第51話 立入禁止の魔の洞窟
赤土のロウタスであるオシェラートにしては珍しく、樹木が鬱蒼とした場所に差し掛かった。その道では、モンスターにも出会わなかったし、鳥や獣もいなかった。普通、森ってやつは、色んな生き物が助け合って成り立っているものだと思うのだが、ここには植物しかない。
そんな山道をしばらく歩いた先に、いかにも怪しげな大きめの丸い岩が置いてある場所を見つけた。
そこで、オオカミが立ち止まる。
「ここか、リールフェン?」
ザミスの声に、「わふ」と答えた。
オオカミの鼻は、この周辺に魔族のニオイを感じ取ったのだという。
そこで俺は、ふと気になった。
「いや、ちょっと待てよ。魔族のニオイを辿ってきたってことは、この辺に魔族がいるってことだよな。戦いとかになったらどうする気なんだ」
「あたし戦える」
即席に作った木の弓矢を自慢げに見せつけてくる娘に、本格的な戦闘ができるのだろうか。実のところザミスの弓スキルがどれほどのものか知らないので、全く計算できない。
「矢が三本しか籠に入ってないのが気になるなぁ」
「三本もある。じゅうぶん。一発でしとめる」
「それができるなら、頼もしい限りだけども」
とはいえ、一発で一体仕留めると計算したとして、敵が三体以上いた場合なんかは、ザミスだけでは、かなりのピンチになってしまう。
「リールフェンもいるわ」とグレース。
確かにリールフェンは素晴らしい氷魔法を持っている。
「でも、リールフェンを上回るモンスターがいるかもしれない」
そしたらタマサが鼻で笑って、
「ここの住人に反撃されてケガするようなヤツだぞ。どうせ魔族って言っても、たかが知れてんだろ。バホバホメトロ族でも出てきたら終わりだけどな」
バホバホメトロ族とは、英雄オリヴァーの伝記に出てくる強大な魔族である。魔族の中でも最強クラスの力を持つと言われる。
英雄オリヴァーは、アヌマーマ峠という場所に巣食って悪さをしていたこの魔族を、降臨したての低レベルにもかかわらず撃退したという逸話をもつ。その時、彼は一名の従者を連れていただけで、何のスキルも身に着けていなかったそうである。
しかし、これは英雄オリヴァーが飛び抜けてすごすぎるだけで、俺みたいな普通の人間が出会ったら、絶対に命はないだろう。
「ま、とにかくさ、大魔王とかでもない限り、大丈夫だろ」
タマサはへらへら笑っていた。そういうこと言ってると、本当に大魔王が出てきちゃうって相場が決まってるんだよ。だから今のは言っちゃいけなかったぞ。
「オリヴァンも知ってんだろ。ラック……じゃなかった。英雄オリヴァーとやらのおかげで、魔王は滅びてんだ。当然、大魔王も残ってないぞ」
だから安全ということにはならないだろう。魔族が一人だけとは限らないんだ。群れをなして洞窟を満たしていたら、どうする気なのだろう。
俺も含めてだが、相変わらず無計画が過ぎる。
俺は紺色の空を見上げた
細長い縦長の炎の横に、薄く雲が漂っているのが見えただけで、過去の映像は見えやしなかった。
いつの日か、思いのままにスキルが発動できるようになりたいものだ。にしても、このスキルはどうやって鍛えればいいんだろう。
★
まず、巨大な岩をタマサが魔法でどかした。
数日間を魔力指南に費やしたタマサは、この世界の魔力濃度にもずいぶん慣れたようで、下級の魔法であればさほどの負担にならなくなったらしい。それでもキツいのには変わりないのだろうけども。
次に、リールフェンが地面に向かって穴を掘っていくと、すぐに空間に行き当たった。吸い込まれそうな暗い闇が見えている。穴の中から悪魔の呼び声でもきこえてきそうだ。
「わふ」
得意げに吠えたので、俺の肩くらいの高さにあった顎の下を撫でてやると、とても気持ちよさそうに喜んでいた。
「うーむ、この闇の中に足を踏み入れるのか……」
俺が不安を隠さず言うと、グレースは胸を張って、
「あら、私たちは世界を救ったのよ? すごく……思い出したくもない魔法特訓の末にね。だから、何が待ってたって大丈夫よ。タマサの魔法指南以上に大変なものなんて無いわ」
そういうこと言うと、もっと大変なことが起きてしまうんだぞ。逆に不安が増幅してきた。
ちゃんと戻って、やがてはグレースの世界に行って、俺たちが果たしたことの結果を見届けようと決心したはずだった。けれど、いざ闇をのぞいてしまうと、その決心も鈍ってしまう。
生き物として当然の感情。命を落としたくない。
「なあタマサ、魔力とかどうだ? 何か強い危険な波動を感じるとか、あるか?」
「その質問には答えないでおく」
「おい、どういうことだ。やめろよ、そういうの」
「いいか、オリヴァン。この洞窟が、わっちらの世界に繋がってるかも分からない。でも、どのみち、先に進まないと、このオシェラートって世界から、一生出られないんだぞ」
「一生出られないか……。まあ、ちやほやと神扱いされるし、賭けに勝って金持ちだし、悪くないかもしれない。帰ろうとして命を落とすくらいなら、安全な道を選ぶのもいいかなと思いかけてるくらいだけども、どうだろう」
しかし、俺の言葉に対して誰も賛同しなかった。
無計画のくせに、どこからそんなおかしな勇気が湧いてくるんだろうか。
「冗談よね、オリヴァン。命をかけてでも、私は戻るのよ。まだ私の世界の滅びが回避できてないと思うから」とグレース。
「あたし行ってみたい。八雲丸の話、たくさんききたい」とザミス。
そしてタマサも、
「わっちも、戻らないなんて選択はないね。忘れたのかい、オリヴァン。ここの食事よりも、マリーノーツのスイートエリクサーのほうが、断然美味い」
そんな理由かよ。もっといい理由はないのか。
どんな困難が待っているかわからないし、なんなら全く関係のない魔族の縄張りに入っていって無駄死にする可能性だってある。
暴走するパーティの手綱をなんとか握っていたいのだけれど、この手綱を制御するには、相当な力が必要らしい。
せめて、過去を視て、この洞窟のヌシがどんなやつなのかを知ることくらいできたら、心の準備くらいはできるというのに。
俺は流されるままに、地面に座り、大穴に両足を突っ込むと、洞窟の闇へと一番先に飛び込んだ。
リールフェンでも通れるくらいに、広い通路に降り立った。ごつごつとした岩肌が明かりに照らされて、不気味な影を作っているように見える。
何もないし、誰もいない。通路が、ずっと先まで続いていた。
リールフェンが通れるくらいの通路ってことは、ここに魔族が暮らしているとしたら、それなりに大きい生き物なんじゃないかと予想される。とはいえ、すぐに危険が襲ってくるわけではなさそうだったので、俺は皆に降りて来るよう声をかけた。
リールフェン、ザミス、グレース、タマサの順に降りてきて、最後のタマサが魔法を用いて土をうねらせ、もとあった石を動かして戻すと、もう俺の力では戻ることができなくなった。
俺でさえ、かつてないほどに嫌な雰囲気を感じる。みんなは何ともないんだろうか。
世界を救ったことで、浮かれているのかもしれない。ここはひとつ、俺が引き締め役を買って出よう。
「みんな、気を引き締めていこう!」
そしたら、「ええ」とか「おー」とか「そうだな」とか「あふ」とか、揃わない返事が返ってきた。