第7話 復興都市で夕食を
旅をするにも、目指す場所が必要だ。
そうでないなら、それはただの散歩や漂流になってしまう。遭難と言っても言い過ぎではないだろう。
はじめは、グレースの友達であるオオカミを探そうと思った。だから、ツノシカを出発する前に村人たちに聞いてまわったが、誰も心当たりは無かったし、グレースも後回しでいいと言った。
村人から情報を集めるついでに、舟を安く買い取ることもできた。『八雲丸』という文字が書かれた舟だ。勝手に乗って行っていいと言われたので、今、その四人乗りの小舟に揺られて小さな川を下っている。
このまま大きな川に出て、そこで舟から降り、陸路で少し西に向かえば、マリーノーツの都心部に辿り着く。
多くの情報が集まる首都ネオジュークや、新都ザイデンシュトラーゼンに行けば、グレースの欲している情報が手に入るかもしれない。
さて、グレースが欲している情報とは何なのか。二つある。
一つは、世界の滅びが真実かどうかということ。
もう一つは、世界を安全に渡る方法。
つまりはグレースの生まれ育った白い世界にいる人々を説得する材料を探す。と、そういうことだ。
ここに友達のオオカミ探しを付け加えて三つにしてもいいが、いずれにしても人の集まる場所に情報が集まるものだろう。
まずは色々な種族が行き交うようになった、新都ザイデンシュトラーゼンでの情報収集を目標に据えることにした。
最大都市のネオジュークは騙されたりする危険な町だとオリヴァーの伝記に書いてあったし、ザイデンシュトラーゼンといえば、オリヴァーが伝説の魔よけのアイテムを手に入れたことでも知られていて、言うなれば聖地みたいなものだからな。
それと、オリヴァーゆかりの宝物庫がどこかにあるというから、その中には世界の渡り方に関する書物とか、アイテムとかが眠っているかもしれない。
「よし、旅の目的地はザイデンシュトラーゼンで決まりだな。じゃあ、まずは近場の町で準備をする必要がある。ここから近いのは、エコラクーンか」
エコラクーンは、かつて謎の疫病が広まったとき、英雄オリヴァーが大勇者アリアという者と協力して解決してみせた場所だ。
つまり、一度は壊滅しかけたけれど、復興した町ということになる。
必要なものをそこで買い出したり、街道をゆく馬車の手配をしたり、ついでに情報収集していくのもいいな。
★
小舟から見える知らない町の風景を見ながら、考える。
ツノシカ村の外に出てみたものの、思ったほどの感動はなかった。それがショックで、胸の中に何とも言えない喪失感がどんより広がった。なんというか、知らない場所に来たっていう実感が、どうにも湧かないのだ。
これまでの人生の中で見ることの少なかったエルフたちが、耳をとがらせて歩いているのを見ても、清浄な水がきらきら揺れる噴水を見ても、ぼろぼろの建物や真新しい建物が混在している風景を見ても、俺はそれらの光景をどこかで見たことがあるような気がした。
もしかしたら、本で読み漁った知識のおかげで、その場に行かなくても風景を正確に予想できてしまっていたのかもしれない。
だとするなら、ものすごく損した気分だ。
俺が落胆しているのとは対照的に、グレースは全く知らない世界の風景に、いちいち感動しまくっていた。そして、エコラクーン近くまで来た時、グレースは驚きのあまりに声をあげた。
「わっ、なによあれ」
「どうした、何かあったか。船酔いか」
「いえ、服」
「服? 大丈夫だぞ、グレースの服はダサくない」
「そういうことじゃなくて、道を歩いてる人が着ている服、青い服を着ている人が多いのよ」
「変なのか?」
「神聖な色よ。私の世界では王族しか身に纏えない服なのに」
「この世界じゃ、混血のエルフがあの色を好んで着るって話だ。このあたりは、エルフ系の住民が多いらしいからな」
「混血ってなに?」
「違う種族で結ばれて、その間に生まれた子供のことをそう言うんだ」
「変なの」
「まあ、そうだな……。でも、なんで青い服がそんなに神聖なんだ?」
「知らないわ」
「そういう言い伝えがあったりするんじゃないのか?」
「古文書にも書いてなかったし、全然わからない」
ほどなくして、エコラクーンに到着した。小舟をつなぎ、上陸する時、少しふらついた彼女を支えてやった。
痩せている彼女は、とても軽かった。ちゃんとごはん食べてるのかって心配になるくらいに。
「ありがとう、オリヴァン」
「別の世界に着いたばかりなのに、いきなり長旅で疲れたろグレース、ちょっと飯でも食っていこうぜ」
「……私の世界の滅びが近いのだから、のんびりもしていられないわ……でも、そうね、なんだか疲れているみたい。食事にしましょうか」
★
俺はグレースをそれなりに高級な店に連れて行った。彼女にふさわしい、おしゃれで清潔な店である。
もともと、きっかけさえあれば外の世界に出ようと思っていて、それまでは親が遺してくれた財産には手を付けずにいようと決めていたから、旅の資金は潤沢だ。よほど凶悪な盗賊や追い剥ぎにでも遭わない限り路銀に事欠くことはないだろう。
英雄オリヴァーのおかげで、魔王は滅ぼされ、世界は平和になっているのだ。さまざまな種族が互いに手を取り合える美しい世界になったと本に書いてあった。
ふとグレースに視線を送ると、彼女は天井近くを眺めていた。
「どうしたんだ?」
「あの飾りは何かしら。何かのおまじない?」
「あれは、ラストエリクサーだ」
通称ラスエリ。英雄オリヴァー・ラッコーンを象徴する神の草。縁起物の高級草だ。オリヴァーはラストエリクサーという草を扱う商人だった時代もあり、他の商人が太刀打ちできないほどの圧倒的な信頼を得ていたという。
そんなオリヴァーの倉庫の天井ちかくに、一株の「ラストエリクサー・極」が飾られていたという史実がある。
英雄の愛した草だったということで、親愛を込めた別の呼び方として、草オブ草とか、草の中の王とか呼ばれたりすることになり、やがて商売繁盛のまじないとして、天井ちかくに飾られるようになった。
今では、商売をしている人間であれば、所有する建物の天井近くに、必ずラスエリを飾る時代になった。
「この世界では、飾られているラスエリの量や質によって、その店の繁盛度をはかることができるのさ」
「ふーん、きれいな緑色だわ」
ここは高級店であるし、ラスエリ飾りの質もよく、しっかり手入れされており信用できる店であることがわかったのだった。
きっと、グレースもこの店での食事を気に入ってくれるだろう。
★
「口に合わないわね」
肉は自分の好物だから、最高の炙り肉をチョイスした。ブランド牧場育ちのムレイノシシ肉だ。それなりに高い肉を出してもらったのだが、グレースは肉の先端をすこし舐めただけで、フォークを置いてしまった。
「豪華すぎ。脂が気持ち悪い。味が薄い」
ならばとアイスクリームなる甘味を注文した。これも高級品である。
「甘い味は好きだけど、ぬたっとした感じが気持ち悪い。なにより、冷たいものを食べるのは身体によくないわ」
じゃあどんなものなら良いのか、どうすればグレースが喜んでこの世界のものを食べてくれるのか、店にあるメニューを片っ端から注文してみたが、全部だめ。もう何も思いつかない。
諦めかけた時、店員が持って来てくれたのは、裏メニュー。エルフが好んで食べる炒った塩味のナッツだった。
「あら、まあまあおいしい。この世界が少しは好きになれそう」
なんだ、調子いいやつだな。
「グレースの世界の食事って、どんなものなんだ。氷に包まれてたって話だから、あまり豊かではなさそうだけど」
「ばかにしないで。私たちが生活する都市は、城壁で囲まれていて、その中でなら植物もすくすく育つから、オリヴァンが考えているほど、貧しくはないわよ」
「どんなのだ」
「一日二回の食事、柔らかいパンと野菜のスープ。素材の味を生かした味わい深いスープよ」
「どうなんだろう、グレースの世界の食事は面白くなさそうだな。俺は、なんだかんだ村の中では裕福な家で暮らしていたから、グレースのところに行ったら楽しめなさそうだ」
「あら、食事は感謝の場よ、面白がったり、楽しんだりするところではないわ」
このあたりは生まれた世界の違いっていうよりは、価値観の違いってやつだろう。
とはいえ、勝手な考えだけれど、もし食事が素晴らしくて楽しいものと感じないのなら、それは、本当に美味しいものに出会ったことがなく、本当に楽しく食卓を囲んだことがないだけだと思う。
俺も、昔はものを食べなかった。近所のおばちゃんとか、じいちゃんとかに無理矢理に食べさせられそうになると、吐き出したりまでしていた。
それは、転生者に憧れていたからだ。転生者ってのは、食事をしなくても生きていけるというから、幼い俺は食事を我慢することで転生者に近づこうとしていたのだ。
我ながら、ばかな子供だった。
そんな俺も、自分で料理をすることを覚えてからは、気を許せる人たちと囲む食卓が至福の時間になっていった。
我ながら、見事な手のひら返しだった。
いつか近いうちに、グレースにも、ちいさな手のひらを返してもらって、おいしくて楽しいごはんを一緒に味わえたらなって思う。