第59話 オリヴァンの過去(3/4)
映像の中の場面が切り替わった。薄暗い一室に、一人の女性が膝をついている影があった。
「エリザマリー様、以上が報告になります」
その側近と思われる女性の声は、とてもよく響いた。
エリザマリーというと、最初の転生者でもあり、マリーノーツという国を築いた女王として知られているし、俺の見た過去映像の中で、未来のことを知り、俺たちのことを導いてくれた予言者でもある。
金髪弓矢少女にエリザミスという名を与え、神殿を守るように願ったのも彼女だし、きっとグレースの持っていた古文書にも何らかの形で関わっていることだろう。
ともかく、どうやら映像はティアや狼男の視点ではなくなった。女王の住まう巨大な城の一室ということらしい。
薄暗い部屋は、寝室だろうか。
エリザマリーと呼ばれた赤い髪の女は、自分の髪先をくるくるといじくりながら、側近らしき女性から話を聞いていた。
やがて頭の中が整理できたようで、髪から手を離し、
「なるほど。地下の隠された大きな門と、獣人の魔族化。魔人となった者たちに備えるための魔族たちの再編成。大まかな種族ごとに魔王と名のつく存在を作り、それぞれの種族が立場を高めようとしたり、維持しようとする動きですか。欲深さのあまりに面倒を起こす獣人がいなくなったかと思ったら、かわりに、もっと面倒なことになりましたね」
「契約違反、すなわち、魔族の領域が侵犯されたことが原因だそうです」
「呪いというものですか」
「獣人だけではなく、獣人の血を引いた者すべてが呪われ、血が薄く魔人化していない者たちも、寿命が大幅に短くなるそうです。どれほど短くなるのかは不明ですが、代を重ねるごとにだんだん寿命が減っていき、やがては子を成せなくなり、絶滅するとのことです」
「絶望的ですね。その呪いを解くことはできますか?」
「種族全体にかけられた血の呪いです。あまりに大規模なので普通の方法では無理でしょう。伝説上では、一応方法はあるみたいですけども……なんでも、魔界の中枢にある湖の底に沈めた特別な樹木というものが、必要だといいます。魔界の湖なんて、近寄りがたいですよね。魔族も地上の我々に対して臨戦態勢でしょうし」
「今のところ、伝説でしかないのですね。であれば、それは後回しです。強大な力を持つ者の居場所はどれくらい把握していますか?」
「現在、詳細を確認中ですが、獣人の大規模な野営地があったホクキオの北あたりに大勢いまして」
「そのあたりは、たしか、黒龍の封印されている場所ではありませんでした?」
「まずいですかね」
「こんなこともあろうかと、転生者を召喚しておいてよかったわ。魔人の呪いに穢されたりでもしたら、暴走の危険がある。至急、精鋭を魔人討伐に向かわせましょう」
「了解です」
★
峠の上から見下ろす光景は、濁流だった。ばきばきと樹木をなぎ倒しながら、穢れた水が谷底を埋め尽くし、流れていく。
「あー、遅かったようですね」
「ええ、エリザマリー様。おそらく水の力を司る黒龍は、呪われた魔人たちに執拗に串刺しにされたんでしょう。暴走です。洪水でめちゃくちゃです」
「魔人は大幅に減ったのでしょうけど、これはあまりにも……。被害は?」
「転生者の展開した大規模な土魔法のおかげで、一時的に川の流れを変えることができ、市街地への被害を最小限にとどめています。ですが、肝心の暴走した本体との戦いは、見ての通り、苦戦しているようです」
黒い龍が大暴れしていた。数人の戦士を相手に、何度も爪を振り回し、相手を噛み砕こうと首を伸ばし、慌てて距離をとったら魔法の穢れた水鉄砲を飛ばしまくる。
「見守ることしかできませんね……」
「ええ、エリザマリー様、信じましょう。あなたが召喚した転生者を」
マリーノーツでは、命を落とすと、その魂は北の空、大樹リュミエール方面に流れていく。
また、いくつもの魂が、流れ星のように飛んでいく。命を落とした魔人たちの魂や、龍と戦って散った転生者の魂だろうか。
エリザマリーの視線の先には、女剣士の姿があった。
軽装の剣士は雨粒を避けるかのような身のこなしで回避するのがやっとだった。時には隙をついて斬撃や刺突を繰り出すこともあったが、硬い鱗に弾かれ、全くダメージを与えられていない。
互いに決定打はなく、しばらくそのまま攻防が続いたが、ふと、向こう岸で女が手を振って剣士を呼んだ。
女剣士が俊敏な動きで距離を取り、龍の視界から消えると、龍は下流に向かって悠然と進み出した。
女剣士はぐるりと岩場を回り込んで、自分を呼んだ女に声をかけた。
その剣士を呼んだ女というのが、ティアだった。
龍は、毒にまみれた水を撒き散らしながら市街地に向かって進んでいく。
その龍を指差しながらティアが何かを説明すると、女剣士は頷いて、どこかから取り出した別の剣に持ち替え、戦闘に戻っていく。
ティアの説明時の身振りからすると、龍には弱点があって、それを教えた、といったところだろう。
女剣士は龍の背後から首筋に刃を振り下ろし、その勢いで上昇した。龍が連続で振り上げてきた爪の一撃目をかいくぐり、二撃目でうまく爪を蹴飛ばして飛び上がり、龍の頭上に躍り出た。
しかし龍は、今度は魔法陣を展開し、四方八方から、毒々しい色の水の刃を飛ばすことで剣士を下がらせ、攻撃を防いだ。
剣士は岩に剣を突き立て、爆破することで、目にも留まらぬような高速で飛び上がり、その勢いのまま力強い突きを繰り出して、ついに黒龍の鱗に傷をつけた。龍の長い首からは、穢れた水が流れ出す。
彼女の口が「よし、いける」と動いただろうか。
もう一度岩場に戻り、また飛び上がる。
黒龍の水の刃による防御がまたも発動したのだが、剣士の動きは、さっきの攻撃時とは少し違っていた。
女剣士は回転していた。
襲い来る毒水を回転斬撃の風圧で押し返し、ついに彼女は龍の頭上に到達した。
空中で姿勢を整えると、渾身の一撃を巨大な龍の眉間に叩きこむ。力強く振り抜かれ、龍の身体は真っ二つ。美しい黒い球体が龍の身体から弾き出され、高所から地面に落ちて砕け散った。
龍の身体の一部だった濁流は何事も無かったかのように煙となって消え、清らかで静かな水の流れが戻った。
危機は去った。
エリザマリーは側近と強く握手を交わし、勝者たちのもとへゆっくりと歩み寄っていった。
★
エリザマリーは、近くにあったホクキオ近郊の王室関連施設にティアを招き、彼女と二人で話をした。
「なるほど、『曇りなき眼』とは稀有な才能です。お名前はティアというのですね。どこかで聞いたことがあるような……」
「気のせいでしょう」
おそらく気のせいではない。派手な盗賊行為を繰り返していれば、悪名が権力者にまで届くのは当然だ。
「まさか龍の弱点が偽装と誤認によって隠されていたとは。おかげで助かりました。あなたが居合わせなければ、市街地に大変な被害が出ていたかもしれません。報酬は何がいいですか。それなりの宝物を用意できますけれども」
「それは魅力的ですけど、今はいらないです。かわりに、私の願いを聞いてください」
「どういうことでしょうか」
「夫を……ネオジュークで自我を失って、殺戮の大魔王と化した夫の命を、奪わないでほしいのです。もともと狼の獣人で暴力が好きだったけど、あんなふうに楽しみもせずに目に見えた動くもの全てを破壊するような、人形みたいな男ではありませんでした。元に戻す方法が絶対にあるはずだから。方法を見つけるまで、安全な場所に閉じ込めてやって欲しいのです」
「捕らえて閉じ込めろ、ですか。ネオジュークの狼男は大変な被害を出しています。消し去るほうが簡単ですし、そのほうが人々からも理解が得られると思いますけれども……。でも、そうですね、いいでしょう。大洪水から多くの命を救ってくれたのですから、約束しますよ」
「残りの人生をかけて、いえ、子孫にも伝え続けて……何代かかっても、必ず夫を元に戻してみせます」
それから、ティアは各地に散らばった子供たちを集めて、冒険の準備を整えた。魔王になってしまった者を浄化するためのアイテム探しがはじまった。
かつて捨てられた子供たちの中には、反発する者も多かった。何せ捨てられているのだから当然だ。
ティアは特に謝罪などということはしなかった。謝るべきことだと思っていなかったからだ。
そんな人間味の無い人間に従う者がそもそもいるのかと疑問に思ったが、しかし、獣人の血にかかった呪いを解くということは、いわば自分たちの寿命を延ばす手段でもあったため、協力を申し出る者もあらわれた。
血を分けた子供達、彼ら彼女らは解呪法を探求するための組織を結成した。夫婦の名を並べて、ティア・ヴォルフという組織名をつけて活動をはじめた。
ちなみに、これは余談であろうが、宝物探しの探検にかかる資金を捻出するために、ティアの盗み蓄えた宝物コレクションをマリーノーツ政府が買い取ったなんてこともあった。おそらく、現在のザイデンシュトラーゼン宝物庫が群を抜いて充実する切っ掛けでもあっただろう。