第8話 不夜街ネオジューク
ネオジュークとは、マリーノーツというこの世界で最も大きな都市である。
ネオジュークの外には夜があるが、ネオジュークには夜が無いのだ。これは何かの比喩表現ってわけではない。
高層建造物が立ち並ぶ都市全体を、ピラミッドという名の巨大な黒い塊で覆っていて、中は空洞になっている。
ピラミッドの中はいつも明るい。白い炎がピラミッドの頂上で常に力強くゆらめいていて、作られた青空を照らしているのだ。
俺たちは、エコラクーンでの食事の後、高級な馬車を手配して、あっという間にいくつかの町を抜けた。大きな川を渡り、ネオジュークへと辿り着いた。
目的地のザイデンシュトラーゼンという都市に行くには、ネオジュークを通り過ぎるのが一番の近道だ。
この特殊な眠らない都市に入った時、リズミカルに走る馬車に揺られながらグレースは言った。
「この感じ、私の世界に似ているわ」
「氷の世界にか? どのへんがだ? こんなに大都会なのか?」
「いえ、建物の感じとかは、このネオジュークって町より角ばっていないし、全然似てないけれど……そうね、囲われていて、明るいけど、閉じているっていうか、壁の中っていうか……もっと言うと、本物じゃない、作られた嘘の世界のように感じるわ」
「嘘の世界か。でも、空の絵が書かれた内壁は、思っていたよりずっとリアルに青空だけどな」
「うまくできているんだけど、うまく出来過ぎているのよ。広がっている外の世界は中で暮らす人々には隠されていて、境界をこえて抜け出さないように生かされているみたいな感覚。古文書を見つけるまでは、私も何の疑いも持たなかったけど、このまちの風景をみて、確信は深まったわ」
「何の確信だ」
「本当に、私の世界が滅んじゃうってこと」
「何がどうなってそこに繋がるんだ? 頭の悪い俺にもわかるように教えてくれ」
「ほとんど勘だけど、どうしても根拠が必要だって言うなら、私はこう思うの。ネオジュークっていう場所は、いつかこのマリーノーツっていう世界に滅びが近付いたとき、この中で暮らせるように建造された、避難所なんじゃないかって」
「グレースの世界には吹雪から守ってる壁があるって話だけど、それと同じってことか」
「その通りよ」
伝わったのが嬉しかったようで、グレースは本当に嬉しそうに笑顔を見せた。
★
「止めて、オリヴァン」
向かいに座る彼女が、口元をおさえながら言った。何か気になるものを発見して馬車を止めて欲しいと言ったわけではなさそうだ。
「大丈夫か?」
俺は馬車の運転手に止まってもらって、グレースの腕を掴み、優しく外に引っ張り出した。
「馬車に酔ったのかしら、ごめんなさい……」
「謝ることじゃあないぞ。何か飲むか? 買ってくるぞ」
「いい」
どうも吐き気があるらしい。体調が悪そうだ。
「おかしいわね、この私が乗り物酔いなんて」
「舟にも乗ったし、慣れないもの食ったし、そんでもって、今度は馬車に揺られたんだろ。無理もない。別に、そんなに強がらなくていいんじゃないか」
「強がりじゃあないわ。子供のころからあの子を乗り回して、慣れてるはずなのに」
本気で落ち込んでいた。あの子、というのは、グレースが探している大きなイヌのお友達のことだろう。オオカミ、とか言ったっけ。
「情けないわ。世界に滅びが近付いているっていうのに、私がこんな……」
単なる乗り物酔いじゃないのなら、ひょっとして原因は精神的なものではなかろうか。
さきほどの、俺の部屋で流した彼女の涙が思い出された。
泣いている彼女も嫌いじゃない。うまくいかないことがあって、それを懸命に打開しようとしたからこそ、悔し涙っていうのは出るものだ。それはそれで美しい姿だった。
でも、気に入らない。
グレースには笑っていてほしい。
自分の世界の誰にも認められず、世界を一人で背負って、気負って気負いまくって、そんな状態が続いたら、どんな英雄でも大勇者でも心折れそうになるものだろう。
そんなストレスを、一人きりで背負わせたままでたまるか。
「安心しろ、グレース。俺がついてるからな」
「…………」
返事がなかった。
「グレース?」
そこにいたはずの彼女の姿を、すぐに見つけられなかった。
馬車の車輪のそば、石畳の上に、彼女の身体は倒れていた。
「えっ」
あまりにも突然だった。
呼吸はしている。でも苦しそうだ。ふーふーと熱を外に逃がそうとするかのような呼吸。
「ちょっと、これ、まずいんじゃないの?」
馬車の運転手が、お客様どうかしましたか、と窓から覗き込んでくる。
「医者のところへ!」
発熱するグレースを優しく抱きかかえ、再び馬車に乗り込む。
すぐに急発進した。
彼女が傷つかないように覆いかぶさって守ってやる。苦し気な息遣いをすぐ耳元に感じて、俺の全身を寒気が駆け抜け、胸の奧がひどく痛くなった。
「大丈夫だぞ、グレース……。すぐに医者に連れてってやるからな」
★
やっぱり、慣れないものを食べさせようとしたことが良くなかったんだろうか。氷だらけの世界から、いきなり別世界に来て、その環境の変化に身体がついていかなかったのだろうか。ちゃんともとどおり、元気になってくれるんだろうか。
不安が渦巻いていた。
小さな医療所での診察を終えて、派手めの化粧をした女性のお医者さんが、ゆるーい感じで言うには、
「魔力酔いっすねー」
「なんだよ、それ」
「簡単に言うとぉ、魔力の極薄のところから濃ゆいところに来ちゃって、破裂しそうみたいな、そんな感じっす。魔力の出入り口が耐えられなかった、みたいな」
「すぐ治るんだよな?」
「うわ、ぐいぐい来るね。すごい迫力だ。恋人のエルフちゃんがホントに大事なんだね」
「まだ恋人では無いですけど、そんなことより、答えてください。治りますよね」
「だいたい放っとけば治るけど、その、滅多にないけど、運悪いと……覚悟が必要だったりしますねー」
「そんな……」
「あー、あのね、ごめん余計なこと言ったかも。そこまで心配しなくても平気だってば。治る治る。百万人に一人くらいしか亡くなることないから」
「グレースがその一人になったらどうするんだ! この世界の人間やエルフや魔物が大丈夫だからって、グレースが大丈夫だとは限らないじゃないか!」
「落ち着いて」
「落ち着いてるよ! だけど心配なんだ。何か、いい薬とか無いのか?」
「自然に任せても問題なく治るもんだよ。でも、好きな人のために何かしてあげたいなら、一応、おねーさんが、この症状に効くお薬を教えてあげてもいいよ」
「本当ですか? 何ていう薬です?」
「一番高価だけど、一番効果がある最強のやつは、万病に効くっていう『エリクサー』っすね。でもこれは無理っしょ。そもそも、こんなちっちゃい診療所には絶対無いし。せいぜい『黒山羊の巻角』とかが、庶民にギリで手に入る範囲かなぁ。でもあれひっどい味なんだよねぇ」
「わかった。変な味じゃない、一番高価な薬、手に入れてくる」
「えっ? ちょ、きみ、話きいてた?」
「もちろんだ。俺はグレースのために、世界最高の薬を持ってくるんだ!」
俺は信頼できそうなお医者さんにグレースを任せ、診療所を飛び出した。
医者のお姉さんは、待って待ってと少し追いかけてきたけれど、やがて呆れたように追跡を諦め、診療所に戻っていった。