第45話 タマサの稽古とザミスの父親
グレースは、疲れ切っていた。
世界を救うためなら何でもするわ、と元気に拳を握っていたのが嘘のように、調子が悪そうだった。
魔力酔いを防止する高級万能薬を飲み続けてもなお、防ぐことができないほどだった。
タマサの魔法稽古は、想像以上にグレースにダメージを与えている。
見かねた俺は、タマサに説明を求めた。
「無理もないね。魔力の通る門をこじ開けて、この辺りの強い魔力を流し込んでいる上に、わっちの魔力までねじ込んでるから」
なにもグレースが嫌いでいたぶっているわけではない。必要なことだから、そうしている。そんな風に言われたら、やめさせるなんて選択肢は出てこない。でも、見ていて非常に辛いものがある。
タマサのことは信じているし、グレースの力だって俺は信じている。
短期間で結果を出すには、代償が伴うというのは、ある程度は納得できることだ。
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祭壇のある縦穴の近くに木造の小屋を建ててもらい、俺たちは、みんなでそこで生活することになった。
俺は、二人の稽古を見守ることしかできない。
二人は、毎日祭壇のある縦穴の底に出かけて行っては、そこの魔力に身体をなじませ、その後にオシェラートで最も魔力の低い場所、壁画師たちが壁に向かって鑿を振るい続ける聖地周辺に行って魔法指南を行う。そして宿に帰って来てからはグレースとタマサは常に一緒にいる。
ずっと手を繋いでいて、食事の際には、スプーンですくったものを互いに食べさせ合い、夜は裸同然で抱き合って眠っている。風呂も手を繋ぎながら一緒に入っているらしい。
「いつも触れ合うことで同調させてんだ」
そう言いながら、タマサはグレースの肩を抱きよせたが、グレースは心身のストレスによって非常に調子が悪そうだった。明らかにゲッソリしている。かわいそうなグレース。
タマサはいとおしそうにグレースのしおれた長い耳を撫で回し、頬ずりをした。
「ふふ、わっちが羨ましいか、オリヴァン。それとも、大好きなグレースをとられちまって憎いかい? でも今のグレースは、わっちと一心同体でなくちゃいけないんだ。この状態でも普段の調子が戻って来たら、その時が、大いなる火に極上の炎魔法を仕掛ける時だ」
うらやましい気持ちは大いにある。憎い気持ちも少しだけある。でも、これがグレースの選択なのだから、俺に出来るのは洗濯などの身の回りの世話くらいのものである。
稽古中の雑用は、全て俺に任せてもらおう。
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ある日、ザミスが一緒に来てほしいというので、食材等の買い出しに行くついでに彼女についていった。
向かった先は、初めて来る洞窟だった。
「ここは、どういうところなんだ?」
こういう暗い洞窟というのは、なんとなく牢屋とか、そういうのに利用されていそうな感じがする。そういえば、グレースと一緒に世界樹リュミエールの地下にある牢屋にとらわれた、なんてこともあったっけ。
この状況で、まさかいきなり牢獄に入れられるなんてことは無いと思うが、どうしても身構えてしまう。
「平気。神官たち住むとこ。危険ない」
「どうして俺たちは、ここに来なくちゃならなかったんだ?」
「神官たち、世界救われるか不安。状況ききたい言う」
グレースの稽古の進み具合を聞かれるということだが、それを聞いてどうしようと言うのだろう。
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神官たちとの面会はすぐに終わった。
少し心配していたのだが、大した話ではなかった。洞窟のかなり深いところに集まっていた神官たちは、「何があったとしても我々は協力を惜しまない」というメッセージを伝えるためだけに、ザミスを通して俺を呼んだようだ。
神官たちは、何世代もかけて、硬い岩盤をかなり深くまで掘って準備してきたとのことである。もしも世界が崩落した時に少しでも生存率を上げようという狙いが透けて見える。
無理もないことではあるけれど、真っ先に避難して引き籠もっているように見えた。
もっとタマサとグレースを信じてほしいという気持ちになった。
洞窟の出口に至る道で、俺はザミスに問いかける。
「なあザミス、グレースはさ、ちゃんと世界、救えると思うか?」
「あたし、魔法わからない。でも、グレースならできる」
「一人でも信じてくれる人がいて、少し安心するぜ」
「オリヴァン、信じてないか? グレース心つよい。グレースのちから信じる。恋人として当然」
「こいっ――」
「ちがうか? タマサ言ってた。あまり二人の邪魔するな言われた」
「そ、そうだな……ザミスがそう感じるなら。恋人と言ってもいいのかな」
恥ずかしがりながら言ったのだが、ザミスは弓を反対の肩に持ち替えてから、
「じゃあだめ。感じない。恋人のわりに、仲よくない。タマサのほうがグレースと仲いい。いつもいっしょ」
「あ、あれは! 魔法を使うイベントがあるから、それまでは同調力を高めないといけないって話で、仕方ないんだ。もとは俺がグレースと一緒に旅をはじめたし、俺がグレースの隣にいるべき男なんだ」
「もう子供いる?」
「えっ、恋人はまだ子供つくらないだろ」
「あたしの親、ないしょの子供いた。それがあたし。ふたり、恋人。でもあたし生まれた」
「ああ……八雲丸って人の娘なんだっけか」
俺がそう言ったとき、ザミスは驚き、目を見開いた。
「なぜ知ってる? 八雲丸、知っているか?」
「いや、知らないけども……あ、そういや、俺たちが乗って来た小舟の名前が八雲丸って名前なんだった。ザミスの父親と関係ありそうなんだが」
「……あたしのおかあさん、まさか舟を恋人にしてたか?」
「そういうわけでは絶対ないけどな。よかったら見てみるか? 八雲丸って名前は珍しくもないかもしれないが、もしかしたら父親の使ってた舟かもしれないぞ」
「いく」
★
俺は、壁画師たちが暮らす聖地、ナミナガ岬へとザミスを連れて行った。
道中、雪の降る世界では、犬たちが喜びのあまりに白く積もった雪の上を駆けまわったり、ごろごろと転がって雪の感触を楽しんだりしていた。また、大人たちも、初めてみる雪にハシャいで、雪合戦や、雪人形づくりに興じていた。
壁画師のホームグラウンドに着くと、雪で作られたグレースと俺とタマサの像と、リールフェンと思われる巨大な像がつくられていた。さすが壁画師、雪の彫刻も見事に彫り上げている。
おもいのほか、みんなして雪が降り続ける世界を満喫していた。
はじめてみる雪にはしゃいでいるようだった。このままにしておいたら、ずっとこの状態が続くということに気付いていないからだろう。
「ザミスは、雪を見てもあまり驚かないんだな」
「あたし、雪知ってる。オシェラートもむかし寒かった。雪ふったときある」
「その割には、みんなして初めての雪に大喜びしてるように見えるけどな」
「ここの人たち、だいたいあたしより先いなくなる。あたしだけ、命ながい」
「そっか……それは……寂しかったな」
「役目あった。だから耐えれた」
そうこうしている間に、ツノシカ村で買った俺たちの舟『八雲丸』の前に着いた。
ちなみに、聖地では口を開けたり喋ったりしてはいけないというルールがあるのだが、俺もザミスも、ここ壁画師が暮らす聖地では神的な扱いなので、声を発したところで特に責められることはない。そこは安心である。
俺もはじめのうちこそルールを守っていたが、グレースとタマサがこの場所で魔法の特訓をはじめてからは、どうしても口を開ける必要に迫られたため、今となっては気にしなくなった。
俺は、舟の前に立ち、側面に書きこまれた太い文字を指差して言う。
「ここに書いてある文字が、八雲丸ってよむ文字なんだそうだ」
ザミスは舟に書かれた文字を指先でなぞり、矢の先で地面にその文字を写した。首を傾げながら、しばし『八雲丸』という地面の文字を眺める。
「おとうさん、生きてるか?」
「いや、どうだかな……。八雲丸って人のことは、タマサが知ってるみたいだったが。たしか、目が似てるとか、なんとか。でも、タマサの知ってる人が、ザミスの父親かどうかまでは、わからないな」
「そうか」
「今は忙しそうだから、大いなる火がうまく輝いて、世界が救われた後にタマサに聞いてみるといい」
ザミスは、静かに大きく頷いた。