第60話 オリヴァンの過去(4/4)
「ティア、報告があります。狼の大魔王を捕らえました」
「本当ですか、エリザマリー様」
ティアの住む邸宅にやって来たエリザマリーは頷いて、
「ツノシカという場所に程よい地下空洞があり、そこに閉じ込めてあります。それと、調べさせてもらったのですが……あなたにも罪がありますね」
「んー、どれですかね」
「どれもです。父親を殺させるためにエルフの暗殺者を呼びましたね? 多くの者を狼男に命じて殺害させましたね? 墓荒らしまでしてますね? 子供を作っては捨ててを繰り返しましたね?」
「え、だめでした?」
「何をへらへらしているんですか! っと、失礼、大声を出してすみません。あなたの起こしてきた事件は、どれもが一発で死罪になるほどの重罪です。いくら危機から街を救ったのだとしても、見過ごすことは絶対にできません。そもそも、魔人発生の原因も、あなたと狼男の地下探索だったという疑いもあります。あなたも大魔王とともに、ツノシカに閉じ込めます」
「それは困りますよ。まだ夫を助ける手段を見つけられていないのに。せめて、それまでは待ってもらいたいです」
「いいえ、今後あなたは一生、柵に囲われたそこから出られません。数えきれないほどの大罪を犯したのですから当たり前です。たとえ危機から町を救ったのだとしても、完全に帳消しにはできません。ただ……もちろん、あなたと狼の大魔王との間に生まれた子供たちには罪はありませんし、子供たちが、みずからの失われた寿命を取り返そうとするのは当然の権利です。あなたにできることは、あなたの子供たちを信じて待つことです。いつか呪いが解けるその日を待って、反省の気持ちにまみれながら、静かに暮らしなさい」
「柵を越えたらどうなるんですか」
「スキル『曇りなき眼』を持つものが柵を越えたら、この世界で生きてきたすべての記憶を失うでしょう。転生者であれば、それでも生きていけるかもしれませんが、この世界で生まれたあなたは、考える力さえも失って、何もできず泣きわめくだけの存在になります。罪から逃げるのは勝手ですが、それは、狼男を愛する気持ちをも失うということになりますので、よくよく考えて動くことです」
★
ティアは、おとなしくツノシカ村に自ら入っていった。
「あなたが、魔王と化した父親を救うのです」
と息子の一人に向けて、二代目ティア・ヴォルフを指名して。
地の底の空洞、俺がグレースと出会った時に叩きつけられた水たまりの中。悪魔の地底湖と呼ばれた場所に、狼の魔王が静かに立っていた。特殊な力で縛られて、全く動かない。
何かから攻撃を受けた時だけ、生存本能の赴くままに反撃するようになっていた。マリーノーツ王室の力をもってしても、完全には縛り切れなかったということであろう。
ティアは大魔王と対面して、涙を流した。
「自分でも、どうして涙なんか流れるのか、わからないの。あなた、説明してくれる?」
狼の魔王は言葉を返さない。
毎日繰り返し、ティアは魔王のところに通った。
やがて彼女は、一人きりで質素な暮らしの果てに、老いて命を落とした。
彼女が生きているうちに、獣人という種族にかかった呪いが解けることはなかった。
時が経ち、魔王化の呪いさえも軽減する方法が見つかった。特殊なアイテムを燃やした煙を浴びることで、その者にかけられた全ての呪いを解くことができた。一人が浴びれば獣人という種全体が元通りになるわけではなく、呪われた一人一人がこの煙を浴びる必要があった。
この力で、寿命が短くなるという呪いは多く解けたし、そのうえ、魔人化や魔王化した者についても、完全にとはいかないが自我を取り戻させることができ、獣人と呼べるレベルにまで戻すことができた。
では、狼の大魔王が狼男に戻れたかというと、戻ることはできなかった。
煙が効かなかったわけではない。そもそも、忘れられたのだ。
当時ティア・ヴォルフという集団は盗賊団になっており、呪いを解くアイテムを発見した頃には、彼らは本来の目的を完全に見失い、ただ皆で生き残ることに必死になるしかなくなっていた。自分勝手で強欲な獣人の血も手伝って、あっという間に賊と化していたわけである。
子孫たちに約束を破られ、裏切られた形になったが、これはただの報いであり、ティアには彼ら彼女らを責めることはできないだろう、一度は我が子たちを捨てたのだから。
狼の大魔王は、永く幽閉された末、最後には暗い地底の水たまりの中で、一人で消滅したのだろう。英雄オリヴァーが魔王と名の付くものを一斉に消し去ったタイミングで。
★
時代の流れは、遥かに下って行き、やがて戦乱の時代は終わりを告げた。
人間たちが転生者の力で覇権を得て、マリーノーツという世界は安定を見せ始めた。街の雰囲気も変わっていく。
ティアの子孫は、世界のあちこちで増えに増え、人々から憎まれるような悪い者もいれば、人畜無害な者もいた。
ティアと狼男の子孫の一人に、高い戦闘力をもつ男がいた。ディーアと名乗っていた。
「そこの女、名前は何ていった? おれはディーアってんだ」
先祖の歴史を繰り返すかのごとく、『曇りなき眼』の持ち主の女と出会った。
「奇遇ですね。私はティーア。名前が似ています」
この女もまた、ティアたちの子孫であった。
男は縁を感じ、護衛として同行するようになった。
やがて二人は恋に落ち、結ばれた。
ほどなくして、二人は困窮した。
「次は当たるって言ったじゃない。目が曇ってるんじゃないの? どうやったら、あの鳥が一位になるのよ? 血統も悪ければ調子も悪かったわ」
「あ? おめえの賭けた伝言鳥だって、下位に沈んだだろうが。偉そうに語ってんじゃねえ」
伝言鳥レースに全財産をかけて失敗していた。
そして、すぐに借金にまみれ、男は酒浸りで暴力を振るうようになり、
「金稼いで来るまで、帰ってくんじゃねえ!」
そう言って、女を拳で殴って家から叩き出した。
女は腫れた顔を抑えながら、とぼとぼと賑わう街を歩く。
道行く幸せそうな家族や、手を繋ぐ恋人たちとすれ違っては、羨望の眼差しで振り返る。
ふと、ある家族の中に、異常な光景を見た。
紅い二丁の猟銃を背負う女がいたのだ。
後姿を見るまでは、子供を手押し車に乗せてゆっくり歩く母親にしか見えなかったが、たしかに長い銃を背負っている。しかも二丁も。
平和になった街のど真ん中で、そんなものを所持しているのは、どう考えても異常なように思えたし、何より、その猟銃は普通の人には視えなくされていた。偽装スキルによって隠されていたのだ。
――怪しい。何か事件を起こす気に違いない。未然に防がなくては。
ティーアという女は考えなしの正義心に駆られて、その女に声をかける。
「あの、背中のそれ……」
「へえ、あんた、これが視えるのかい」
「ええ、私の『曇りなき眼』には、確かに物騒なものが映っています。それで何をする気なんですか?」
「本物だな。ちょっと、一緒に来てもらおうか」
そうして、わけもわからぬまま腕を引っ張られ、連れて行かれた先は牢獄だった。
映像を見ていて、俺はなるほどと頷いた。聞いたことがあった。どういうわけか、何も悪いことをしなくとも、『曇りなき眼』というスキルを所持しているだけで危険視されて捕まり、やがてはツノシカの地に閉じ込められる時代があったのだという。
偽装を見破る目を警戒し、それ系のスキルを持った者を捕まえるためのトラップが、この時代、マリーノーツ全土の街中に張り巡らされていたのだった。
捕まったら最後、ツノシカから外に出られず、そこで一生を終えることになる。
「まあ、いいかなと思うこともありますよ。暴力男からは離れたい気持ちもあったので」
自由を奪われたものの、彼女にはツノシカという新しい居場所ができ、素朴な生活を送った。果たして、彼女は、運がよかったのか悪かったのか……。
やがて女は、自分と似たような境遇で捕まった転生者と再婚を果たし、子供を産んだ。
ある年、ツノシカ村が日照りに襲われ、食糧不足に陥ったことがあった。その際に、「外に、支援を頼んでくる」と転生者の男は言って、柵を飛び越えた。
その結果、転生者は、マリーノ―ツに来てからの記憶を全て失った。妻のことも子供のことも、飢えに苦しむ村のことも、全てを忘れて、一からの転生者生活を意気揚々とスタートさせた。
夫が柵を越えて外に出て、帰ってこなかったことで、女は心に深い傷を負った。
裏切られたと思った。約束を破られたと怒った。怒りの矛先が子供に向いた。
気付けば、些細なことに腹を立て、泣き叫ぶ子供を殴ってしまっていた。我を忘れて。
その後も、似たような暴力と苦しみの連鎖が何世代か続き、やがて、俺、オリヴァンが産まれた。父がもっていた薄まった獣人の血を引いて……。
母親に抱かれる赤ん坊。
赤ん坊を囲む人々の顔が、じいちゃんとか、近所の人とか、俺の知っている人たちばかりだったから、たぶん、これは俺だ。
嘘だろ。最悪だ。
つまり、俺は、あの狼男と盗掘女の子孫ということなのだ。
戦いを好み、笑いながら殺しを楽しみ、欲望に任せるままに生き、果ては自分の子を捨てまくっていた……。
子孫たちも――つまり俺からすれば先祖にあたるわけだが――性質に難のある者ばかりのようだ。
そんな連綿と続く呪われた先祖の血が、俺の中を流れているんだ……。
俺は映像から目を離し、自分の手を見る。
ひどく汚れている気がした。