第46話 稽古の限界/熱風のしくみ
グレースはタマサが口元に差し出してきたスプーンを押し返すと、胸に手を当てて言い張った。
「準備は完璧よ。もう我慢できないわ」
「まだだ。落ち着けグレース。今挑んだら魔力酔いで大爆発だぞ」
「わかってるわよ……でも、つらいの。魔法もうまくならないし、祭壇の前に行くと、頭が重たくなって、すぐ眠くなるし、タマサの魔力も私の奥の方にまで入って来て、めちゃくちゃにかき回してくるんだもの」
「わっちの魔力責めに耐えられないようじゃ、世界を救うなんて無理だろ」
「なんでこんなことしなきゃいけないの?」
稽古が続いて七日。食事中に、ついにグレースが音を上げたのだった。
グレースの強い意志は知っているので、タマサの稽古がそれほどまでに厳しいことを物語っている。
タマサは、軽く叱るように、
「いいか、グレースは魔力の弱すぎる世界で育ってんだ。だから魔力を通すための門がものすごい小さい。だったら無理矢理にでも広げるしかないだろ。こんな破壊すれすれの荒行は、わっちだってやりたくない。けど、時間がないからやるしかない。だいたい、この方法ってのは、グレースから言い出したんだろ。最後までやり遂げろよクソが。王女だろ」
「王女だけど無理なのよ! 私は何もできない王女なの!」
俺は思わずグレースに駆け寄ろうとした。手を握って、タマサから逃げて、しばらく休もうと言ってやりたくなった。しかし、そんな俺の心の動きを察知して、タマサは俺に紙くずを投げつけて来た。
――ここで手を差し伸べたら、水の泡。
そういう意味であろう。
俺は冷静になり、今にも飛び掛かって抱きしめようとしている金髪弓矢少女の手を引っ張って、急いで外に出た。
小屋の外ではリールフェンが心配そうな顔で座っていたが、俺とザミスが来ると、まるで自分の上に座ってくれとでも言うように、雪の積もった地面に伏した。
ザミスと俺は、オオカミの上に座った。とても柔らかく、あたたかい。
小屋の中からは、グレースの声が響いてくる。
「なんで誰も助けてくれないの! オリヴァン!」
「無駄だ。オリヴァンはな、わっちの味方だ。だから助けず出て行ったろ」
「ザミス!」
「やめな。ザミスは、言動こそあんなだけど、まじでグレースを信じてるんだぞ。あんまりみっともない姿を見せるな」
「リールフェン!」
「あの可愛いオオカミはザミスのもんだ。グレースが世界を救うまではね。悔しかったら、リールフェンを上回る魔力を身に付けてみろ」
「うぅ……っく……」
泣いてしまった。外からは見えないけれど、きっと大粒の涙を流していることだろう。
そこからタマサは、急に優しい声になり、
「大丈夫、グレースならできる。この数日、魔法を教えてわかったよ。グレースには才能がある。ここで諦めたら、もったいないぞ」
「本当? タマサ……」
「大勇者にも匹敵する力がある。わっちが言うんだから間違いない」
「あと、少しなのよね?」
「……ああ、あと少しだ」
これ、絶対あと少しじゃないやつだな、と俺は思った。
「なあザミス。グレースのこと好きか?」
「ともだち」
「だったら、もうしばらく我慢だ。グレースのためにな」
さっき、あやうく俺もグレースと一緒に逃げたくなってしまったから、これは自分に向けた戒めの言葉でもある。
「わかってる。ごめん」
さっき思わず助けに入りそうになったことに対して、ザミスも申し訳なく思っているようだった。
「信じような、グレースを」
「あたりまえ。な、リールフェン」
ザミスの問いかけに、リールフェンもアウフと答えた。
俺たちにできることは、信じて待つことだけなのだ。
★
グレースが厳しい稽古を受けている間に、俺はひとつの疑問を解き明かした。
それは、大いなる火の祭壇がある場所で、なぜ熱風が渦巻いているのかということだ。
この問題を解決するのは、少しでも快適に祭壇に辿り着くために必要なことであり、階段で熱風を受ける回数が減れば減るほどに事故の可能性も低くなるのだから、大いに意味のあることだ。
偽装だか誤認だかのスキルで作られた偽のマグマ雲を消すことはできそうにないが、熱風を何とかできれば間接的にグレースの助けになるはずだ。
俺は偽のマグマ雲の中で、熱風の吹いてくる方向を何度も確認し、その方向にある物が何かを探った。
オイナルヒ神殿だった。
巨大な氷が安置されているところで、今はザミスが周辺を警戒しながら、新しく作った弓の練習をしている場所である。
そして、ついに見つけた。
俺はリールフェンに地面を掘るように指示を出した。しばらくすると、コツンと音がした。オオカミの爪が硬いものにぶつかる音だった。ここほれリールフェン、成功である。
「これは、管?」
円筒型の太いものが、横倒しになって土の中に埋められている。
触ってみると、熱かった。
「間違いない。この管を通って、熱風が排出されている!」
これは巨大な氷を造り出すシステムの一部なのだ。神殿内の熱を奪い、その奪った熱気を、管を通して別の場所に捨てている。
その仕組みを再利用して、偽マグマ雲の周囲に熱風を吹かせている。
何のために熱風を吹かせているのか。それは、人を祭壇まで近づかせないためだった。
「もう隠す意味もないだろ。なら工事しておこうか」
俺は地面から管を取り出して、その管の方向を変え、またいくつかの管を上に積み上げて、下を支えるために土を盛って、煙突のようなものを作った。これで、横向きに放出されていた熱風は、上の方に逃げていくようになり、祭壇に向かう道が少しだけ安全になった。
グレースやタマサの役に立てて、大変に自己満足である。