第48話 帰り道
円筒型の幅広い縦穴から出て草原の丘に立つと、景色が変わった世界があった。
タマサの耳飾りに封じられていた氷魔法の効果は、二人の炎魔法で大部分が打ち消された。
降り続いていた雪はやみ、寒さも和らぎ、空は晴れている。
紺色の空に向かって、赤や青など、色とりどりに変色しながら、細長い炎が静かに、しかし豊かに燃えている。
上空高く、果てしないところまで伸びているかのような炎の直剣を見て、俺はその美しさに息をのみ、グレースは達成感に満ち溢れた顔で、改めてタマサと手を叩き合った。
そして、そのハイタッチの勢いのまま、タマサは俺に向き直り、
「それで、オリヴァン、これからどうするよ?」
「実は、それについて、俺もどうしたもんかと思っていたところだ」
「どういうこと?」とグレース。
「言いにくいんだが……降りて来たはいいが、俺たちの世界に戻る方法がわからない」
「あっ」
まるで考えていなかった声だ。とことん無計画な王女さまである。
一生ここで仲良く暮らして、炎の経過を見守るというのも悪くない気はする。それはそれで、幸せな未来が見える。
だけど、もしも願いが叶うなら、やっぱり俺は見届けたいのだ。
グレースの旅の結末を。
とにかく目に焼き付けたいのだ。彼女が人々から認められる瞬間を。鳴りやまぬ喝采をその細身に浴びて、笑いながら泣く光景を。
「みんなで一緒に、上の世界を目指そう」
★
この世界全体の構造は、いくつもの茎が空に伸びて行って、茎の先は漏斗状に広がって大地を形成している。大小さまざまなワイングラスが並ぶような形になっている。
その一つ一つの世界は、蓮の花に似ていることから、ロウタスと呼ばれている。
全ての世界は、一つの根で繋がっており、高く伸びきってしまった世界は、滅びを迎えるのだという。
高く伸びたところから、成長途上の低いロウタスに行くためには、危険は伴うものの、飛び降りれば行ける。事実、グレースは自分の世界からマリーノーツに落ちて来たし、俺たちはマリーノーツからオシェラートに落ちて来た。
では、低いロウタスから高いロウタスに向かって進むには、どうすればいいのだろう。
たとえば、空を自由に飛ぶスキル。
たとえば、好きな場所に瞬間移動するスキル。
たとえば、世界を行き来できる鳥などの動物を操るスキル。
たとえば、空に自由自在に階段や上り坂の橋を生み出して、世界を繋げるスキル。
そういうものを持っている者を仲間にできれば、俺たちは簡単に故郷に帰れるし、グレースだって生まれ育った吹雪の世界に戻ることができる。
でも、そんなものはない。
俺が目覚めたのは過去を視るスキルだし、グレースやタマサには魔法があるけど特にスキルと呼べるものは無さそうだし、ザミスは弓矢に関連する技術に特化している。
大きなオオカミのリールフェンは、氷魔法が撃てて、優しくて賢くて温かく、人を乗せて駆け回ることができる……けれども、それだけで世界を渡ることができるかと言われれば、それは無理ってものだろう。
そもそも、スキルを確実に、しかも大量に持てるのは転生者と呼ばれた特別な者たちの特権であって、全ての転生者が消え去った後のこの世界において、都合よくそんなスキル持ちを仲間にできるとは思えない。
詰んだ。
どうやっても紺色の空のはるか上にある世界に戻れそうにない。
ここまで運に恵まれて、奇跡的に都合よく進んできて、古文書や予言に従って大いなる火を再生できたけれど、それでグレースの世界が救われたわけではないのだ。
かつて、流氷の一族という古いエルフの始祖の一つが、いくつもの世界を渡り歩いたという。滅びを迎える世界から、まだ滅びの遠い世界へ。
それは、大いなる火が微かにあらわれた頃に始まり、明らかに照り続けていた頃から永く永く続けられてきたことに違いない。
そのことを考えれば、たとえ大いなる火が復活したからといって、グレースの世界が危機から解放されたわけではないってことだ。
――大いなる火から遠ざかり過ぎたら、どのみち避けられない滅びはある。
それが、古文書や予言が暗に示してくれているヒントである。
そうだ。考えてみれば、グレースの世界の人々を助けるのは、古文書が読めてしまった彼女がやらねばならないことなのだ。
「私、わかったかもしれない」
グレースは呟くように言って、俺の目を見た。
「何がわかったんだ?」
「全ての世界は根っこで繋がっているのよね?」
「実際見たわけではないが、そう言われてるな」
「地下を横に掘り進んで、ちょうどいいところで上に向かって掘ってのぼっていけば、私たちの生まれた世界に行けると思うわ」
絶対無理だとは言えないけれど、どう考えても無茶である。
素人が考えたって、上から下に掘り進むよりも、下から上に掘りあがっていく方が大変なのは明らかだ。うっかり溶岩や有毒ガスや水脈とかにぶつかったら、大事故で全滅する危険もある。
「あと他には……そうね……。どうにかして、ロウタスの茎の外側にとりついて、そこをぐるぐる回るように階段を作っていけば、やがて上に着けるわ」
「どれもこれも、俺たちが生きているうちには終わらなさそうな大事業だな」
意見が受け入れられなかったのでグレースは少し表情を曇らせた。
グレースのアイデアも面白いとは思うけれど、実現性と安全性にひどく欠けている。
そこでふと気になったことがある、かつて祭壇の炎を強めるために降りて来た、赤い服着た人たちは、ここで一生を終えたわけじゃなかったはずだ。もしかしたら、安全に世界を渡る道というのが、どこかにあるのかもしれない。
「ザミス、赤い服の神がどうやって帰ったか、知らないか?」
「知らない。でも、役目終えたあと、気が向いたら行けって言われた場所ある」
「それだ。どこに行けって言ってた?」
ザミスに門番の役目を教えた人であれば、何かを伝えているかもしれないと思ったが、どうやら当たりを引いたらしい。
「たしか、地下に向かって、横に向かって、上に向かって行けとか言われた」
発想がグレースと同レベルで残念だ。やっぱりハズレを引いたようだ。
俺は空を見上げた。
こういう時にこそ、過去視の力が発動してほしいものだが、この世界から楽に移動する方法は、少しも映し出されなかった。