに無礼を働いた罰として、おぬしらには……そうさな、開幕戦をド派手に行うことを命ずる!」
え、と思わず俺は声を漏らした。
ある程度の覚悟はしていた。でも、いきなり初戦から、たくさんいる参加者の中で最も強そうな人とぶつかることになるとは、想像していなかった。
俺がやってきたことなんて、毎朝の水汲みとか、その他家事全般とか、あとは散歩とか、まじでのどかな生活だったのに。
こんな戦うために生まれたような立派な戦士に勝てるというのだろうか。この流れは、あまり良くないんじゃないの。モンスター級の相手を前に、勝てるビジョンが全く湧かないんだけど。
「戦闘不能になるまで力の限り戦い、わしを楽しませるがよい! もしできなければ、貴様らの頭は、胴体とお別れすることになるじゃろう」
占いスキルがなくても、ひどい未来になるのがわかる。
本で読んで何でも知った気になっていた。けれど、オトキヨ様の姿も知らなかった。無知な自分が、本当に罪深い存在に思えて来た。